難波宮に行ってきました

(12/29の事です)

関西に帰ってきています。
12/28に父さんの加古川に泊まり
12/29に長女のところへ
午後2:30に行くという約束なので、それまでは大阪の名所に行きましょう

難波宮(なにわのみや)跡
GoogleMapを見ていると、難波宮跡というのがあります
おおおっ、そのようなものがっ
ぜひ行かねば
最寄りの駅は森ノ宮
大阪城の隣です
さらに近くに大阪歴史博物館というのもある

大阪城はおそらく時間がかかりすぎるだろうから
時間があるときに行くとして
難波宮と大阪歴史博物館でなんとか2:30までに間に合わせよう

難波宮って何かというと
奈良と京都に都があったのは有名ですが
実は大阪にも都があった
それもなんと2回も

1回は大化の改新の後、孝徳天皇の時
2回目は聖武天皇の時

行ってみて初めて分かったのですが
2回目も1回目と同じ場所に作り直しています
赤い色が前期の建物
青い色が後期の建物

緑色が公園になっている部分

思いっきり広い公園



改めて、都のすごさを感じます

ただ広いだけじゃなく、発掘しての柱の跡がマークしてあります
公園の領域内では後期の大極殿が最も大きく中心になる
そこには土台まで作ってあります
これまたでかい




発掘の時はこんな感じ

回りの建物も柱の位置がマークしてあります
前期と後期があるので区別されていて、赤色が前期


白色が後期

空から見たものをネットから引用すると

どんな建物だったかのジオラマはこう

あらかじめ言ってしまうと、
大阪歴史博物館は年末休館だったんだけど
大阪歴史博物館の10階にはかなり詳しく難波宮の解説がなされているらしい
そもそも、大阪歴史博物館の土地自体が難波宮の遺跡の上に建っているので
地下には、その遺跡が残してあってガラス越しに見れそう
10階ではさっきの大極殿の中が実物大で再現されているらしい


大極殿はこんな建物

前期の八角堂はこういう建物

公園ではこうなっています

発掘された遺物も色々展示してあるらしい
これは何としても、開館している時期に再度行かないといけません

改めて、前期と後期についてお話ししましょう
前期
前期は大化の改新後に開かれた都

中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蘇我入鹿(そがのいるか)を殺した乙巳の変(いっしのへん)に始まります
その後、難波宮が都として定められます
難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)と呼ばれています
そこで行われた政治改革が大化の改新なのです

中大兄皇子の母親皇極天皇がその時天皇だったんですが、
乙巳の変で退位
中大兄皇子に譲りたかったんですが、中大兄皇子は天皇にならなかった
仕方なく、皇極天皇の弟孝徳天皇が即位
中大兄皇子は皇太子になった
最初は二人で協力しあって改革を進めていっていたんですが
次第に不仲になります

中大兄皇子は飛鳥に引っ越しましょうと提案
孝徳天皇は、
そりゃまたなんで?莫大な費用をかけてこんな立派な難波宮が出来たところじゃないですか

あっそう。じゃあここにお残り下さい、と中大兄皇子は飛鳥に引っ越しちゃった
ところがなんと家来たちがほぼ全員飛鳥に引っ越し
孝徳天皇の奥さんまでもが飛鳥に

こんな広いところに残ったのは孝徳天皇とほんの数名
寒いよね。掃除どうする?
失意の内に孝徳天皇は亡くなってしまいます

そこまでしたなら、中大兄皇子が天皇になればいいものをならず
仕方なく、皇極天皇が、もう一度天皇に返り咲き。斉明天皇と名前だけ変えます
ようやくそのあと、中大兄皇子は天智天皇となります。

後期
後期は聖武天皇の時期

聖武天皇が精神的にちょっとおかしくなっていた時期

平安京で落ち着くまでは、天皇が変わるたびに都も変える時代だったので
天皇が変わるタイミングで都が変わるのはなんとか理解できるのですが
聖武天皇については、放浪癖があって、在位期間中に都をコロコロ変えるわ変えるわ
その中の一環です
その後、反省したのか、平城京で落ち着き、奈良大仏を作るという大事業を行うことになります

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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