東大寺に行ってきました。その2

東大寺に行ってきました。その1
の続きです。

大仏
さあ、いよいよ大仏殿

大仏を作ることを指示したのは聖武天皇

聖武天皇の時期は、日本史上最も過酷な時期
飢饉に加えて、疫病が大流行
人口が3分の1になってしまうという信じられない状況

そんな中で聖武天皇は、ノイローゼ気味
政務をほっぽらかして蒸発しちゃった
天皇はいずこ

一方、行基(ぎょうき)
行基は、体ひとつで各地を転々として、人々に仏教を布教
あまり熱狂的に行く先々で人々に受け入れられているので
危険人物として捕らえられたりもしている

放浪している中で聖武天皇は行基に出会う
行基は各地で道を普請したり、橋を作ったり
自分一人の力では無理なので
それぞれの地の民衆の力を結集

行基の事を完全に勘違いしていた。
これが行基という男なのか

俺はいったい今まで何をしていたのか
行基に学ぼう
本来の仏教の力にすがろう

大きな大きな仏像を作るんだ
行基のやり方で
そう
民衆の力を結集すればどんな事だってできるはず

たとえ一枝の草、ひとつかみの土でも良いから集まって来てほしい

責めはわれ一人にあり


大仏殿
木造建築で世界最大級の大仏殿

この正面の窓は、年に一回、大晦日から元旦にだけ開き
外から大仏様のお顔が見れる
大晦日に行ったので期待したのですが
大晦日と行っても、晩の0時かららしい
残念

大仏様もさることながら
この大仏殿の大きさに完全に魅了されてしまいました。

南大門は焼き討ちにあって、鎌倉初期に再建されたと書きましたが
大仏殿は、その後もまた朽ち果ててしまい
江戸時代には大仏様が野ざらしになってしまっていました。

公慶(こうけい)が貞享元(1684)年、大仏修理のための寄付集めをして修理

さらにもっと大変だったのが大仏殿の再建
5代将軍綱吉とそのお母さん桂昌院がいっぱいお金を投入
また、聖武天皇の時の考え方
たとえ一枝の草、ひとつかみの土でも良いから集まって来てほしい
という呼び掛けもしました。

ただ、最初の大仏殿の大きさまでは無理で
高さは一緒なんですが、横幅が3分の2

当初の大仏殿

江戸時代再建の大仏殿

それでも、何度も何度も見上げて
ようこんなもん作ろう思うたなあ
とつぶやきました


柱の穴くぐりは感染症対策で中止でした

残念

前の庭もとっても綺麗

東大寺に来ても大仏さんだけ見て帰っちゃう人大勢いるんでしょうね

でーこんたるもの、そんなことはいたしません。
さあ、ここからだ

国宝や重要文化財だらけの東大寺
まだまだいっぱいですぞ

境内内にあったお蕎麦屋さんで腹ごしらえしたあと

法華堂
まずは法華堂

東大寺の中で最古の建物
当然のように国宝

そして、ご本尊の不空羂索観音も四天王たちも国宝
(これも写真NGだったのでパンフレットから)

そして、東大寺の仏像で、大仏様の次に有名な執金剛神像(しゅこんごうしんぞう)
これは、おそらくそのレプリカであろうものが東大寺ミュージアムにありましたが
本物は年に一回だけ12/16に公開されます。
これも本から

まだまだありますので、またここまでで区切りまして
続きは明日

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

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