あぁ山本マサ引退

いつかはこの日が来るとは思っていましたが…。

私、野球は、中日ドラゴンズファンです。
それほど熱狂的ではないんですけどね。

関西人シリーズで当然入るべきタイガースの話題が出てこなかったのはそういう理由です。
関西にいるときは寂しかったです。
中日ファンなんて誰一人いなかった。
関西って、全部タイガースファンと思っておられるかもしれません。
私の子供の頃のことでいうと、半分がタイガースファン。
意外や意外。残りの半分はジャイアンツファンなんです。
王さんとかすごかったころですから。
タクシーとか乗ると、「お客さん、5対3で勝ってますよ」というとタイガースが勝ってるという意味。
半分のジャイアンツファンは負けてるのか、と理解する。
ジャイアンツファンは紳士なのでひっそりと暮らしている。

ちなみに、愛知県出身のカミさんは、ジャイアンツファンです。
というか、原辰徳ファン。

山本マサ(昌)
マサはドラゴンズファンの心のよりどころ。
私は、ドラゴンズが弱いときは、マサの活躍だけに気持ちを集中させる。
50歳で野球選手って一体なんなんでしょう。
25歳の選手の倍っことですもんね。

マサは、若い頃鳴かず跳ばず。
アメリカのキャンプの後、ドジャースとの交換留学生として、アメリカにそのまま置いてきぼりにされる。
交換留学生とは聞こえがいいが、ドジャースとの関係を気づきたい球団の政治的思惑の犠牲。
完全にほったらかしにされる。
マイナー1Aで、中何日もなく、実戦で続けて何日も投げさせられる。
もうむちゃくちゃ。
普通の選手は、肩を壊して選手生命を絶たれる訳だけど、
こりゃアカンと思ったマサは肩を壊さない方法を模索。
結果的には、50歳まで投げられる強靭な肩と投げ方のコツを作り上げる。

言葉で言うとそれだけだけど、考えても見てください。
球団から捨てられたような状況からの這い上がり。
どんなに大変だったろうかと思います。
そんな中で、生涯の恩師アイク生原と出会い、新しい球種を覚えてというドラマが始まっていく。

生まれ変わったマサは、1Aのオールスターにも選ばれ、なんとメジャーリーグからのオファーを受ける。
野茂の7年前。
この時オファーを受けていれば、歴史は違ったものになっていた。
星野監督が投球のビデオを見てやっぱり欲しいと呼び戻し。
ちょつとちょっとそれはどうなの? な訳ですが。
アイク生原の説得で日本へ。

そっからが、まあ長い長い。
チームの柱にはなるが、良かったり悪かったりを繰り返し。
40超えてからは、引退か? 復活、引退か? 復活、を繰り返す。
40超えて何とノーヒットノーランをやったりして。

まあとにかく、ひとつひとつにドラマがありすぎて、ファンはたまらんです。
もう一度、改めてマサの歴史を見てみましたが、出てくる名前が、
中日ファンの中ではおったおったという歴史上の名前ばかり。
そこを現役で生き抜いてきたわけです。

私の中では異次元の人です。

本人が何と言おうが、
私の中では山本マサは永遠に現役です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です