[徳川将軍の演出力] 上覧相撲で小野川の運命やいかに

徳川将軍の演出力から

徳川将軍の演出効果が功を奏したのでしょう。
庶民にも、将軍の持つ意味はとても大きい。

相撲
江戸時代に最も人気の高いスポーツは相撲
深川の富岡八幡宮、芝の神明宮、そして本所の回向院
勧進相撲が実施される。

安永7(1778)年から、日にちが8日から10日に伸び
天保4(1833)年からは、回向院で常設の興行場所となる
江戸では、春と冬の二場所、京都で夏場所、大阪で秋場所の計4回

相撲人気の高まりには、上覧相撲が一役買った
寛政3(1791)年、時の将軍は11代家斉
だいたいこういうのって家斉

相撲が見たいなあ

はい、承知しました。

江戸城吹上庭園にて相撲を行うべし
分かったな

江戸中大騒ぎになります。

当時、人気力士は諸大名のお抱えになっていることが多かった
細かく言うと「お出入り」と「お抱え」
お出入りは化粧回しを下賜され、番付に藩の名前が入る
お抱えになると、そもそもお給料が藩から出る

人気力士を抱えた諸大名は、仙台藩、久留米藩、熊本藩などの大藩
これ、江戸検定で良く出るのよね
雷電為右衛門は何藩のお抱えでしょう。
はい、松江藩

お抱えの人気力士の勝敗は、自家の名誉そのもの
場外に各藩の馬が留めてあって、勝敗が早馬で各武家屋敷に報せられる。

そんなに気合いが入っているので
上覧相撲ともなると、藩の行く末を左右する

当時最高位は大関
横綱はたまに任ぜられる名誉職みたいなもの
その時、大関は谷風と小野川

珍しく両者とも、横綱にもなっています。

小野川は久留米藩有馬家
谷風は仙台藩伊達家

久留米藩有馬頼貴は、
もし伊達家の谷風に負けるような事が有ったら、切り捨てにすると言い切った。

結びの一番は、文字通り、命がけの大一番

両者気合い十分

はっけよーい、残った

おっと
行事の軍配は、谷風に

両者気合い十分だったのに、小野川が待ったをかけちゃった
ってことで谷風の勝ち

小野川、敗けはしたが組み合っていないし
命を取るまではねえと、悲劇は起きずに済んだ

事前に有馬頼貴の件を知っていての行事の配慮だったのかも知れません。

いずれにしても大盛り上がりで、家斉も大満足
上覧相撲は以降、4回も行われます。

庶民の間でも相撲が大ブームになり
男の子の遊びの定番になります。

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

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