推古天皇は聖徳太子よりえらいから2万円札?

女性天皇シリーズは、何と言っても初代女性天皇推古(すいこ)天皇でしょう。

背景
まずは、ベースのベースである社会制度的なことですが
1.一夫多妻制である
2.基本、皇位継承は、慣習的に兄弟継承が原則である
3.生前に皇位を譲る(譲位)ことは前例がない
ということです。
長男が継ぐと決まっているわけでもないし、
一夫多妻制の元では、長男と言えども、どの長男?てのがある訳です。

一言で言うと、ルールがはっきりしていない。
ただ、範にしている中国は男性しか王位につかないので、男性なのかなあという感じ

さあ、こういう状態で何が起こるか
自分が天皇になりたいとする。
お兄ちゃんがいる
殺そう、となる訳です。

兄弟殺しのどろどろの歴史が繰り広げられていた時代と思ってください。

欽明(きんめい)天皇没後から
そして、欽明天皇がなくなります。
欽明天皇は3人の妻がいます。
それぞれにいる子供合わせて6人
日本書紀には22人いることになってるんですが
それ以降6人以外全く名前が出てこないので幼少の内に死んじゃったかも知れません
話をややこしくしないため6人ということにさせてください。
面白いのは、異母兄弟だったら結婚してもいい感じになっていて
6人の内、2組みの夫婦がいます。

まずは、敏達(びだつ)天皇が即位。
この敏達天皇の妹かつ奥さんが推古天皇です。

敏達天皇が死んで、次に用明(ようめい)天皇
欽明天皇は3人の妻の内、1人は蘇我(そが)氏一族です。
その蘇我氏の子供である用明天皇に順番が回ってきました。
さあ、蘇我氏が力を増していきます。
実は同じ蘇我氏のお母さんの子供が推古天皇です。
あとで出てくる、聖徳太子(しょうとくたいし)は、この用明天皇の子供です。

この辺ずっと、蘇我馬子(うまこ)は大臣(おおおみ)です
このころ、もう一人の兄弟、穴穂部皇子(あなほべおうじ)が蘇我馬子に殺されちゃっています。
ここも日本書紀に変な事書いてあります
額田部王女(推古天皇のこと)の命令で蘇我馬子が殺させた。
まだ天皇でもない、前の天皇の奥さんだっただけの人がそんな命令するんだろうか
ひょっとして、この頃から推古天皇はかなりの実力者だったのか。
穴穂部皇子って推古天皇を強姦しようとしたことがあるから、推古天皇としても
殺したかったかもしれません。

用明天皇も死んで、今度は崇峻(すしゅん)天皇が即位
お母さんは蘇我氏ではない。

最初は良かったんですが、崇峻天皇が、蘇我馬子を疎んじるような発言をした。
怒った蘇我馬子はクーデターを計画します。

天皇継承候補者間での兄弟殺しは横行していた時代。
ただ、初めての臣下が天皇を殺すというのは前代未聞。
白昼堂々、政治的儀礼の場で行われた。

残っているのは
残っているのは、推古天皇を含む2人の女性だけ

孫の世代まで行くと男性はいるが、20歳の聖徳太子をはじめとし、いずれも若い
そこで、蘇我系の聖徳太子を将来天皇にすべく、
同じく蘇我系で、敏達天皇の妻として天皇の政治を理解している推古天皇が
聖徳太子のサポート役を兼ねた形で即位。
ちなみに聖徳太子とは後世に付けられたあだ名みたいなもので、歴史の本では厩戸皇子(うまやどのおうじ)と書いてありますが、このコラムでは、分かりやすい聖徳太子で通しますね。

ここに、初の女性天皇が誕生することになります。

何をしたか
ここからは学校で習った通り、華々しい実績を残します。
冠位十二階や十七条憲法や遣隋使。

どれだけすごいかと言うと、お札になるくらい。
あれれ、それは聖徳太子でしょう?

問題はそこです。

蘇我馬子、推古天皇、聖徳太子
この3人のトロイカ体制であったとは思われます。
誰が、どの程度のウェイトで色んな政治や、仕組み作りにかかわっていったのか

蘇我馬子はかなりかかわっていたでしょうが、自分がやりましたとはやっぱり言えません。
影の立場を貫くしかない。
ここは、おいておくとして
推古天皇、聖徳太子の実際に関わった割合。

なぜ、聖徳太子がやった、と今まで言われてきたかと言うと
日本書紀にそう書いてあるからという理由。

日本書紀って中国向けの漢字で書かれた書物。
中国は、当時、男性しか絶対に認めていなかったので
日本書紀を編纂させた持統天皇が、遠慮して脚色したのではないか。

最近の研究では、どんどん、推古天皇のウェイトが高いのでは、となってきているようです。
極端な説では、そもそも、聖徳太子はいなくて、存在自体が脚色なのでは、というのまである

最大の謎はそんなに聖徳太子が実力者なら、なぜ聖徳太子は天皇にならなかったのか
結局、聖徳太子より、推古天皇の方が長く生きたので、聖徳太子は天皇にならずじまい
もちろん、最初話したように、譲位の前例はないけど、推古天皇さえその気になれば
できないことではない

ここで、ひとつ疑問が沸きます。
推古天皇は本当に、聖徳太子に次譲るためのピンチヒッターだったのか

蘇我馬子としてはおそらくそうです。
蘇我馬子の子供を聖徳太子に嫁がせている
次は何としても聖徳太子に。

でも、実は推古天皇には竹田皇子という実の息子がいる。
次を聖徳太子でなく、竹田皇子にと思うでしょう。
そのためには1つしか方法がなかった。

自分が天皇になること。
そうすれば、天皇の長男、竹田皇子が次期天皇になる。

すなわち、蘇我馬子の思惑より、推古天皇の思惑で、推古天皇は誕生した。
蘇我馬子の力が強ければ、20歳であろうが聖徳太子は即位させられたはず。
蘇我馬子を押し退けて、私がやるって言えば実現できるほどの実力者だったのではないか。

残念ながらその計画は、推古天皇即位後3年ほどで
竹田皇子がなくなってしまい
ついえてしまうのですが。
そんな推古天皇が、聖徳太子をそんなに立てますかね、と。

そう、実は色んな業績は全部推古天皇がやった、ってあり得るなと思うんです。
次2万円札が出来た暁には、是非推古天皇でお願いします。

いずれにしても、推古天皇が先鞭をつけてくれたので
続々と、女性天皇が現れることになります。

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