おかげ参りって、何だったんだろう

おかげ参りについて前回書きました

多いときは500万人もの人間が、どどどっと、お伊勢さん参り
これはいったい何なんだろう

そこで起きたこと
それだけの大量の人が移動するとなると
経済的にはかなりの影響がある
物資も全く足りなくなり
物価が急騰する

えらく得した人がいるのは事実でしょう。

施行(せぎょう)目当てのおかげ参りなど
次第に一部、人間の嫌な一面も見えたようですが
ああ、こんなの金輪際嫌だ、と思ったら
60年後に再度起きることもなかったでしょう。

基本的には、思い出に強く残る
超のつく、非日常だったのでしょう

ただ、20年おきの式年遷宮のたびに起きても良さそうなもんだけど
そうはならなかった
人生60年の時代に、60おきということは、誰しもが
一生のうちに一度ずつしか経験していない。

えらくエネルギーのいる
ひどく疲れる
いやあ、無茶苦茶良かったけど、当分はいいわ
という類いのもんだったんだろう。

意味するところ
世界には、いろんな種類の市民運動があるけれども
それと、同じようなものなのだろうか

目的、背景、動機といったものを考えると
世界で色々起きた市民運動や市民革命って
時の為政者に、不満を持ち、打開するために行われる

そんな何かがあったんだろうか

私の意見としては、そういった政治的な何かがあったとは思えないんです。
以前にも書いたけど
江戸の幕府や諸藩は極端に小さな政府

管理なんてものは行われておらず
基本的には、庶民が自分達で自主運営している。
あんじょううまくやっていた。

一揆とも連動していない
むしろ、豊作の年に起きている

じゃあ、全く不満は無かったのか
それも違うと思う。

おかげまいりが、最初、ぬけまいりと呼ばれていた事に答がある気がする。
政府に対するみたいな大袈裟なことじゃなく
勤め先の親方だったり
奥さんであれば旦那さんだったり

ああ、なにもかも放り出して
自由になってみたい
そんな衝動

でも、そのまま全てを捨てるほどの勇気もない
人間ってそんなものじゃないかな

戻るときの口実があれば

それが、おかげ、だったんじゃないか
神様に呼ばれちゃった
こんな強いことはない

そうやったんか、
そら、しゃあないな

お札は降ったのか
最初の一回くらいはあったのかも知れない
例えば強風にあおられて空から一枚くらいは降ったのかもしれない

あるいは、最初の人は夢の中だったかもしれない
認知症のじいちゃんが幻影を見たかもしれない

重要なのは、おかげ、という口実のためには
お札降りは必須要素だということ

となると、降りますね
あっちでも、こっちでも

宇治で降ったと言っているのに
大阪で降らないわけにはいきません

いっぱい、お札降りに関する文書が残っています
ここで降りました
こっちでも降りました

でも、全ての文書に共通する一言がついています
「と、言っていました」
目撃情報は一つもありません
伝聞情報のみ

みんながタンポポの花の色が白いと言えば
それはもう、白くなっちゃいます。

誰が何故
誰かが仕掛けたんじゃないか
でも、少なくとも3回のおかげまいりに関しては
それも無いと思っています

得した人がいるのは事実だけど
それは結果論だと思う。

不思議なことに
これだけの人数が動きながら
リーダー的な人が誰一人いない

ハーメルンの笛吹き男のような
はたまた、ジャンヌダルクのような人が
一切見えないんです。

ぼわあっと、ぼぼぼわあっと
ひたすらに増えていく

ある意味怖いですね

人々というのは
訳が分からずに、ぼぼぼわあっと
大きく何かを変える力を持っている

関東大震災の時の朝鮮人虐殺や
オイルショックの時のトイレットペーパー騒動

うわさってやつです。

それにしてもすごいと思うんです
500万人ですよ
トイレットペーパー騒動とは訳が違う

今、伊勢神宮は年間通して多くて20万人って言いますから
いかにエネルギーが集中したか

江戸中期以降は
みんなの心のどこかに
俺だって、って気持ちを持ちながら
日々、我慢や精進を出来たんじゃないかなって気がするんです。

次回は、いよいよ、この変化形
ええじゃないかです

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