[天皇]98 長慶天皇。即位したのかなあ、しなかったのかなあ

長慶天皇
1368~83年 南朝

第98代・長慶天皇もその前の同様、何度も何度も幕府軍の攻撃を受け、
たびごとに行宮をかえ、各地をさすらっていた。

だから、即位したのかしなかったのか、 長い間疑問視されてきた天皇である。

細川頼之軍の攻撃を受け、
長慶天皇が天野山金剛寺から大和の吉野山に行宮を移したのは、
文中2年(応安3年) 1373年3月ごろだった。
ちなみに元号を2つ書いているのは、南朝と北町で別々の元号を使っているから

このとき忠臣・ 四条隆俊も殺されている。
その後、また移った。 大和宇智郡五条付近の栄山寺である。
この栄山行宮が天授5年(1379)から、弘和2年(1382)のころだった。

楠木正儀が南朝方に帰順して、北朝側の山名氏清と戦っていた弘和2年(永徳2年)ごろ、
長慶天皇は参議に任じている(その翌年である、という説もある)。

その翌年の3月、天皇は皇太弟の熙成親王に皇位を譲り、太上天皇となった。
この後もずっと南山の御在所にいて、応永元(1394) 年8月にここで崩じた。

長慶という追号さえも仮で、その御在所の寺名だったと伝わる。

即位説をとったのは、水戸光圀の大日本史
この紋どころが目に入らぬか

対して非即位説をとったのが
あの新井白石や塙保己一(はなわほきいち)

超大物通しが真っ二つに分かれましたね。

明治になってもまだ決着がつきません

1911年(明治44年)3月に明治天皇が南朝を正統とする勅裁を下した際も
在位認定されないまま

大正15年(1926)年、
ついに八代国治・武田祐吉両博士の研究の結果、在位が確かになった。

めでたしめでたし

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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