[天皇]68 後一条天皇。月は欠けていたのか。

天皇シリーズ

後一条天皇
1016~36年

三条天皇が藤原道長との確執に疲れはて
ほとんど目が見えなくなってきたので、譲位を決意
但し、ひとつだけ条件をつけた。

次の天皇はもう決まっているから仕方ないけど
その次、すなわち皇太子には、私の息子敦明親王を立てて欲しい。

渋々OKをもらったので譲位です。

後一条天皇。9歳です。

摂政は道長
意外にも初めての摂政です。
今までは、実質摂政関白をしながら、大臣の席にも止まり
両方こなすという事をやって来たんだけど
天皇が9歳となると、真剣に摂政やらなきゃ。

もうひとつは、自分が大臣を辞任することで
息子の頼通(よりみち)を大臣にさせたかった。

後一条天皇の母親は彰子。道長の娘です。
道長は天皇の外祖父。
一番完璧パターン。
後一条天皇の中宮に自分の娘、威子を送ります。

一年後、摂政の座を、息子の頼通に譲ってしまいます。
元々、実質摂政の方が好きでしたから。
さらに、息子に譲るという形を作ることで、摂政関白の世襲制を作ることになった。

同じ年、眼病を患っていた三条法皇が亡くなってしまいます。

となると、危うくなるのが、その息子、敦明親王の立場
皇太子の地位は、三条天皇と藤原道長の間で交わされた約束

これはもう何だかんだ理由をつけて約束を反故にすべく手を打ってくるに違いありません。
またゴタゴタで大変な思いをするぐらいだったら。

辞退します。

えっそうなの?
残念だなあ。そんなに言うなら
と、道長は即刻、皇太子を交替し、後一条天皇の弟を皇太子とします。
弟も彰子の息子
即ち、次も自分が外祖父です。

完璧です。

2年後の寛仁2年(1018)年10月16日、月見の宴が催されます。

歌とか詠んじゃおうかな

有名な「望月の歌」です。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」

ひとつ小さな疑問が起こります。
10月16日です
15夜では無いんです。
明治4年までは、ずっと太陰太陽暦なので月の満ち欠けと日にちは一緒
三日には三日月が出るし
満月は15日。
16日はちょっとだけ欠けています。

記録によると、その前の月が小の月なので
本当に満月だった可能性もあるようです。

源氏物語で、藤原氏の敵、源氏の出世物語を紫式部に書かせてご満悦だったということなので
16夜ということも、ちゃんと分かっていたのかとも思います。

ちょっとだけ欠けてますやん
と、ツッコミを入れてもらって大爆笑、みたいな

そのあと、藤原氏の摂関権力は、予想通り
月と同じように、下り坂に向かっていきます。

万寿4(1027)年12月4日
道長としては、完璧なままだった気もしますが
病気で62歳の生涯を閉じます。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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