ことば日本史、戦国時代から
火蓋を切る
天文12年(1543)8月23日、
その前夜からの台風でボロボロになった一隻の帆船が、種子島(たねがしま)に漂着した。
ポルトガル人商人を乗せた明の船だった。
修理のために受け入れてくれる港を求めて北上してきたという。
船は、前之浜から領主のいる赤尾木の津へと曳航され、そこで修理することになった。
修理する間、乗員百数十名は、慈遠寺に宿泊した
その時、種子島の島主は、16歳の種子島時尭(ときたか)
先代の恵時(しげとき)は屋久島と種子島の二つの島を持っていたのだが
争いに敗れ、屋久島を手放して引退することで許された
時尭が新しく島主になった5ヶ月後に船が漂着してきた
時尭はポルトガル人の持ち物に感心を持った
それ何?見せて見せて
火縄銃だった
これはすごいもんだな
時尭自身が、撃ち方を教えてもらって練習
これさえあれば、屋久島を取り戻せる
すぐに、同じものを作れと命じた
命じられた家臣たちは、寝る間も惜しんで試行錯誤
ポルトガル人がいる間に何とか作らねばと
色々質問しながら頑張った
見事、6ヶ月後には完成
以後(15)よさん(43)か鉄砲伝来
恩を感じたポルトガル人
帰国後、鍛冶屋を連れて再び訪れ、さらに細かい技術を伝授した
鉄砲のおかげで、屋久島を取り返す事ができた
その後、鉄砲の製法は、堺の商人、橘屋又三郎が種子島で学んだ後、
堺に伝えて、そこから各地に広まっていった。
火蓋

火縄銃の、火皿をおおう蓋が「火蓋」である。

火縄銃は、次のような手順で発射した。
1.銃口から、規定量の黒色火薬と鉛弾とを入れて、込矢で突き固める。
2.火蓋を開き、点火薬を火皿に注ぎ、火蓋を閉める。
3.火挟の竜頭に火縄をつける。
(ここまでが準備である。次にいよいよ射撃にあたっての操作。)
4 左手に銃床を支え、火蓋を開ける。このことを「火蓋を切る」という。
5.銃尾を右手に握って照準を定める。
6.引き金を引く。
これで、火縄の火が火皿に入って点火薬を発火させ、
薬室内の装薬に引火して爆発、弾丸が発射される。
次の弾を撃つには、1から繰り返さねばならない。
この一連の操作のうち、いよいよ撃つぞというときにするのが「火蓋を切る」
そのことから、戦闘開始の意味にもなったわけだ。