[縄文] 縄文人は生きている
の続きです。
わが東久留米市の小学生たちが、地元で発掘された縄文遺跡(新山遺跡)に触発され、
卒業記念に縄文時代の版画集を、専門家の先生を招いて説明を聞きながら作った
その先生は出来栄えに感激して本にして出版したのが「縄文人は生きている」
その本から引用しつつ、縄文時代についてお話していこうと思います
縄文人の生活の舞台
縄文時代になって、人びとは生活に適した場所に一定の期間住みつき、
定住生活をはじめた
そして、竪穴住居はいくつかが集まって、集落をかたちづくっていた。
今日でいうムラの原形である。
それは時代がくだるにしたがってイエの数を増し、大きなムラとなった。
約2万年前から1万8000年前は、氷河時代最後のたいへん寒い時期であった。
しかし1万年前頃をさかいとして、気候はだんだんと暖かくなってきた。
それとともに、西日本の海岸地帯の落葉広葉樹林(コナラ・クリ・ブナ・トチノキなど)と、
さらにその南からは照葉樹林(シイ・カシ・クスノキ・タブなど)がだんだんとひろがり、
いまから約六〇〇〇年前ごろまでには、落葉広葉樹林は東北地方全域、そして照葉樹林は関東地方までひろがり、今日の日本列島の植生が定着した
縄文人はムラをつくるために、この深い森林を切りひらいた。
そして、日常の生活にかかすことができない燃料や建築材などの木も、
ムラの周囲の森林から切り出したため、そのあとは明るいひらかれた空間となった。
そうした場所をこのむクリやクルミは、二次林として成長したし、
フキ・ウド・ミツバ・ワラビなどの植物も成長することができた。
これらはいずれも、縄文人が重要な食料資源としてきたものである。
定住は縄文人にとって、思いがけない幸をもたらした。
縄文人は川や湖にめんした台地の上にムラをつくり、
ムラの周囲にはひらかれた二次林、そのおくには深い森林があるという風景の場所を、
その生活の舞台としたのである。
ムラづくり
1旅の一行がさしかかる

縄文時代は自然物にたよる採取経済社会であったために、
人口の増加や環境の変化などによって、ムラびとたちの食生活をささえるだけの、自然のめぐみをえられなくなることがたびたびあった。
こうしてムラびとたちは住みなれた場所をはなれて、新しい土地をもとめて旅にでる。
「もうすぐだ、がんばろう」ムラの長の言葉に勇気づけられて、
人びとは一歩一歩大地をふみしめて歩いていく。
縄文時代のムラの移動は、あてもなくさまようような放浪の旅ではない。
日常生活のなかでたまたま狩りに出かけた土地や、
ふだん交流していた遠くのムラも知っていたから、いざムラをはなれる時には、
次の住いの場所はどこがよいかという土地勘は、きっとあったにちがいない。
2川を見つけた

縄文人は川やわき水のある近くにムラをつくって住んだ。
きれいな水はムラびとたちの貴重な飲み水であった。
川には魚もかりよういたが、そこには動物たちも水を飲みにくる。
狩りや漁にとっても格好の場所であった。
「わあ!きれいな水だ。ほら、あそこに魚もいるぞ!」
旅をしてきた人びとはこの土地が気にいった。
3ああおいしい

武蔵野台地は、水の少ない土地だが、標高が50メートルから60メートルのあたりには
たくさんのわき水があり、そこからわいた豊かな水が集まって、いくつもの川が流れている。
そのひとつが黒目川
縄文人もこの水でのどをうるおし、生活をするうえでの貴重な水資源としていた。
4がけのうえにはい上がる

わき水のある川に面した台地のうえは、ムラをつくる場所に適していた。
広い平らなところがあって、日あたりや風とおしがよい
まんがいち、台風や大雨で川があふれても、ムラのなかまで水がはいってくる心配はない。
高台は川に水を飲みにくる動物の動きを知るのにもぐあいがよく、
なによりも見はらしがよかった。
「このうえだ!さあ、のぼろう」
こうして新しいムラの場所にたどりついた一行は、
きれいなわき水と川を見おろす高台によじのぼった。
まだまだ続きます。
この続きはシリーズの次回