[三十六歌仙]26 斎宮女御。あの調べ

三十六歌仙シリーズです
三十六歌仙で5人しかいない女流歌人です

斎宮女御

袖にさへ 秋のゆふべは しられけり きえしあさぢが 露をかけつつ
袖にさえ秋の夕暮はそれと知られます。
浅茅の露のように儚く消えてしまわれた帝をお偲びしては、涙を注ぎかけて。

三十六歌仙シリーズでは、斎宮にかかわる歌を2首紹介しました。
皇室の娘が、伊勢神宮へ行って神に仕える
若い女性なのに男性関係を絶たなきゃいけない
悲しいドラマがもろもろ

という事でした。

いよいよ今回、斎宮本人です。
歌も「袖」から始まっています。
「袖」が入っていれば泣いているに違いありません。

さぞや哀しい運命を憂いて、と思いきや
ちょっと状況が違います。

徽子(きし)女王。重明親王の長女です。
承平6年(936年)9月12日、5月に急逝した斎宮・斉子内親王(醍醐天皇皇女)の後を受けて、
8歳で伊勢斎宮に卜定されます

10歳で伊勢へ群行
天慶8年(945年)1月18日、母の死により17歳で退下、同年秋帰京。

10歳から17歳までですからダメージは少ない
何とか女盛りには間に合いました。

厳密なルールだと、斎宮になった女性は独身を通すことになりますが
なんとこの人、叔父・村上天皇に請われて20歳で入内。
天暦3年(949年)4月7日、女御の宣旨を受けます

結構ルーズなルールだったんですね
良かった良かった。そんなルールはルーズな方がよろしい。

斎宮出身の女御は、史上二番目
斎宮女御と呼ばれます。

規子内親王(第4皇女)を産みます。
村上天皇の崩御後は源順、大中臣能宣、平兼盛ら著名な歌人たちが
徽子女王・規子内親王母娘の元に出入りして度々歌合せなどを催し、
村上天皇朝の歌壇を引き継ぐ風雅のサロンとして評判を集めることになります。

鑑賞
袖にさへ 秋のゆふべは しられけり きえしあさぢが 露をかけつつ
袖にさえ秋の夕暮はそれと知られます。
浅茅の露のように儚く消えてしまわれた帝をお偲びしては、涙を注ぎかけて。

村上天皇が亡くなったあと、村上天皇の娘(規子内親王ではない)が訪ねてきたとき
天皇の事を思い出して歌った歌

それでは、村上天皇と斎宮女御の歌のやり取りを何首か
【村上天皇】
斎宮女御にまだ会っていない時

吹く風の 音にききつつ 桜花 目には見えずも すぐる春かな
(風の噂にばかり聞きながら、美しい桜の花を目には見ることができずに春を過ごしていますよ。)

【斎宮女御】
その返歌
逢ふことは いつにかあらん 明日香河 さだめなき世ぞ おもひわびぬる
(あなたに逢うのはいつになるのだろう。「昨日の淵ぞ今日は瀬になる」と歌に詠まれた明日香川ではないが、明日はどうなるか知れない人生を思って嘆いてしまうよ。)

【村上天皇】
入内後
思へども 猶あやしきは 逢ふ事の なかりし昔 なに思ひけん
(いくら思い巡らしても一層不思議でならないのは、あなたと逢うことのなかった昔、自分は何を思って過ごしていたのだろう、ということだ。あなたと逢うようになって以来、あなたのこと以外何も考えられなくなってしまったのだから。)

いわゆる後朝の歌。結ばれたあとの朝に読む歌の事です。

【斎宮女御】
その返歌
昔とも 今ともいさや 思ほえず おぼつかなさは 夢にやあるらむ

それでは、斎宮女御で最も有名な歌。
斎宮女御は娘と共に、五弦琴の名手として知られています。
娘がまた自分のように斎宮となり、嵯峨の野宮に入りました。
その寂しい場所で歌会が催されました。
聞こえるのは、松に吹く風の音のみ

琴の音に 峰の松風 かよふらし いづれのをより しらべそめけむ

松風には琴の調べが宿ると聞いている
それがこの音なんだろうか
そう
あの時二人で奏でた調べ

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

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