[天皇] 108-2 後水尾天皇
の続きです
明正(めいしょう)天皇

出ましたっ
859年ぶりの女性天皇です
7歳の少女です
今なら、ランドセル背負っています
以前も女帝シリーズで書きましたので、よろしかったらそちらも読んでね
江戸時代にいた!女性天皇。明正天皇
後水尾天皇としては、幕府に対する恨みの電撃作戦
早々と幕府徳川の孫を天皇にしてしまうことで
徳川の血を朝廷に残さないようにしようという意図もある
女性は天皇になると結婚できないんです
従って子孫を残すことができない
7歳にして、あなたは将来結婚できませんと通達されちゃった事になる
さらに、最初からあなたは中継ぎです、その後、弟に譲位しなさいと約束させられる
幼い天皇は歴史上珍しいことではなく、
そういう場合は摂政が置かれ
元服したあとは関白と変わって、そこからはまぁまぁ自由にやりたいことをできるのですが
明正天皇の場合は成人したあとも摂政のままだった
後水尾としては、明正天皇15歳の時に摂政を関白に変え、神事も行うように指示をした。
ところが所司代板倉重宗が猛反発
結局、後水尾は、寛永11年に幕府から「院政」を承認され、
それ以降、延宝8(1680)年に85歳で亡くなるまで、
わが子である明正、後光明、後西、霊元の
四代にわたる天皇を支え、
江戸時代の天皇と朝廷を定着させた。
明正天皇は15年間摂政のままで、神事もやらせてもらえず
弟が11歳になるや、譲位させられる
後水尾から明正天皇への譲位は幕府には知らされない無理矢理のものだったが
明正天皇から後光名天皇への譲位はむしろ幕府が主導した
朝廷を監視するための仙洞付武家と禁裏付武家という機関を新設することが交換条件だった
天皇の間は何もやらせてもらえなかったが
譲位さえすれば、院になる
院に対する法度は用意されていないから、自由にやりたい事をやれる
だから日本の天皇の歴史は、一刻も早く譲位して院になりたがる
さあ、明正院は?
残念
院に対しても幕府の監視員が送り込まれた
さらに言うと、後水尾上皇が実力がありすぎた
院になったあとも明正院があれをやったこれをやったという記録が殆ど無い
明正天皇は結局幸せだったんだろうか
バリバリやりたがりの人なのか、そっとしておいて欲しいタイプの人なのか、人によって考え方が違うので何とも言えませんね