[天皇]72 白河天皇。院政の始まり

いよいよ、やってまいりました。
院政の始まり始まり~

白河天皇
1072~86年

藤原氏の摂関政治を阻止すべく、お父さんの後三条天皇が考えた
「お父さんに相談」作戦。

善は急げと、白河天皇に譲位し、自分が院政を開始しようとしたのに
急死しちゃった。

白河天皇としては、「じゃあ誰に相談すれば良いのよ」状態
あの彰子も藤原頼通も亡くなり、一気に世代交替

自分の奥さん賢子(けんし)は、摂関家の娘
したがって実家は、摂関家
本当は源顕房の娘で、藤原師実(もろざね)に養子に入ったので
ずるいんですけど。

天国のお父さん。
せっかく考えてくれたけど、あなたが死んじゃうのが悪いんだからね。
元に戻しますよ。

23歳の白河天皇と、34歳の関白、藤原師実という体制でスタート

白河天皇のもうひとつの懸念事項は、皇太子
後三条天皇は、本当は自分より、異母弟、実仁親王の方が可愛かった。
早い段階で実仁親王に譲位してねと言わんばかりで、実仁親王を皇太子としてつけた。

大好きな賢子との間で二人の子供が出来
一人は幼くして亡くなっちゃったんだけど
もうひとり可愛い子供がいる

後三条天皇は亡くなっているから
意向なんて無視して、皇太子を廃太子しちゃって、自分の子を皇太子にと思ったけど
実仁親王派が力を持っていて、思うように行かない。

自分が天皇として経験を積みながら、時期を待つ

そうすると、実仁親王が病気で亡くなっちゃった。

大きな声では言えないけど
ラッキー!

さあ、皇太子は?

まだ、輔仁親王がいる
少しずつ根回ししたり、ぐだぐだやって1年
秘策があるのさっ

自分の子を皇太子にと電撃発表
反発が出る前になんと
子供(堀河天皇)に譲位しちゃった。
8歳なんだけど。

へへっ
この日のために、「お父さんに相談」作戦が出来るよう準備してきたのさ
院政のスタートです。

堀河天皇の皇太子は?
8歳じゃ、その時点で子供がいる訳がない。
輔仁親王は残っている訳ですが
輔仁親王の皇位継承を阻止するために電撃作戦を取った訳ですから
皇太子につけたくない。

候補がいないので、忘れた振り
皇太子?何でしたっけそれ
のらりくらりと引き伸ばす内に、
輔仁親王の側近に(おそらく)無実の罪を着せ流罪
輔仁親王も連座制で、政界から葬り去った。

白河天皇は白河法皇となって院政を敷くようになってからの方が長いのですが
堀河天皇や孫の鳥羽天皇やひ孫の崇徳天皇の時代
とっても長生き。
このあとは、それぞれの天皇のところでね

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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