めがね屋善兵衛の名が星になる

江戸の理系力シリーズです。

岩橋善兵衛
いわはしぜんべえ 天文学 1756~1811

今まで、渋川春海、麻田剛立、高橋至時、間重富と天文学者をみてきましたが
今回の岩橋善兵衛は天文学者とはちょっと違う

道具の面でサポートした、上方の望遠鏡職人です。

でも職人と言い切るにはこれまた難しく
学者と言っても良いほど

大阪の魚屋の次男坊として産まれる
眼鏡のレンズ磨きの職につきます。
は?
すいません。ここの経緯が分かりません。
まあ、次男なので何やっても良いのかも

眼鏡を日本に伝えたのはフランシスコザビエルで1549年
それから200年ほど経っていますので
日本でも眼鏡を作れるようにはなっています。

でも、超高級品。
レンズはガラスや水晶を使っています。

一方、望遠鏡は、ジョンセーリスという人が徳川家康に献上した1613年が最初。
日本でも多少作った記録があるようですが、特筆すべきものはない

レンズを常に扱っている善兵衛が望遠鏡に興味を持つようになるのは自然の成り行き
よっしゃ、作ってみよか

望遠鏡って凹面鏡を使った反射式とレンズを使った屈折式があるらしいんだけど
レンズですから、当然屈折式

オランダ製の望遠鏡を参考に試作を重ね、38歳の時
でけましたで

京都の天文学者がこれで天文観察
自分も、太陽の黒点や太陽系の各惑星を観察した。

同じ頃、江戸では
高橋至時や間重富が寛政暦を作ろうとしていた
間重富から注文が入って、望遠鏡を納める

良いね良いね
と評判を呼び

幕府のみならず、諸藩からも注文が殺到

用途は天文学のみならず
測量用、航海用、軍事用等様々。

この辺いつも思うんだけど
テレビも電話もメールも無い時代なのに、何かが流行ると
日本全国に広まる速度が早いのなんの
参勤交代という江戸の特殊制度によるものです。

江戸で、すごい望遠鏡なるものがあるぞ
ってなると
どれどれ?
実際に目で見て、国に帰って
良いの見てきましたで

江戸は全国の人がいる日本の縮図
上方の望遠鏡はすぐに全国に広まる。

伊能忠敬が全国測量で使っていた、善兵衛の望遠鏡は
千葉の伊能忠敬記念館に今も残っています。

天文学者
善兵衛のすごいのは、その望遠鏡に端を発し
天文学の研究を進めていっているところ

平天儀というものを作っている

五層の円盤で出来ていて
これを回すと
月や星の位置
大阪湾の潮の満ち引きまで分かっちゃう

さらに、平天儀図解という本を出した。
平天儀の使い方、ではあるんだけど
天文学について、初心者にも分かりやすい入門書になっている。

こりゃやっぱり、単なる職人さんじゃなく学者さん。

Zenbei
火星と木星の間にある小惑星帯の中の星に「Zenbei」という名の星がある
アマチュア天文家の小林隆男さんが1996年に発見した星。

この話すごいなあと思う。
自分が発見したんだから「Takao」でも良かったんでしょう。

渋川春海とかの有名な憧れの天文学者の名前をつけました、というなら
それはそれで話は分かる。

望遠鏡職人です

私は、小林隆男さんに「天晴れ」です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です