[首相]12 加藤友三郎。持論を変える勇気

首相シリーズ12人目になります。

加藤友三郎

海軍の人です。
海軍は薩長が優位なのですが、この頃になると薩長以外でも優秀な人材が出てくるようになります。
加藤友三郎は広島藩

日清日露戦争で功をあげます。
特に日露戦争では、東郷平八郎とともに、バルチック艦隊撃破

元々胃が悪かったのですが、
一番肝心のバルチック艦隊との日本海海戦の時、胃に激痛が走ります。

どんな劇薬を使っても良い、3時間だけ痛みを止めてくれ。

ただ、もしもの事があったら・・

なあに、わしほどの参謀はいくらでもいるよ。

山本権兵衛、東郷平八郎とともに、海軍の祖と呼ばれるほどになります。

海軍大臣を大隈内閣、寺内内閣、原内閣、高橋内閣と、7年もに渡って続けます。

その間に、海軍の増強を要求し実現していきます。

時代は、第一次世界大戦。
戦争期間中は、軍事景気で景気は活況を呈しますが
戦後、反動で大不況がやって来ます。
海軍予算が大きくなりすぎた事もあって
日本経済は破綻寸前でした。

アメリカのヒューズが提案したワシントン会議が開かれ
加藤友三郎は、全権委任大使となります。

ただ、この会議の議題は軍縮
特にターゲットは日本で、軍備を持ちすぎた日本に軍縮を迫ろうというもの

ん?軍縮?
今まで私がやって来た事と真逆ではないか
どう抵抗したものか

でも待てよ
今この不況を考えた時
さらにこのあと長くの日本をどうするかと
そういう事かも知れん。

今までは「海軍」の加藤だったのが
ひとつ高いところに立って、「日本」の加藤になった瞬間

元々、頭の良さは図抜けている
堂々と渡り合い、言うべき事は言う
米英から絶賛される。

もちろん日本に帰ると、海軍関係者からボロカスに言われます。

あなたねえ、手のひら返すにもほどがありますよ。

ただ、全体としての評価は高く
高橋是清首相退陣のあと、とうとう首相に就任する事になったのです。

首相になったからには、自分が約束して来た軍縮こそが役割。
どんな抵抗に逢おうとも一歩も譲りません。

日本には、これが必要なんだ

さらにリストラにまで手をつけます。
もし、これが加藤友三郎でなければ強硬な抵抗にあって頓挫したでしょう。
加藤の存在は、海軍にとって絶対だった。
加藤に言われちゃ仕方あるまい、と

さらに、陸軍の山梨半造に声をかける

海軍がね、大幅軍縮してね、
スッキリしたのよ
スッキリ、良いよぉ

えっ、ワシントン会議で陸軍の話なんて出なかったよね

そうなんだけどね
日本のためなんだよ。日本の。

陸軍の軍縮まで納得させ
さらに、シベリア出兵も中止した。

一方で本人の健康状態は悪化の一途を辿ります。

胃は元々悪かったですが
腸に癌が出来た。
本人には知らせられなかったんですけれど。

とても立っていられない状況だったんですが
首相を続けます。

最後の最後まで。
大正12年8月24日。
首相在任期間中に病気で亡くなったのは、加藤友三郎が初めてです。

そして、その1週間後の9月1日
関東大震災です。

翌日9月2日、山本権兵衛第二次内閣がろうそくの火の中で発足します。

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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