漢字存続の危機は、2回あった

何度もお話ししていますが
日本語ってホントに豊かですね

色んな表現方法が可能だから
感情や情景のきめ細かな感じをかなり忠実に伝えられる

それには語彙の多さは必要でしょうけど
漢字、平仮名、片仮名という文字自体が3つもあるという
世界に類を見ない、文字構成の仕組みは大きく影響していますね

とはいえ、もちろんデメリットもあり
習得の困難さは大変なものがあります。
特に、「国際化」というようなキーワードが出てくると
そのデメリットの部分がクローズアップされてしまいます。

どれか無くしましょうか
みたいな議論が持ち上がると
やはり、やり玉にあがるのは
一番大変な漢字ですね

第一の危機
「国際化」のキーワードが強く意識された時期
言わずと知れた明治維新です。

知識人たちが漢字を無くそうと
かなり本格的な運動を繰り返した。

理由の中心は西洋に追いつき追い越せ
アルファベットに触れると
なんであんなに少ない種類で言語が成り立つのか
不思議に思うのも無理はない

活版印刷技術の発達というのも大きい
無数にある漢字を、使用頻度の少ないものまで全て用意しておかないといけない

さらに、教育の問題
教育改革で一気に大量の学校を作った。
漢字を教えなくて良いなら楽になるんだがな、と

一意見
漠然とした一意見であれば江戸時代中期にもあった
賀茂真淵(かものまぶち)は「国意考」(こくいこう)で

インドは50の文字で仏教を書き、伝えることが出来る
オランダ語は25
満州語は50
中国だけが漢字を使って世の中は治まらず、様々なことが不便である。

日本はこうすべし、とまでは言ってないんだけどね

幕末から
一円切手で有名な、前島密(まえじまひそか)
幕末の1866(慶応2年)に、時の将軍、徳川慶喜(よしのぶ)に
建白書「漢字御廃止之議」(かんじおんはいしのぎ)を提出している
明治維新の2年前です。

徳川慶喜としても、もうそれどころではない。
もう少し平穏な時期ならば、あの人の事だから興味は示しただろうけどね
却下

前島密もそれで諦めるほどのやわじゃない。
何せ、大久保利通が新政府の首都を大阪にすると決めていたのに
提案書を提出して、東京に、とひっくり返したほどの男

新政府の官僚となり
漢字廃止論をしつこくしつこく訴えていく

広がり
その甲斐あって、と言うべきか
知識人の共感を呼び大きな運動に発展していく

制限論
そんな中で、廃止論とまではいかないが
数を少なくしたら?
という制限論が台頭
中心にいたのが、あの福澤諭吉大先生

難しい漢字を使わなければ、2000から3000もあれば十分

当時の小学生向けに「文字之教」を書いて
そこでは、1000に満たない漢字と片仮名しか使わなかった

慶応大学の後輩、ジャーナリストの矢野文雄に受け継がれていく

教科書
そんな中で明治時代の教科書は
仮名混じり文で書かれる
仮名を基本にしながら漢字を補足的に使うというもの

派閥
そうしている間にも漢字廃止論の議論は激しさを増す

そこには派閥が出来てくる
かな派とローマ字派

ローマ字派は1869年、南部義籌(よしかず)にはじまり
1885年外山正一が「羅馬字会」を旗揚げ
ローマ字を漢字で書くなんて、どっちがしたいねん

ローマ字派はさらに分かれ、ヘボン式と日本式に

群雄割拠

次は
ここではなんとか漢字も踏ん張りますね

そして、次なる危機がやって来ます

お分かりですね
敗戦です
GHQです
このあとは次回

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