[名僧] 本因坊算砂。囲碁界で知らぬ者なし

名僧シリーズ
今回は囲碁です。

10秒 20秒 5 6 7 白 12の13 なんちゃらかんちゃら
日曜日の度にNHKでやっていた囲碁の対局
父さんが毎週欠かさず見ていた。

この 10秒 という係員の声が全くの無感情でとても面白かった。
もっと場を盛り上げるような楽しそうな言い方は出来んのだろうか、と

父さんに教えてもらって、ルールだけは知っていて、ちょこっとだけやったことがある
石の取り合いなのかと思っていたら、陣地の取り合いだった事にびっくり
局地戦ってあんまり関係無くて、全体を見渡す必要があるっていうのが、世の中を示唆しているようですごいなあと。
でも、そこまで
それなりに強くなると面白いんだろうなあ、とは思いましたが

毎週ぼおっと横で見ていて、いつも同じ質問

これ、見てて面白いん?

面白いよ

今、どっちが優勢なん?

うーん、白かなあ

大体、思っているのと逆

前置きが長くなりましたが、今日は、囲碁で有名なお坊さんのお話です。

本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)
1559~1623年 日蓮宗

本因坊って耳にします
誰それが、本因坊にも勝利し、どうたらこうたら

お坊さんの名前だったんですね

元々は、本因坊算砂が初代となる本因坊家という囲碁の家元のこと
それにちなんだタイトルを作ろうよ、となったんでしょう

九歳のときに日蓮宗の僧・日淵の弟子として出家

日淵は「安土宗論」の参加者の一人
「安土宗論」とは、日蓮宗が過激な言動を繰り返し、他の宗派と仲が悪くなっちゃったもので
織田信長が乗り出して、議論大会を催したもの
勝利したのは、浄土宗
最初から、勝敗は決まっていたんじゃないかという感じがする

あんまり過激なのはどうかと思いますよ、と

織田信長が言うのも
お前が言うか、って気がしますが。

本因坊算砂は、若い時から、囲碁将棋の達人。
噂を聞いた織田信長
安土宗論の件で、気まずかったので
囲碁の対局を見たいと言う名目で
算砂と、同じく日蓮宗の僧の利玄を呼んだ。

利玄もたいそうな囲碁の達人で、
江戸時代に大きな権勢を誇った碁の家元、林家の始祖となったひと

あまりに見事な対戦に、信長大感激
勝者算砂を「名人」と呼んだ

本因坊戦と並ぶ、7大棋戦、名人戦もこの時の名称に因みます。
一人で二つのタイトルの元になったなんて恐るべし。

最後に信長の前で碁を打ったのが、1582年6月1日
場所は本能寺です

その時、
三劫(さんこう)(将棋でいう千日手のような、どちらかが意図的に避けない限り永遠に同じ流れが続く状況のこと)
が出現したといいます。
滅多にあることではありません。

翌日のことがあるので、不吉の前兆だと言われるようになりました。

帰り道、明智光秀とすれちがいます。

こんにちはーっ

どうもーっ

1588年には、豊臣秀吉の前で碁を打っています。
秀吉も多いに感服
土地を与えられ、そこに寂光寺を再建している

さらに、徳川家康も碁が大好き
五十石五人扶持の俸禄を与えられている

そして、碁所(ごどころ)という囲碁の最高権威者の初代となっている。

囲碁打ちと言えば、私の中では、すぐに渋川春海が思い浮かびます。
江戸時代に中国からの借り物でなく、貞享暦(じょうきょうれき)という初めての日本製の暦を作った人
碁打ちの大家、安井算哲の息子で、二代目安井算哲となる
算が付くから、算砂の流れを組むんだろうと調べたら
算砂の流れの本因坊道策とはライバルだったようです。

算は、あやかって付けたんでしょうか

[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です