[昭和歌謡]56 旅の宿 吉田拓郎が変えたもの

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

旅の宿
吉田拓郎
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
1972年

♪浴衣の君はすすきのかんざし
熱燗とっくりの首 つまんで
もういっぱい いかがなんて
妙に 色っぽいね

出ましたよ
ようやく来ましたね
拓郎ですよ 拓郎です。

何たって私は、高校の時、フォーク同好会の会長やっていたくらいですから。
特別な思い入れがございます。

この曲も思い出いっぱいだなあ

バス旅行に先だって、バスの中で歌う歌を歌集として作って
みんなに配ろうってことになって
仲良し仲間が集まって作った。
その時に一番盛り上ったのが、この「旅の宿」

この歌が流行りはじめの頃で
みんな聞いたことはあるし
歌詞はどっかから持ってきて
分かるんだけど
みんなうろ覚え

熱燗とっくりの首 つまんで

熱燗とっくりの 首つまんで
かが分からない
拓郎って、字余りの歌がやたら多いんですよね。

結局バスの中で、
熱燗とっくりの 首つまんで
と大合唱するんだけど

後でみんなで
違うかったね、と大笑い。

結婚しようよ
元々、拓郎ってフォークの世界では知らない人はいなかった訳だけど
フォークという音楽ジャンルが
歌謡曲と比べればマイナーだったので
当然、拓郎っていったところで知らない人はいっぱいいた訳です

フォークってアンチ世の中、のプロテスタントソングから始まっているから
歌詞に色んな主張がこもっていて、
私もそれが好きなわけです。

ところがその流れを大きく変えたのが拓郎と陽水

♪僕の髪が肩まで伸びて
君と同じになったら

結婚しようよと歌った訳です。

衝撃でしたね
両方の立場から、衝撃だった。

まずは、一般の大人たち

男のくせして
髪の毛伸ばして
伸びたら結婚するだぁ?
お前はヒッピーか

次に、フォーク信奉者たち

元々男性が髪を伸ばすという行為は
軍隊が短髪であるという事に反発した、反戦行動だったんです。
それを、町の教会で結婚するなどといった、
チャラチャラした行為に繋げた。
おい拓郎よ、お前は魂を売り渡したのかと。

でも、この不思議な歌は、
その不思議さ故にバカ売れし
フォークを歌謡曲と肩を並べる普通のジャンルに引き上げ
拓郎は、陽水とともにヒーローになった。
私の場合は、泉谷しげるファンなので、泉谷も加えたいんだけど。

そして、それとともに
拓郎や陽水や泉谷から
我々フォーク信奉者は
お前たち本当にいつまでもそんな事してんのか
という提案を素直に受け入れ
社会に打ち解けていく訳です。

それでもひょっとして、と待ちわびた
結婚しようよ、に続く新曲が
旅の宿だった

これなんだね
これでいいんだね

すすきのかんざしであり
上弦の月が答だったんです。

元気です
拓郎の曲について話し出すといつまでたっても終わらないです。

私は、「元気です」というアルバムを買って
何度も何度も聞いたから
その中に入っている曲がやっぱり特別です。

旅の宿はもちろん入っているんですけど
一番好きなのは、祭りのあと、かな
♪祭りのあとの静けさが~
たどり着いたらいつも雨降り、も大好き
♪疲れ果てていることが~
あと、「元気です」のアルバム以外で言うと
人間なんて
♪人間なんてララーラーララララーラー
落陽は
フォーク同好会の先輩が強烈な拓郎ファンで
いつも歌っていたので印象深いです。
♪土産にもらったー、サイコロふたつ

泉谷しげるを筆頭に、陽水拓郎は大好きで
その3人が、フォーライフレコードという新しいレコード会社を立ち上げると聞いた時は
どうにもこうにもいてもたってもいられなくなった。

当時、長者番付で一位二位だった陽水と拓郎
その二人が一緒にレコード会社

あり得ます?
三波晴夫と村田英雄がレコード会社作るようなもん。

なんと、そこに私が人生の師と仰ぐ、泉谷しげるが行動を共にすると言うんです。

第一回目の新人発掘オーディションにはデモテープ送りましたが
もちろん、ど素人なんで、どうにもなりませんでした。

索引はこちら
[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)


キョウチクトウ

花カレンダー始めました

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です