[徳川将軍の演出力] 川崎大師は将軍のおかげ

徳川将軍の演出力シリーズでは最終回になります。

シリーズで将軍の影響力を見てきましたが、寺院についてもそう
ひとつの例として、川崎大師を見ましょう

川崎大師
大治2(1127)年、平間兼乗という漁師が、弘法大師像を引き揚げたのが始まり
なので、平間寺と言います

地域の厚い信仰を受けた川崎大師は、厄除けの御利益で、江戸にも広く知れ渡るようになります。

江戸中期になり、吉宗の子供、御三卿のひとつ田安家の田安宗武の帰依を受けます。
宝暦2(1752)年、宗武本人ではありませんが代理の者が参詣
ここから始まります。

寛政3(1791)年、同じく御三卿のひとつ一橋家の一橋治済(はるさだ)が参詣します。
同じ年には、水戸家も代参を立てています。

一橋治済となると、次はいよいよこの人ですね
11代将軍家斉(いえなり)
一橋治済の息子です。
将軍って、ややこしくなるからあまり出歩かないようにしているけどこの人は別
出掛けるの大好き

分かるわあ、その気持ち

24歳前厄祈願のため参詣
将軍が厄除け祈願で参詣したのは初めてです。

江戸中大騒ぎ

今までお寺の側から江戸城に出向いて厄除けしますよ、ってのは有ったけど
将軍が自ら足を運ぶっていうインパクトはすごかった

25歳の本厄の時は参詣しなかったが
26歳の後厄の時も参詣

お寺がよくやるのが、本尊を秘仏として隠して見せない
もったいつけてもったいつけて、いざと言うときに大々的に宣伝してご開帳

川崎大師も秘仏にしていたんだけど
さすがに将軍が来られるとなると、当然ご開帳

それだけじゃもったいないので
将軍参詣後、15日間を御成後開帳(おなりあとかいちょう)として一般開帳

押すな押すなの大盛況
ああ、これが上様もご覧になった本尊なのね

立ち止まらないで下さーい

大名たちもこぞって我も我も
紀州、尾張も参詣し
これで御三家御三卿が揃い踏み

川崎大師は勢いに乗っちゃいます

文化3(1806)年
江戸に打って出ます

出開帳といって、他のお寺に本尊を持っていって一大イベント
両国の回向院で大儲け
百貨店の催事場でよくやってる特別展みたいです。

合わせて「大師河原撫子話」という本も出版
滝沢馬琴が文を書き挿絵は北尾重政
メディアミックスです

読んでから詣るか
詣ってから読むか

そして今度は42歳の厄

41歳の前厄祈願で行きますね

ところが、その直前にあろうことか、34世山主の隆円上人が急死
まずい
とってもまずい

ひたすらに隠してお出迎え

ところがあっさりばれちゃった
万事休す

あれ?
将軍が意外な反応

上人が私の厄を身代わりになって受けてくれたとは
感激だ

申し訳ないと、50石の寺領を寄進した

43歳の後厄でも参詣
次の12代家慶も2度参詣

家斉は53人も子供を作り、それぞれが有力大名に養子に入ったり嫁いだり
参詣が絶えません

自らの命を差し出してまで、上様を厄からお守りするなんて
これ以上の厄除けがあろうか
この噂で、江戸庶民も参詣者が激増

そのまま、人気が定着し現在へと続きます
初詣の人手は堂々の関東ベスト3です

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です