開運!東海七福神、の続き

開運!東海七福神
の続きです。

妙蓮寺
日本初の視覚障害代議士高木正年の銅像と墓があります。

27歳で東京府議会議員に当選後、さらに、衆議院議員に。
その後、40歳にして緑内障を患い失明
絶望して死を考えた事もあるようですが、すぐに考え方を切り替えます。

まあ、仕方ないよね。
やれる事をやればいい。

精力的に選挙活動を行い、1年後の総選挙で見事当選
当選回数13回、39年も議員をします。

勅撰で終身任期の貴族院議員に推挙された事があります。

断る!私は庶民の味方であり続けたい。

私財を投じて政治活動をするので、極貧。
資金集めのパーティー? 興味なし

自らの理想を貫き、家には井戸と塀しか残らないような政治家を「井戸塀の政治家」と呼ぶそうですが
その言葉は高木正年からきているそうです。

願行寺
縛られ地蔵って、茗荷谷の林泉寺や、水元の南蔵院にもありますが、もうぐるぐる巻き
ここの縛られ地蔵は、まあ整然と縛られてますこと。

品川寺(ほんせんじ)
毘沙門天
最初に品川神社に行きましたが、こちらは寺。読み方もほんせんじ、と言います。

六地蔵です。全部行きましたよ。

洋行帰りの鐘

周りに六観音の像が彫られているとても貴重なもの
慶應3年、パリ万博に出展。
幕末のギリギリに、徳川慶喜の弟、昭武と渋沢栄一が行ったあの万博
ところが帰ってくるときに行方不明になっちゃった。
何てったって明治維新のゴタゴタ。

どこ行ったやーい
品川寺の住職が代々探すが手がかりなし

時代がずーっと過ぎて、大正時代。
当時の住職の執念が、スイスに留学していた人からの情報を得ます。
ジュネーブのアリアナ美術館に鐘があるのを見た。

なんでまたスイスまで行ったのかは分からないが
美術館の開門の合図に使われていた。

すみませんけど返していただけないでしょうか。

ジュネーブで会議にかけられ、満場一致で、返還決定。
返還式が日比谷公園で大々的に行われ、黒山の人だかり

その時に招いたジュネーブの人達に対してのおもてなしに
逆にジュネーブの人達が大感激

以来、品川区とジュネーブ市の友好関係が始まり、未だにずっとお友達。
同じ鐘を作って贈呈したり、
青物横丁の駅前通りは、ジュネーブ平和通りという名前になっています。

山内容堂の墓
土佐藩の山内容堂こと山内豊信、幕末の四賢侯の一人にして、大政奉還の立役者です。
そのお墓が、大井公園の一角にあります。

えっ。どういうこと?この形。

徳川慶喜の墓は神道形式なのでこの形に近かったですが
それともちょっと違うしなあ。

調べると、やっぱり神道形式。
明治になって、神道に改宗したらしいです。

坂本龍馬像
立会川まで来ました。
土佐藩の下屋敷であり、土佐藩が担当した浜川砲台も近いということで
坂本龍馬もここで働いたであろうと。

文献は残っていないんですが、可能性は確かに高いです。

分かりますよ。確かに。
ウォーキングしていると色んなところでこういうの見ます。
クスッとはします。
ただ、そのあとで、やっぱり普通の龍馬の像の写真撮りたいです。

天祖・諏訪神社
福禄寿

不思議だなあ。
この地にあった、天祖神社と諏訪神社が合併したというんだけど
天照大御神を祀った、伊勢神宮の系列が
諏訪神社と合併なんてできるのか。
そういうのができるのが神道の良いところなんでしょうけどね。

鈴が森刑場跡

こっちが丸橋忠弥が磔(はりつけ)になった場所で

こっちが、八百屋お七が火炙りになった場所

磐井神社
弁財天


子供三匹の獅子がとても可愛いかった

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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