楢林宗建で天然痘撲滅だ

江戸の理系力シリーズ。
シーボルトの弟子、楢林宗建(ならばやしそうけん)です。

天然痘は江戸時代は、疱瘡(ほうそう)や痘瘡(とうそう)と呼ばれ
最も怖れられていた病気で、致死率が4割を超えます。
人生50年の時代とは良く言いますが、実際に平均年齢を計算すると男女とも30~40歳ぐらい
もっと短いんですね。
なぜかというと、10歳までに天然痘を発症して死亡してしまう子供が多かったからです。

さらに、怖れられた理由はさらにあり
もし治ったとしても、後遺症で「あばた顔」が残りました。

三代将軍家光も、疱瘡にかかり、治ったあとの「あばた顔」で
コンプレックスで悩んでいます。
伊達政宗も疱瘡で右目を失明しています

加えて困ったのが、原因解明の糸口さえ無かったこと
異国からやって来た、疱瘡神の仕業と信じ込んだ
早くその神様に出ていってもらうため、ご馳走を用意して祈ったり
桃太郎の赤絵(赤一色で刷った絵)を家の中にペタペタ貼った。

うん、これで大丈夫

な訳ないですね。

天然痘
天然痘と言えばイギリス人エドワード・ジェンナー。
ジェンナーは、天然痘や牛の天然痘である牛痘に一度かかると、
今で言う免疫ができるのではないかと考え、牛痘にかかった人から膿を採取し、
ジェンナー家の使用人の息子8歳のフィリップス少年に接種するという人体実験をおこない
牛痘を使った天然痘ワクチンを作り出しました。

実は、日本において、ジェンナーの実験から6年前に秋月藩医の緒方春朔が、
牛痘ではなく、人の天然痘から採取した膿を子供に接種する実験に成功しています。

でも、ここ重要ね。
人痘法と、牛痘法って言うんだけど
人の天然痘だと、その元の人が死んでしまう確率が高いため
とても現実的とは言えない。
やっぱり、ジェンナーは偉大だったんだね。

シーボルト
シーボルトは牛痘法を理解していたので
日本に来るにおいて痘苗(ワクチン)を持ってきた。

どうだい、みんな
これで、疱瘡にかからなくなるんだよ

おおおっ、さすがは先生
素晴らしいです。
これで、みんなが助かるんですね

・・・

ところで先生
やたらに臭いですが
こういうもんですか?

ん?
ソーリーソーリー、アイムソーリー
これは腐っとりますな

オーマイガッ

楢林宗建
弟子の楢林宗建
シーボルトが永久追放になった後も
自分でもシーボルトに習った様々なノウハウを元に私塾「大成館」を開いていた。
そうこうしているうちにあの蘭癖大名佐賀藩の鍋島直正の目に止まりお誘い。
佐賀藩医となる。

佐賀藩の中で、疱瘡が大流行

鍋島直正が宗建に

何とかする方法はないものかなあ

ありますよ

えっあるの?
早く言ってよ。

長崎のオランダ人医師モーニッケを通じて痘苗を取り寄せてほしいと依頼
オランダから運んだのではやはり腐ってしまうので
オランダ船がジャカルタで途中寄港
そこで痘苗を製作。

手に入れた宗建は早速自分の子供、健三郎で実験。
大成功。

それを聞いた鍋島直正も自分の娘と息子で試して大成功。

噂を聞いた、福井藩でも、モーニッケに依頼
手に入れた藩医の笠原良策は「除痘館」を設け
子供たちへの種痘を少しずつ広めていく。

数年後、福井でも疱瘡が大流行。
ところが、種痘をした子供は誰一人疱瘡にかからなかった。

これには
「牛のできものを人間に植え付けるなんてとんでもない」と反対していた筈の人たちも大絶賛

一気に全国に広まっていきます。

大阪では「適塾」を開いていた緒方洪庵がやはり「除痘館」を設立

そして同じくシーボルトの門下生、伊東玄朴は、江戸で蘭医を開業中でしたが
楢林宗建から痘苗を分けてもらい
これまた自分の子供に接種して大成功。

江戸では漢方医の抵抗に会い、時間はかかりましたが
とうとう神田のお玉が池に種痘所を開設することができました。

楢林宗建の成功から5年後の事でした。
宗建は残念ながら江戸での種痘所開設を見届ける前に51歳で亡くなってしまっています。

この種痘法により天然痘患者は激減していき1977年、
最後の天然痘患者が報告されて以来、世界中で天然痘は完全に撲滅されました。
1980年、世界保健機関(WHO)は天然痘撲滅宣言を発表しました。

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