[ことば日本史]もとのもくあみ

ことば日本史、戦国時代から

もとのもくあみ
戦国武将、筒井順昭(つついじゅんしょう)は、若くして不治の病におかされる
跡継ぎの順慶はまだ3歳の幼児。

しばしば看病や琴をひいて慰めるために、城に出入りしている盲目の法師を思い出した。

あの木阿弥と申す法師は、確かに自分とうり二つ。
木阿弥を影武者に仕立てあげ、死後3年間は自分の死を隠し通し、外敵の侵略を防ごう

この作戦うまくいき、3年間隠し通し、順慶は6歳で跡を継ぐことができた

お役御免
木阿弥は多くの褒美をもらい、古巣の奈良・角振(つのふり)町へ戻っていった。

とはいえ、帰って来れば、元の木阿弥、名もない一介の盲目の法師にすぎなかった。

これは『天正軍記』に記された「もとのもくあみ」の語源説。

説はほかにもあって、
たとえば、ある男が妻と別れて山にこもり木食修行をして木阿弥と呼ばれていたが、
修行をまっとうできずに妻のもとに戻ったので、
世間の人々が「もとの木阿弥」と嘲笑した。
それが語源であるという説が
仮名草子『七人比丘尼』にあるなど、諸説あって確かなものはない。

やっぱり「もくあみ」と言えば頭に浮かぶのは河竹黙阿弥
幕末から明治にかけての超売れっ子歌舞伎作家

河竹新七の名で、バンバンヒット作を発表、売れに売れる
飛ぶ鳥を落としまくっていたが
本人は、もう十分です、疲れました、とばかり引退を宣言
名前も河竹黙阿弥に変更
売れたけどもとの黙阿弥さ、ってところ

ところが、時代がそれを許さなかった
ちょっとだけ書いてくれない?

えっ、もう新七じゃなくて黙阿弥なのよ

良いじゃないですか
新七じゃなくて黙阿弥として発表すれば分かりゃしない

そうかなあ、じゃあちょっとだけ

これがまた、大ヒット

黙阿弥さん、あとひとつだけ

ええっ?ひとつだけね

とか言いながら、新七時代よりもっと売れに売れる

独特の七五調の名台詞
歌舞伎の台詞で思い浮かぶのは、だいたいこの人の作品だと思って良い
「知らざあ言って聞かせやしょう」
「月も朧(おぼろ)に白魚の」「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」
「問われて名乗るもおこがましいが」
「しがねえ恋の情が仇(あだ)」「死んだと思ったお富とは、お釈迦様でも気がつくめえ」
「絶景かな、絶景かな」

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

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