[神社] 庚申様。なぜ廃れたのか

日本の神様シリーズのうち、古事記日本書紀以外の神様

庚申(こうしん)様

庚申塔(こうしんとう)については今まで何度か書いています
東京中をウォーキングするようになって驚いたことがいくつかあります
その中でも、富士塚と庚申塔は双璧だと思います
ウォーキングする前は存在だに知らず
イベントで富士塚や庚申塔を教えてもらった

最初の頃は
この前あった、富士塚ここにもあったね
庚申塔ここにもあるね
程度だった

回を重ねていくうちに
特に庚申塔はあるわあるわ

珍しいものではなく
そこいらに普通にあるもの、という感覚
ウォーキングしないと絶対に分からない感覚
3200箇所歩くと、「庶民の信仰」というものが見えてくる

見えては来るものの、やっぱり不思議
なんでそこまで庶民に庚申が浸透し
我も我もと庚申塔を建てたのか

まずは、庚申信仰って何かからもう一度

庚申
日って、60日周期
干支(えと)というんだけど
一般的に干支と思われている、年賀状に書く動物は、十二支(じゅうにし)
「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」
さらに十干(甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと))と組合わさり、陰陽を考慮して60通りになる
干支はここにもあそこにも
60日に1回やってくる、庚申の日
道教では体の中に3つの虫がいて、庚申の日に寝ている間に体から抜け出して天に報告に行く
うちのご主人さん、この60日の間にこんなおかしなことしてましたよ

まずい
やましいことのある人は、夜通し寝ないで起きてようということになるんだけど、一人で起きてるのはきついので
仲良しグループで集まって飲み明かそう
それが庚申待(こうしんまち)
必ずしもやましい人ばかりって訳じゃなく、飲み会の口実
3年間18回位続けると、よくやったね
3年間健康で過ごせたね、って事で庚申塔を立てる
庚申塚ってなんだろか

なぜ廃れたのか
庚申の話は過去に何度かしているので、
今回は廃れた方について話したい

そんなに浸透していたなら
今もある程度その習慣が残っていそうなもんだけど
仲良しグループで次の庚申の日にパーティしようぜなんて話は聞いたことないし
町内会で金を出し合って庚申塔を作ろうという話もない

AIさんに聞くと、明治になって急速に廃れたらしい
根拠のない迷信なので、ということなんだけど
根拠がないから迷信なのであって
迷信が残っている例はいくらだってある

ここからは私の推論だけど
明治6年に廃れたんだと思う
明治6年に太陽暦が採用された
それまでは太陰太陽暦
月の満ち欠けは30日だけど、それがすなわち日だった
何月でも15日は満月。三日月なら3日
月さえ見れば何日かすぐ分かる便利なシステム
それが今度は太陽の周りを循環する365日を12で割ることになった
月は月と言えども、月の満ち欠けと関係なくなった

おそらく明治5年までは、60日に1回やってくる庚申の日は分かりやすかったんじゃないだろうか
明治6年に、庚申の日を意識するのが難しくなった

太陰太陽暦はひと月が29.5日、30日か29日かで大の月小の月
太陽暦はひと月が30.4日、31日か30日かで大の月小の月

それだけ見れば大して変わらんじゃないかと思う
違うのは暦(こよみ)の役割と人々が暦(こよみ)に対する意識の違い

太陰太陽暦は太陰暦の後ろに太陽がついているように
月の動きだけで暦を作る訳じゃない
太陽の365日も意識し、年はやっぱり365日
季節は365日ごとにやってくるから
そっちも意識しないと農作業ができない
5月20日に田植えをしたとして、翌年はもうズレていて同じ日に田植えはできない
太陰太陽暦の場合、調整するため、1年が13ヶ月の年もある
実は昔から農作業のため、太陽暦も併用している
365日を24で割ったものがあって、それが二十四節気と呼ばれるもの
夏至とか大寒とか啓蟄とか
月の満ち欠けから割り出した何月何日は二十四節気で何に当たるかという換算表が必要で、それこそが「暦(こよみ)」と呼ばれているもの
今のカレンダーとは全く役割も違うし、人々が暦を重要視する度合いが全く違う

明治5年までは暦は毎日意識している重要なもので
そこに60日周期の干支も書いてあるから、誰でも庚申がいつか分かった
急に明治6年に暦(こよみ)が意味をなくしてしまい
庶民が庚申の日を意識できなくなった

どうだろう、この推論

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

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