10/2[水]の事です
脱腸の手術後、経過観察の外来
大きな病院なので平日しかやっておらず
会社をお休み
30分ほど歩いて行きました
手術した箇所の回りは、まだしびれていて
ヒリヒリする感じもあり
時々ピリピリっと来てイテテテテ
どうでしょうか
診ましょう
はい、大丈夫ですね
今のその症状も徐々におさまっていきますよ
安心してください
良かった良かった
お墨付きをもらえました
13:30くらいに終わりました
そのまま、帰っても良かったのですが
せっかくお墨付きをもらった訳だし
いくら歩いても大丈夫だと言うことなので
(そういう表現はありませんでしたが、言外に私が感じたニュアンス)
ちょっと遠回りしようかな
ハンセン病資料館
病院から歩いて行ける範囲に、ハンセン病資料館があります
ずっと以前から知ってはいましたが、とても重いテーマなので
正直足が向いていませんでした
やっぱり、行こう

中は写真は大丈夫でしょうか
原則ダメなのですが
こちらの申請書に記入いただいて
一つ一つの展示物が特定できない、引きの撮影なら大丈夫です
はい。申請書書きます
いかに自分がハンセン病について分かっていなかったかが、よく分かりました
まずは、ハンセン病とは何か、から
ハンセン病
昔は「らい病」と言われていました
およそ1400年も前から日本にあった病気です
病気にかかった人は強烈な差別を受けてきた
神様を信じなかったせいだとか
人の不幸を引き受ける役目だとか
親から子へ引き継がれるのだとか
今は間違いである事が分かっています

らい菌という菌による慢性の感染症です
コレラやコロナのようにすぐにうつる感染症ではありません
らい菌は感染力が非常に弱いことが特徴で、
主に免疫力が弱い乳幼児の頃に多くのらい菌が繰り返し体に入り込んだときに感染し、
大人になってから病気などが原因で免疫力が弱くなったときに症状が出てきます
1947年、プロミンという治療薬が開発され、完治できる病気になりました
今の日本では、ハンセン病にかかる人はほとんどいず、年に数人程度です
ならば過去の病気だから、とならないのは
ほんのつい最近まで「政策」として行われてきたことによります
強烈に差別されてきた歴史の中でも
キリスト教や仏教の指導者の一部が、患者救済のための療養所を作るということもありました

ノルウェーの医師、ハンセンが遺伝ではなく、らい菌による感染症だと発見したのは良いのですが
1907(明治40)年に「癩予防ニ関スル件」)が成立し、
療養の方法がなく屋外で生活している患者(放浪患者)を療養所に隔離することが定められます
昔の、純粋に患者救済のためであった療養所が、おかしな方向に向かっていくのですが
まだこの頃は放浪患者が中心ではありました
1931(昭和6)年に「癩予防ニ関スル件」が改正され、
全ての患者を本人の意思にかかわりなく強制的に隔離できるようになります。
「強制隔離」はここから始まりました。
どんどんエスカレートしていき
無らい県運動といって、療養所に入っていない患者をゼロにしようと競い合い
患者を見つけると、ドアに丸い印がつけられた事もあります
「強制隔離」は「絶対隔離」になる
自然治癒で治ることもあるのだが、それでも療養所を出られる事はありませんでした
家族が差別を受けるので、家族との関係は根絶させられ
時には、名前さえ変えさせられる
療養所で死を迎え、家族の墓に入ることもなく、療養所の納骨堂に納められる
要するに、社会からなきものとして抹殺される
中では強制労働、過酷な労働で病状を悪化させ亡くなった人もいます
ただ、基本的にはやることがない
一生でられず、囲碁とか将棋とかで時間をつぶす

遺伝じゃないことが分かっているのに、子孫を作る事は許されない
断種手術や中絶をさせられる
途中から療養所内での結婚が認められるようになるが
一緒に暮らせる事はなく、部屋は別々
夜だけ男性が女性の部屋に通う通い婚
子供ができない手術を受けている前提
言うことを聞かない者を入れる監禁室
群馬県では、その中で23名が亡くなったという記録が残っています

なぜこんなことを、国がやっていいのでしょうか
そんな中でも精一杯の娯楽を見つけ、ひな祭りをし、
歌舞伎を企画して、それぞれ役者になって発表会を開いたりしている

生きていたんだとの証を残すため
焼き物や絵画等の芸術作品を残している


最もショックだったのが、1947年より後です
太平洋戦争が終わり、プロミンが開発されて、治る病気になった
療養所は解散のはず
でも、まだ続くんです
おかしい
ここから「変えていく」事を患者さんたちが団結して行わなければならなかった
療養所内での自治を認めよとの運動
らい病をハンセン病に変える病名変更
ようやく1996年です
らい予防法が廃止
隔離政策が終わるのがここまでかかった
全て、患者さんたちの運動によって勝ち取った
その後、1998年、患者さんたちが団結して
国が間違った政策を行ったということを認めさせるための損害賠償請求訴訟を起こす
2001年、熊本地裁で一審判決
国が有罪
時の小泉首相が控訴を断念して、判決が確定した

続いて、家族たちも含めて起こしたハンセン病家族訴訟
2019年またも国に有罪判決

つい最近なのです
受付のスタッフさんに撮影特別許可証を返す
何かを言いたかったけど、一言しか言えなかった
言葉になりませんね