[首相]15 若槻礼次郎。2度のピンチヒッターで仕事きっちり

首相シリーズ15人目

若槻礼次郎

島根出身。奥村家の次男として生まれる。
子供の頃は極貧で中学も学費が続かず中退。
それでも学問への夢を捨てきれず、叔父の若槻敬に頼み込んで旅費を出してもらい上京
それが縁で娘さんと結婚し、若槻家に養子に入る。

東京で秀才ぶりを発揮し司法省法学校を経て
なんと、東京帝国大学へ入学
しかも
なななんと、98点5分という驚異的な成績をあげて、首席で卒業。
中学中退、で東大首席卒業ってその後もないんじゃないかなあ。

大蔵省に入省
トントン拍子に出世して、40歳で大蔵次官。46歳で大蔵大臣。

立憲同志会で加藤高明を助ける。

加藤高明が現職にして病死
同じ路線で、ということで、憲政会の総裁を引き継いだ若槻礼次郎が首相に

すぐあと、大正天皇が崩御したため
昭和で初の首相ということになります。

スキャンダラスな事件が事件が相次いで
野党が激しい追求

憲政会(立憲同志会が変わる)、政友会、政友本党の三党首で会談
「しかるべき時に政権交代する」と約束。

ところがいつまでたっても辞める気配がない

どうなってるんだ

ですから「しかるべき時に」

この「ウソつき礼次郎がっ」

時代は第一次世界大戦後の戦後不況に加え、関東大震災で不況の真っ只中。
片岡直温大蔵大臣が
「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と大失言
取り付け騒ぎが全国で起き、責任をとって総辞職した。

ロンドン軍縮会議
田中義一首相を経て、浜口雄幸内閣

ロンドン軍縮会議が行われ
若槻礼次郎は首席全権として各国と交渉
米英に大幅な譲歩をさせる。

若槻第二次内閣
ただ、軍部の反発は避けられず
浜口雄幸首相は、東京駅で襲撃される。

首相を辞任したので、またまたピンチヒッター役が回ってきた。
その後、その時の傷がもとで浜口雄幸は亡くなります。

軍事的に不拡大路線を取るが
関東軍はそれを無視して、満州を勢力下におさめ
満州事変が勃発する。

結局勝手な行動を取る関東軍を押さえきれず、総辞職となる

退陣後
退陣後も平和主義を貫き、軍部を批判し続ける。

第二次世界大戦のポツダム宣言の時も
若槻礼次郎がロンドン軍縮会議の時に渡り合った、スティムソンが
日本に対して色んな配慮をしてくれる事になる。

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です