[天皇]31 用明天皇。聖徳太子のお父さん

天皇シリーズです

用明天皇
橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)あるいは大兄皇子(おおえのおうじ) 585~587年

敏達天皇には、息子、押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのおうじ)がいたが
あとは継がなかった。

継いだのは、敏達天皇の弟、用明天皇
同じお母さんの妹として推古天皇。
奥さんは、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)
蘇我氏の娘です。

お母さんも奥さんも蘇我氏なので、蘇我氏系
仏教大好き。

結構いっぱい子供が出来て
二男が厩戸皇子(うまやどのおうじ)。聖徳太子です。
穴穂部間人皇女は馬小屋の中でぽんと産みます。
キリストの真似っこですね

敏達天皇はお母さんが直系(天皇系)でかなり力を持っていました
仏教の扱いについても、蘇我氏と物部氏の対立に考慮し
二度目の廃仏に力を貸すなどしていました。

敏達天皇が亡くなったとたんに
対立が大激化
殺し合いに発展します。

時代の特徴
一旦、この時代の特徴を整理してみましょう。

医療や衛生や色んなものが未発達なので
人はどんどん死にます。

なんとか跡継ぎを残すため
一夫多妻制です。
いっぱい子供を作っておけば何とか残ってくれるかも。

それまでは奥さん達はみんな同格でしたが
この頃、大后(おおきさき)という概念が定着していきます。
一人を特定して、この人が一番
後に言う正妻って事でしょう

それに伴い、大后となった人が、ぐんと力を持つようになります。
推古天皇なんかがそうですが
天皇を補佐する役目を担います。

そんな事をステップとして、このあと女帝の時代に突入していくんです。

また、大后の送り込みが政治的に大きな意味を持ってくる訳です。

大兄皇子
さらに、天皇の補佐役として、大兄皇子(おおえのおうじ)というのが意味を持ってきます。
用明天皇も和名は、橘豊日尊あるいは大兄皇子
有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)も大兄皇子
さっき出てきた、敏達天皇の息子も、押坂彦人大兄皇子

大兄皇子って大きなお兄さんだから、長男ってこと
それまでは、息子の中で、優秀な者が跡を継ぐって傾向が強く
それは良いことだったんだけど
後継者争いで兄弟の殺し合いが耐えなかったので
長男が良いってことにしませんか

ただ、これはだんだんそうなり始めたってくらいで
それほど強くはない
また、すぐに長男じゃなく
弟の方が先って感じがまだ強いので
既に年齢がいっていて、ちょこちょこ、在位期間が短いんです。

用明天皇は弟で、在位期間も2年くらい。

さらにめんどくさいのが、大后のように一人じゃなく
大兄皇子は複数いるってこと。
複数のお母さんごとに、大兄皇子がいる
大后の大兄皇子が一番強いんですけどね。

厩戸皇子(聖徳太子)はとても優秀だったから
回りはすぐに天皇を継がせたかったんだけど
長男じゃなかったから大兄皇子じゃない。
長男は若くして死んじゃったから、実質長男なんだけどね

結局、空気作りに推古天皇が自ら天皇をつとめたりして、時間稼ぎするんだけど
推古天皇より、聖徳太子の方が先に亡くなっちゃったから
聖徳太子は天皇になれずじまい

用明天皇に話を戻しましょう。
せっかく天皇にはなりましたが
当時大流行した天然痘にかかり
僅か2年で崩御

あまりに短いため
物部氏が暗殺したんじゃないかって噂も飛び交いますが。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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