[名僧] 武田物外はお騒がせ

名僧シリーズ、江戸時代はこれが最後です。

武田物外(たけだもつがい)
1794~1867年 曹洞宗

幕末に「拳骨和尚」と呼ばれた人
本人が武田信玄の末裔だと名乗ったので、武田物外と呼ばれています。

この人、実にお騒がせ
行くところことごとくトラブルあり
迷惑だけどちょっと憎めない、そんな人物です。

塩辛小僧
物外が生まれたのは、寛政6(1794)年、伊予松山藩の家臣の家
6歳にして、松山の龍泰寺に引き取られ、12歳の時、広島の伝福寺で出家
転々とあちこちで修行を重ね、26歳の時、尾道の済法寺で住職になった。

これだけみると苦労人のようだが、どうも実際はそうじゃない。
伝福寺に行ったのも、あまりにいたずらが過ぎるので、厄介払いされた。

6歳の時、すでに12貫(45kg)の米俵を軽々と持ち上げたという剛力の持ち主
広島でも全く手をつけられず、塩辛小僧の異名を取った
今の腕白小僧というところ
洪水で流れてきた、高さ5尺(151cm)のお地蔵様を軽々と持ち上げ、寺に持ち帰ったりもしている

一方で学問にも精力的。
寺で与えられた経文は瞬く間に覚えてしまい
目を盗んで町へ出ては、儒学を学んだ
また、武術もありとあらゆるものを習得しもはや敵無し

15歳の時に、子供合戦に参加し、騒動を起こした。
武士の子供と町人の子供の争いが過熱
町人の子供に味方した物外は、本格的な合戦を企んだ。
連判状で味方の結束を固め、刀や槍を用意し、戦術も決めた。
いくらなんでもやりすぎじゃないの?と
役所に呼び出された。

大人になっても話題は尽きない

古道具屋で榧(かや)の良い碁盤を見つけた
すぐに金を工面するから取っておいてくれないか

いえ、手付を入れてもらわないと無理です。

ならば、これが手付だ
と、碁盤の後ろを殴り付けてへこませてしまった

江戸では、辻斬り事件に遭遇
取り押さえて懲らしめた
会津藩士と肥後藩士が決闘を始めた時も割り込んで取り押さえてしまった。

越前では、寺の鐘が取り外されてしまっていた
どうにも動かないで弱っているところに、物外が
うどんをおごってくれるなら何とかしましょう

軽々と持ち上げ元の通りに

ここまでは良かったんだけど
なぜか数日後に、また鐘が外れている
また通り掛かった物外がうどんにありつく

あら不思議
また数日後に同じことが。
どうにもうまい具合に物外が通り掛かる
さては

大人になってもいたずらばかりしている

大干ばつの時、物外が雨乞いの祈祷を頼まれた。

お易い御用

物外の雨乞いはちょっと普通じゃなかった

寺の鐘を船に乗せて、沖でドボーン

不思議とその後ちゃんと雨が降った
鐘は漁師に引き上げられたんだけど
なぜか鐘のイボが八つ取れていた。

海にいて海や雨を司る、八大竜王が
鐘が落ちてきてビックリして雨を降らせた。
イボはその手数料

武芸者としてその名を轟かせるようになった物外
物外を倒して名をあげようと
挑戦者がやって来る

面倒なので断るんだけど、どうしてもとしつこい

ええい、と寺の鐘をはずして、そいつに被せちゃった

助けてー

早々に降参し、ほうほうのていで逃げていった。

時代は幕末なので、有名人とのエピソードもある

托鉢して壬生村を回っていた時、道場があったので見るとはなしに見ていた。
すると、有名な物外ではないかと気づかれてしまい
ぜひお手合わせをと

そんなつもりで来たんじゃないからと断ったが許してもらえない
そこはあの新撰組の道場だった。

無理矢理数人がかかってきたのをバッタバッタと打ち倒した。

ほう、さすがじゃ

いよいよ近藤勇のおでまし

近藤が槍を突いてくる
さっとかわした物外
托鉢用の木の椀二つで槍の先をパカッと挟んだ
押しても引いてもピクリとも動かない

ぐいっと引いたとき、椀を離したもんで
後ろにすっ跳んで、ドデーンと尻餅

し、失礼いたしました。

[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

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