[首相]13 清浦奎吾。二度目の正直、おじいちゃん。

首相シリーズ、13人目の首相

清浦奎吾(きようらけいご)

この頃になりますと、薩長閥でないばかりでなく
出身が武士ではない人も出てきます。
軍で出世してというパターンもありましたが
清浦奎吾はそれとも違う

熊本のお寺の息子として生まれます。
大久保普寂(ふじゃく)という名前
5男だったので、親の寺を継げず、他の寺に養子に出されます。

なんか好きくなーい

お経とか勤行とかに馴染めず、戻ってきちゃいます。

咸宜園(かんぎえん)、これ良さそう
廣瀬淡窓という儒学者の開いた塾
これは自分に合ったようで、一生懸命勉強し
塾の代表者にまでなります。
名前変えちゃおう
清浦奎吾(きようらけいご)はい、これでお願いします。
姓名とも変えちゃう斬新さ

22歳で上京
23歳の時、埼玉県の小学校の校長になります。
23歳で校長なんてなかなかです。

26歳の時、司法省に入ります。
そこからは、地道に仕事が出来るということで徐々に出世していきます。
何の閥もなく、コネもなく、家柄だのもなく、戦争で功をあげたわけでもない
ただ、仕事で成果をあげて出世していき、最終的に首相になってしまう。
もちろん今ではあり得ますが、当時としては例外中の例外でしょう

仕事の出来る奴がいると、山県有朋の目に止まり、可愛がられます。

司法大臣、農商務大臣、内務大臣を歴任していきます。

そして向かえた64歳の時、山本権兵衛内閣がシーメンス事件により総辞職
当時、元老の中心、山県有朋が
次の首相は誰にしようか
最も山県有朋が可愛がっていた桂太郎は既に亡くなっています。

清浦奎吾で行きましょう。

元老の山県有朋の指名なので、天皇もOK
組閣せよと大命が下ります。

ようやく巡ってきました

ところが海軍との間で予算をめぐる対立が起きました。

山県からは、譲歩しちゃえば?

いや、ダメなものはダメ

海軍大臣は海軍出身者でないとダメというルールがあります。
ということは、海軍大臣の候補者と交渉しても海軍の意向を組んだ候補者がことごとく断ります。
組閣不可能で失敗
幻の組閣となります。

マスコミは鰻香(まんこう)内閣と命名
落語にありますね。鰻屋の店先で、その香りをおかずにご飯を食べる。
匂いだけで、実際にはありつけない内閣

10年後
10年が経過しました。
加藤友三郎が首相在任中に病死
急遽、山本権兵衛が再度首相になります。
ところが首相スタートの前日に関東大震災

山本権兵衛は、予想だにしなかった大災害に右往左往
4ヵ月後皇太子(後の昭和天皇)の暗殺未遂事件が起きる
復興は、ほとんど何も出来ないまま、責任を取って辞任

さあ、次をどうする

山県有朋はもう亡くなっていて、指名役は西園寺公望
そう言えば、10年前、同じ山本権兵衛内閣の辞任後、組閣をしたのがいた。

清浦奎吾に白羽の矢が立ちました。

今度こそ

自分は政党に属していないので、どこかの政党に協力をあおぐ必要があります。

政友会さんどうでしょう

ところが、政友会は内部の路線対立で分裂寸前
それどころではありません。

憲政会や革新倶楽部にも断られ
10年前の悪夢が頭をよぎる

あそこなら

貴族院の「研究会」に声をかける
外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣以外は全て貴族院のメンバーで組閣

その後、政友会は分裂し、政友本党が発足し、与党として協力してくれることになった。

内閣のスタートが1月7日
1月31日に衆議院を解散
総選挙が5月10日に行われる事になった

護憲三派と言われる政友会、憲政会、革新倶楽部は協力して総選挙にのぞみ圧勝

その間、清浦奎吾側は、一切選挙干渉を行わないクリーンな選挙を行った

総選挙後に、今のように首班指名を行うわけではない
清浦奎吾は首相を続けようと思えば可能だったし
西園寺公望や研究会や政友本党が慰留した

負けは負け
最初からそのつもりでした。

スパッと辞任。
結果として、第二次護憲運動を大きく盛り上がらせる役割を担ったと言える。

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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