[天皇] 108-2 後水尾天皇

[天皇]108 後水尾天皇。和子の入内
の続きです

後水尾天皇

寛永3(1626)年には、9月6日から五日間、
後水尾が二条城(家康の上洛時の居城として造営)に行幸した。
徳川家と天皇の密接な関係が世間に示された大行事だった。

紫衣事件(しえじけん)
しかし翌年7月、
幕府が、朝廷が臨済宗や浄土宗の高僧に与えてきた紫衣を、
違法として剥奪する、という事件が起こった。

法的根拠は、慶長18年(1613)6月16日に家康が定めた
「勅許紫衣之法度(ちょっきょしえのはっと)」である。
紫衣とは、紫色の袈裟と法衣のことで、
もっとも尊貴な服の色とされ、古代以来、法親王(天皇の皇子)や高僧が勅許により着用を許されてきた
すなわち、紫衣を与えるのは、朝廷の権限であり、収入源だった

「紫衣を与える時は、幕府に告知すべし」というもの
後水尾天皇は、無視して、許可なく大徳寺や妙心寺の僧に紫衣を与えた

怒った秀忠は、紫衣を取り消すとした

ちょっと待て
紫衣を与えるのは朝廷の権限
幕府が取り消すって意味わからん
と、猛反発した仏教界

大徳寺の沢庵宗彭・玉室宗珀、妙心寺の東源彗等・単伝士印
等は、将軍相手に訴訟を起こした
結果、それぞれ島流しになる

天皇の勅許より、幕府の決めた法度の方が優位にあると示したことになる

後水尾天皇は怒り心頭
やっとれん、と女一宮に譲位を表明
女一宮は、後水尾天皇と秀忠の娘和子(まさこ)との間に出来た娘
譲位は幕府に拒否される

さらに、後水尾天皇が頭にきたのが
お福(春日局)が天皇への拝謁を求めてやってきたこと
天皇への拝謁には、原則五位以上の官位が必要
お福(春日局)には、何の官位も持たない
苦肉の策として、遠縁にあたる公家の従三位・参議の三条西実条(さんじょうにし さねえだ)の義理の妹(猶妹)として縁組を行い、
三条西家の女性の資格で特別に参内が許され、「春日局」という名前をもらう

幕府の意向で、例外中の例外の対応を迫られ、屈辱と感じた後水尾天皇は
再度譲位の意思を固める

ここまで、4回も譲位を表明して、拒否され続けているので
最終手段
勝手に譲位しちゃう作戦

極秘裏のうちに準備をすすめ
11/8に「譲位しちゃいました」と宣言
朝廷内部でさえごく一部の人しか知らなかったので、みんなびっくり仰天

後水尾天皇の奥さんで、新天皇のお母さんである、中宮和子(まさこ)から、
そのお父さんの秀忠に伝えられる

えらいことになるぞと、朝廷内ではビクビク

とはいえ、秀忠としても
ここで全面戦争というのもどうしていいか分からない
新天皇は、自分の娘の娘、自分の孫でもある
おそらくだいぶ考えたとは思うが
結局は、「叡慮次第(えいりょしだい)」、ご勝手に
ということになった

後水尾天皇、作戦勝ち

かくして、7歳の少女が、明正天皇として即位する
奈良時代の称徳天皇以来859年ぶりとなる女性天皇であった

後水尾天皇はこの後も、上皇として院政をしき、影響力を持ち続ける

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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