豊臣秀吉が猿だった頃

磯田道史先生の「日本史の内幕」から

日本最強のパワースポット
磯田先生が以前に住んでいた浜松の家から400mほど北
今は、元城町東照宮という神社になっている

ここに、二人の男が現れ、
いずれも天下を取った

キサという女性が住んでいた。
キサは80歳近くまで生きる

キサは浜松城の前身、引間城の城主飯尾豊前守の娘だった

配下の松下がおかしな顔の少年を連れてきた

猿かと思えば人、人かと思えば猿
白い木綿の着物は垢だらけ

国はどこ?

尾張から来た

幼いお前がそんな遠くから何しに来た

奉公したい

武家に就職希望だと言う

松下が連れてきた目的は宴会の余興

皮の付いた栗を与えると口で皮を向き食べる

まるまる猿だとみんな大爆笑

キサの孫が「太閤素性記」として書いている

猿そっくりだと言われた容姿に
それじゃあと、猿まねをする芸を覚えたのだろう

かくして猿は人気者になった
猿猿と可愛がられた。

松下が側近に抜擢してみると
「何一つ主人の心に叶わぬことがない」完璧な勤めぶり
次に納戸の出納管理を任せることになった

ただ、そうなると状況が変わる
妬みから、今まで可愛がってくれていた面々からいじめを受けるようになった
度々物がなくなる
猿が盗んだ、と言っていじめた。

よそ者だからいじめられるんだろう
本国に帰った方が良い
お前なら、本国でやっていけるだろう

永楽銭300枚を与えて本国に帰した

16歳から18歳まで3年間浜松にいた
まさかその猿が、後に豊臣秀吉と名乗り天下を取るほどになろうとは

よく、猿猿と言われていたとされますが
本当だったんですね

徳川家康
しばらくして、引間城は陥落する
キサはかろうじて逃げおおせた

変わってここにやってきたのが徳川家康
とても狭くて窮屈なこの城に1年居て
城を拡張
浜松城と名を変えた
そして、ここを根城とし、数々の大進撃をやってのける

秀吉と家康
二人の天下人がそれほど変わらない時期に
同じ場所にいたという不思議

日本史上最強のパワースポットである

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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