家康8、逃げろっ。人生最大の危機。

家康7、お返しの京都見物。えっその時?
の続きです。

本能寺ヘ
家康は信長に急にお礼の挨拶に行くわけですから
時間を取ってくれるかどうかは分かりません。
それはそれでも、行ったということが重要。

とは言え、全く不在だったら、馬鹿みたいなので
不在じゃなくちゃんと本能寺にいるということを確認に
若くて元気の良い本多平八郎に使いをやらせた。

血相を変えて戻ってきた。

殿!

家康と、井伊直政、榊原康政、石川数正、酒井忠次、大久保忠世が
川の横で丸く座って

一体どうした

家康は川にずり落ちそうになり、あわてて井伊直政が抱き止めた。
訳もなく、横にあった柳の葉をむしり取り、口に入れる。

死ぬ
とわめいた。

急いで知恩院に行き、腹を切って信長殿と死を共にせん!

家康と信長
結局この二人はどういう関係だったのだろう。
同盟を組んでから20年です。20年。
裏切りが常態化したこの時代にあって
お互いに一度も裏切る事が無かった。
全く逆の性格にも関わらず。
妻と子を殺せ、と命令されてまで、それに従った。

そう致しましょう
知恩院へ急ぎましょう
不思議に全員の気持ちが一致した。

信長の家臣でもないに関わらず
腹を切るってどういうこと
と、疑問を呈するものは誰もいない。

歩みを初めた。

次に家康が口にした言葉

国へ帰ろう。

は?

さっき言ったのと違うような

早い話が、錯乱している

家臣一堂
そう致しましょう。

大したもんです。
家臣たちもそれが分かっていて
次の言葉を待とうと。
次の言葉こそ真実なので、
その内容がどうあれそれに従う。

とうに命は家康に預けてある。

さあ、そうと決まればえらいことです。

前代未聞のケースです。
戦国時代にあって
大大名が、完全にプライベートな「旅行」という目的で領地を離れる。
それも主要な幹部全員を引き連れて
軍備はゼロ。

まさか、その途中に政争に巻き込まれようとは。

もし、光秀が家康の領地三国を欲しいと思えば
これ以上に簡単な事はない。
居場所を見つけるだけでいい。

光秀はそもそも接待役の中心を途中まで担っていたわけだから
家康一行がその状態にあることは知っている。
信長、家康共に討つためにこの日を選んだとすると、実に頭が良い。

ただ、そうであれば、家康一行の居場所を確認したうえで事を起こすだろう。
どうもその節はない

いずれにしても、絶体絶命のピンチであることに違いはない。
実際に、光秀は血眼になって、家康を探した。

逃げろっ

長谷川秀一
それがしにお任せくだされ。

申し出てくれたのは、長谷川秀一
そう
富士山接待の時に、信長から借り
一番頼りにした
京の接待では一番直近まで接待してくれていた、
信長の趣味ごとでのお師匠さん。

顔の広さはピカイチ。

通り道のそれぞれで、
私ら一行は、三河の徳川殿のところまで今回の変報を伝えに行く
道道を保護されたし。
と、一行の中に家康がいることを告げずに
無事に超えていくことが出来た。

全く寝ずに、4日間歩き続けた。

伊賀越え
そして、伊賀の地に着いた。
伊賀を超えれば海に出られる。
海路が使え、三河まで船で行くことも出来よう。

この、伊賀という土地
極めて特殊な者たちがいる

通常は、百姓として田畑を耕しているが
いざ戦が起こるとなると
ええっと今度はこっちにつこうかな

しかも、地元では極めて団結力が強く、時代を通じて、国司や大名の進出を拒否し続けた自治区

信長としては、全国統一のためには、あってはならない地域。

総攻撃を仕掛ける
そうすると、ひとたまりもない

彼らは三河へと逃げ込むことになる

ただ徳川としては、信長の同盟

家康は「見てみぬ振り」という解決策を取った。

そして、服部半蔵(はっとりはんぞう)に
お前のところで、分からんようにうまいことやれ

この服部半蔵
その親の時代に既に三河に逃げてきている、伊賀出身者

そういうことがあったから、伊賀の地侍たちは家康に恩がある

ここまで逃れてきたならば大船に乗ったつもりでおりませよ

ほうぼう声を掛け合って
200人もの人夫たちを集めてくれた。

そんなにいたら逆に目立つと思いますが。

後にこの時の事を恩に感じ
彼らを「伊賀者」と称して、厚遇する

伊勢に着いた家康一行は、商人たちに助けられ、船を用意してもらえる

思えば、家康は人生最大の危機を
様々な人に助けられながら乗り越えたと言える

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