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天保5(1834)年12月12日
福沢諭吉は、九州の下級武士の次男として生まれた。
この前、ウォーキングイベントで慶應大学の三田キャンパスを散策し、
福沢諭吉の終焉の地も見てきました。
福沢諭吉と言えば学問のススメ
それ以外にも、歴史検定の勉強の中で出てきた「西洋事情」「文明論之概略」
今日は、「福翁自伝」についてお話しましょう。
福翁自伝
その名の通り、自分の自伝を書いたもの
幼少の頃から現在までを、とくに青年時代を中心に記した本で、
福沢諭吉という人物を知るのには貴重な資料。
ところが、じつはこの本は、彼が書いたものではない。
矢野由次郎という速記者を呼んで、自分の話す内容を口述筆記してもらったもの
明治30年の冬から翌年の春にかけて、ほぼ1週間おきに一度、
4時間ぐらいかけて口述したという。
それを矢野が原稿にして届け、諭吉が手を入れて完成させた。
口述にあたって、諭吉は関係者から取材する など十分な準備をして臨んだという。
それだけに、自分で筆をとったものではないとはいえ、
その内容は彼のほかの著書にもけっして見劣りしない。
こうして完成した原稿は「時事新報」に6回にわたって連載され、
その語り口が大きな人気を呼んだ。