福禄寿と寿老人は同一人物

福禄寿と寿老人は七福神の中では、あまり人気がない
最後にメンバー入り

まとめて2人分解説しちゃいましょう

福禄寿
福禄寿は天がついていないので、インド出身ではありません
中国です
仏教でもありません
道教になります

道教は、民間の信仰を老子が取りまとめたもの

福禄寿って、本来は名前ではないんです。
道教で中心となっている3つの信仰を並べただけ

福は全般的な幸福なんだけど、後継ぎに恵まれ子孫が繁栄していくことに限定することもあるようです。
禄は、財産。経済的に豊かになること
寿は長寿。長生きですね。

福と禄と寿の3つの顔を持つ神様の像が作られたりして、神様の固有名詞っぽくなっていく

そうこうしているうちに、仙人と結び付く
道教では、修行を積むと超長生きな仙人になれる

道教ではさらに占星術も盛んなのだがそれとも結び付く
北半球では北極星はいつでも見られますよね。
南極星といって、滅多に見られず、砂漠の水平線ギリギリに見られることがあるという貴重な星がある。
古くからこれを見ることができると長生きできるという信仰があり、南極老人星と呼ばれている

福禄寿は、この南極老人星の化身であるところの仙人だということになる
次第次第に、その姿も統一化されていく

長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶをもち年齢 千歳という。
鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖をもつ姿が特徴である。

道教では、キリスト教やイスラム教のように唯一絶対の神を信仰するわけではないけれど、
3つの中心的な信仰を一人にまとめちゃった訳なので、
福禄寿だけで、ほぼ全て事足りることになっちゃった。

寿老人
先程福禄寿の姿が統一化と話しましたが、厳密には正確ではありません。
1つに統一化ではなく、2つに統一化

「南極老人星の化身の仙人」という表現を見ると
福・禄・寿のうち、寿の要素しか見えてきませんね。

「南極老人星の化身の仙人」としては2つに姿が統一化されるのです。

もう一方の姿は
にこやかな微笑みをたたえ、手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、鹿を従えた姿

そうです。
寿老人なんです。

福禄寿と寿老人は同一人物です。
正確に言うと、福禄寿の1/3の「寿」だけと寿老人は同一人物です

本当に不思議。
じわじわ、姿形が統一されていくなかで、一つには統一できなかったというのはむしろ自然なことかなとも思う。
でも、明らかに同じ人だってみんな知っている。
色々調べたけど、同一人物だということに異を唱えている人は一人もいなかった。
にも関わらず、七福神の6番目と7番目に入っちゃう

この違和感は、やっぱりあったみたいで、
江戸時代に七福神を解説した本が2つほど見つかっていて、その中では寿老人は入っていない
一つ目は、寿老人の代わりに吉祥天が
二つ目は、寿老人の代わりにショウジョウという猿が入っている

それでも、寿老人を外そうという動きは力を持たず、寿老人で固まっていく。

それだけ、長寿に関しては願いが強いって事なんでしょう。
庶民としては、経緯なんてどうでも良いじゃない。
とにかく長生きしたいんです。
って、そういうことかな。

それで、七でいいの?って疑問については、
いやいや、福禄寿は3人分だし、弁財天なんて何人分よって話かも

まあ、固く考えなさんな、って事ですね

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