[名僧]聖武天皇と行基

名僧シリーズ

仏教を語るにおいて、この人を素通りするわけにはいきません

聖武天皇
しょうむてんのう 701~756

仏教視点でこの人を説明すると
ひとつには、「仏教を国の制度として」作り上げた人
ふたつめには、あの奈良の大仏を作った人
この二つ、一連の流れのようで微妙な関連性
この後、説明しますね

お父さんの文武天皇が亡くなったとき、まだ幼かったので
二人の女帝がつないでつないで、成長を待つ

派閥争いもあったけど、
あの藤原不比等(ふひと)の娘、光明皇后(こうみょうこうごう)を嫁にもらったため
全面バックアップを受ける

萬を持しての登板だったけど
とても難しい時期だった
天災、疫病、大飢饉

追い打ちをかけるように、
藤原広嗣の乱というクーデター

こんな筈じゃなかった。

戦争の最中に難を逃れるため、都の平城京を離れる
すぐに戻ってくると思いきや

プッツン来ちゃった。
職務放棄

流浪の生活で、いったいどこに行ったやら
一国の天皇陛下がどこにいるか分からんって、どんな時代でしょう。

不在の間、国政を切り盛りしたのは、光明皇后
この奥さん、良く言えばキレモン
もちろんバックに藤原不比等という後ろ楯があるからですけど

約5年後、ようやく帰ってきたんですが
平城京には戻りません。

この国難は全て、平城京に問題があります。
都を変えましょう

平城京から恭仁京に都を変えちゃった

みんな引っ越ししないといけないから大不評

分かったよ
平城京に戻すよ
と、言うかと思うと

そんなに恭仁京が嫌か
じゃあ、難波京にしよう

その後、さらに、紫香楽京に都を移します。

もう完全に、とっちらかっています。
最終的には、平城京に戻すんですがね

そんな中で
横から、光明皇后が囁き教育

あなた
災難が続くのは都が悪い訳じゃないわ
こういうときは、仏教の力を借りましょう

ほんまか

言われるがままに
全国をいくつかのエリアに分け
それぞれに、県庁みたいなのを置く
それらは、全てお寺で、五重の塔を作るべし

僧は国家公務員として組織し
試験制度も確立

仏教を通じた国作りを急速に進めていくことになります。

そんな中で、官僚機構としての僧に疑問を持つ人もいました。
草の根的な活動を繰り返します。

中心的だったのは、「行基」というお坊さん

あなた
あの、行基というのは危険人物ね
早めに芽を摘み取っておかないと、何をしでかすか分からないわよ

あくまでも、僧は、国家のためにあるべし
というスタンス

そうだね、
と弾圧したんだけど
この頃から
少しずつ操り人形になっていることに疑問を持ってきた。

仏教自体はすばらしいものだし
今やっていることで結果として
国中に仏教が広まっていっている

後世から、よくぞやってくれた聖武天皇、と言ってくれるだろう

でも
何かが引っ掛かる

こっそりと、行基に会いに言ってみた

そこで見たのは
政府批判を繰り広げて人々をあおっている訳でもなく
かといって、高邁な説話をしている姿でもなかった

予想をはるかに上回った人々をまとめあげ
やっていることは
橋を作ったり、道を直したり

頭の中で、スイッチが入った

私も何かせねば

帰って、奥さんに

大きな大きな仏像を作りたい

良いんじゃない
その事で僧たちの気持ちがひとつになるわ
グッドアイデアかも知れないわよ
さあ、全国の僧たちに召集をかけて

でも、出したお触れは

大きな仏像を作ります
見たこともない大きな仏様
そのためにボランティアを募集します。
みんなの力で、大仏を作りましょう
何でも結構です。持ち寄ってください。
そして、体を動かしてください。
そうすると、みんなの大仏になります。

行基が全面協力したのは言うまでもありません。

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