(8/15の事です)
孫の新盆です
長女の旦那様の実家でお坊さんに来てもらってお経
お坊さんにお盆のそもそもの由来を聞いたので紹介します
盆は「盂蘭盆経(ウラボンエ)」が省略されたもの
お釈迦様の十大弟子の中でも舎利弗(しゃりほつ)とともに特に優秀だった目連(もくれん)尊者
目連は神通力が使えるので、自分の亡くなった母親を見に行きます
すると母親は餓鬼道に落ちており、逆さ吊りになっていたのです
まさかっ
なんであんなに優しかったお母様が
生前、水を請われた時に、一人分しかなかったため
大事な息子にあげるものだから、と断った事があるから、でした
目連はお釈迦様に相談したところ
7月15日に全ての僧侶を集めて供物をささげ、お母様を供養なさい
その日はひたすらにお母様の事を思いなさい
お陰でお母様は救われました
サンスクリット語で「ウランバナ」は逆さ吊りという意味です
お墓参り
新宿区でのお経が終わり、相模原にあるお墓に移動しました

無事に供養も終えました
峰山墓地という墓地なのですが
GoogleMapを見ると、近くに勝坂遺跡というのがありました
ええっ、勝坂?
色んなところで縄文土器を見ますが、形状のパターンで
加曽利式とか勝坂式とかいう名前が着いています
加曽利式、勝坂式は特に良く見る名前でした
その勝坂なのか
これはぜひ見に行かねば
みんなと別れたあと、勝坂遺跡を見に行きました
結論的に言うと、期待していた土器の展示はなかったので
ネットから拝借
関東中部における、縄文時代中期の土器

渦巻き等の模様が全体に施された、厚手の土器



土器はなかったものの、とても広い遺跡公園



所々に解説パネルがありました

クリを人為的に栽培していたとありました
クリの木が植えてあったので、その辺りを再現したのでしょう

廃絶住居の窪地

この話は初めて聞いたので、勉強になります
当初縦穴式住居だったものの、途中で使われなくなったもの
窪地として残るのですが、ゴミ捨て場として使っていたようです

2つ、縦穴式住居もありました



驚いたのがもうひとつの縦穴式住居
草ぼうぼうに覆われてしまっています
さっきのは茅葺きですが、こちらは土葺き
要は、屋根の上に土を乗せてあります



そういうと、先日ウォーキングイベントでも行った下野野遺跡の縦穴式住居も土葺きでした

土葺きだとすると、こんな風に草ぼうぼうになる方が自然です
屋根に昇って草むしりは難しいですから
江戸東京たてもの園で縦穴式住居を作る際
当時の道具のみを使って作った時のレポートを以前読んだんですが
実は建物式住居の建築資材って、そのまま残っている事はなく、想像に過ぎない
茅葺きだった証拠は何一つ無いそうです
実際に当時の道具で作って見ると、屋根を茅で葺くのはかなり大変で
木の皮で葺く方が楽。今の檜皮葺(ひわだぶき)のような感じ
であれば、木の皮を押さえるため、さらにその上に土を乗せたのかも知れません