北区を歩きました
北区を歩きました、の続き
の続きです
中里遺跡
ここ、前から行きたかったんです
地図を見ると近いように思えたけど
新幹線と在来線の線路を越えないといけない
随分戻らないと越える橋がない
ひえーっ
自転車借りといて良かった
歩きだったら諦めている距離
中里遺跡は、ひょっとして全国でもここだけなんじゃないかという
レア中のレアな貝塚の遺跡
日本で最初に発掘された大森貝塚の9年後に発見された。
通常、貝塚は、縄文人が暮らした集落の中にあり、縄文人が食べた貝の殻を捨てたごみ捨て場
ところが、この中里遺跡では、縄文人が使ったとされる土器がほとんど見つからなかった
縄文人が住んでいた訳じゃないのに、貝殻がいっぱい
不思議だあ
本格的な調査が行われて色んな事が分かってきた
1.ここは昔の海岸であったこと(内海)
2.わずかに出土された土器から、時代はやはり縄文時代であること
3.通常の貝塚とは桁違いの、超大量の貝殻があり、1kmにも及ぶ巨大貝塚、貝殻は大きなものがほとんど
4.貝を大量に加工したと思われる道具がいくつも見つかった
5.ほぼ完璧な丸木舟が見つかった
それまで、縄文時代の人の暮らしは、川沿いに住んで、集落を作り、ほぼ自給自足の生活だと思われていた
中里遺跡で、そのイメージが覆る
ここは、貝の加工を行う巨大な工場
職場であって、働く縄文人たちは、ここで暮らしている訳ではなく、周辺の集落に住み、通勤していた
大量生産された商品(加工された貝)は、丸木舟で石神井川を遡ったり、海に出て遠くまで運ばれ、商業が行われていた(流通ルートが確立されていた)
内海で、マガキとハマグリの大きなものだけが取られ、取れる季節が違うため、交互に層になっている。資源が枯渇しないよう、計画的に採取されたと思われる
貝殻があまりに多いため、海が埋め立てられていき、時代とともに海岸が変化していっている
ここからは私の推測だけど
もう、貨幣は存在していて、それは黒曜石だったんじゃないだろうか
丸木舟で運ばれた先でのやり取りは、黒曜石(お金)で行われ
集められたお金は、働いた従業員に、お給料として支払われたんじゃなかろうか
物々交換による商売だけだと、従業員としても、集められたものの中に欲しいものがなかったら、働く意味がない








ここからは、中里遺跡を紹介した資料からの抜粋



まだまだウォーキングは続きます
続きは次回