[明治]6 桂太郎。在位期間破られちゃった。

明治シリーズ兼歴代首相シリーズ

桂太郎

ここから、新しい時代に入っていきます。

スーパースター伊藤博文の第四次内閣
長州の藩閥ではありますが、政党政治にシフトすべきだろうと自ら政友会を立ち上げた
第四次内閣は政友会メンバーがほとんどを占める政党内閣

ところが、汚職等の問題が噴出し、かなりボロボロ状態になって退陣に追い込まれます。

元老メンバーとしては、今までずっと藩閥政治家と政党という対立構造で進んでいたのに
伊藤博文が急に自分で政党を立ち上げるなどという裏切り行為をしたのが許せない。

政党大嫌いのナンバーツー、山県有朋(やまがたありとも)
激しく対立しております。
元老メンバーたちは、裏切られた感がぬぐえず、伊藤博文より、山県有朋に寄ってきています。

従って、次の首相を決めるとき
山県有朋の推す、秘蔵っこ、桂太郎が次期首相として決定するのです。

山県有朋はしてやったり
これからは、伊藤じゃなく、わしの時代がやって来た。

マスコミも、桂太郎内閣の事を
小山県内閣と言ったりします。

山県有朋としても、内心そのつもり。

ところが山県有朋大誤算
桂太郎は、操り人形として動いてくれるような小物では無かった。

ふふっ
なってしまえばこっちのもん

桂太郎と西園寺公望が交替交替で、首相をバトンタッチし合うという「桂園時代」の到来
12年もの長きに渡ります。

なんと、通算在位期間2866日、
その後この記録がずっと破られないでいたんですがね
長州の後輩、安倍晋三に、破られようとは。
去年の11/20です。

明治34(1901)年に、第一次内閣
そのあと、
西園寺公望
桂太郎
西園寺公望
桂太郎

通算でなく、連続在位記録であれば
8/24に、これまた長州の、大叔父、佐藤栄作の2798日を
安倍晋三が越えたばかり。
わずか4日後に辞意表明。

なんでこのタイミングで、と言っているコメンテーターいたけど
そんなの、記録作りたかったからに決まってますよね。
歴代一位の記録に残る訳ですから
どんなに体悪くても、それまでは頑張ります。

密約
最初は、小山県内閣と揶揄されていましたが
ところがどっこい、自分のカラーを打ち出すようになってきます。

密約がなされます。
日露戦争等の重要な政策に、政友会が賛成してくれるなら
自分のあとは、政友会の西園寺公望に譲りましょう。

西園寺公望と伊藤博文と井上馨は知っていたのに
山県有朋は知らなかった。

さらに、実現はしなかったんだけど
自分の政党を作ろうとまでします。

山県有朋は
裏切られたぁ

山県有朋は、桂太郎憎しで、本来大嫌いだった筈の政党
政友会に近づきます。
西園寺公望を元老の一員として迎え入れる。

元老メンバーが老人となり
少しずつ亡くなっていく中で
そうしてでも元老というシステムを守りたかった。

ただ、西園寺公望の温度感はやっぱり違っていて
最初に呼ばれたとき
これからは、元老じゃなく、政党の代表が首相を出すべきって発言をしちゃう。
空気を読まないと、ってやつですね。

それでも、その後、伊藤博文も山県有朋も亡くなり他もいなくなっていくと
西園寺公望は一人で元老というシステムを守ろうと頑張るんですけどね。

桂太郎も元老には魅力を感じ
実質元老だったという見方もあるんだけど
正式に認められた訳ではない。

明治天皇には気に入れられ、もう一歩というところまでは行ったんですが
明治天皇が亡くなり、大正天皇になってしまったところで、振り出しに戻る。

そうこうしているうちに、桂太郎自身が、癌と脳血栓で65歳の生涯を終えます。
死後は、自分の脳を解剖して調べ、医学の発展に寄与したいと常々言っていた。
言葉通りに解剖される
脳の重さは、夏目漱石が1425g、内村艦三が1470g
桂太郎はダントツの1600gだった。

通算在位記録もあるし
日露戦争を勝利に導いたということもある

日本の代表的首相と呼べるでしょう。

あと、桂太郎と言えば、お妾さんのお鯉さん
すごく魅力的な人なので
ぜひこちらを見てね
五百羅漢寺。超美人で江戸っ子チャキチャキ、お鯉のその後

[明治]シリーズはこちら(少し下げてね)

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