新小岩からウォーキング
の続きです
鬼塚



こんもりと盛り上がった土盛
かつては古墳ではないかと言われていたこともあるが、どうもそうではない
発掘調査をすると、陶器や貝塚が発見された
室町時代と江戸時代に追加の土盛りがなされた事も分かった
近年まで、頂上に稲荷の鳥居があったらしいので
稲荷信仰と関係あるのかも知れない
葛飾区と言えば、葛飾郷土かるた。
その「お」に選ばれている

無茶苦茶広大な土地が大規模な工事中だった
巨大な物流拠点ができるらしい

奥戸古代遺跡跡

近くにでっかいスパがあった名前が「古代の湯」というのは、ここから来ているのだろう

奥戸天租神社

毎年10月に行われる大しめ縄神事
6mにも及ぶ大しめ縄が町内を「アクマバライ」として回る


今は、回りに田んぼがなくなっちゃったので、藁は千葉県から調達しているらしい
連句の碑
明治時代、この地域は俳句が盛んだった

ひとつの鳥居の奥にいっぱい末社が並んでいる
こういうのも面白い


妙厳寺

道標がいくつかあった

3つ小さな建物があって、その中にそれぞれに像やらが保管されていた


八剣神社

宝蔵院

彼岸花の頃は彼岸花の名所となる
江戸中期、王政復古を唱え、その後の尊王思想に影響を与えた武内式部の門下で、
徳大寺公城(きんむら)の家臣本堂良喜は、
宝暦事件 (宝暦8、1758年)の際京都を追われ、
当寺に身を寄せていた。
その良喜の後を追い公城の娘妙姫は師の式部から拝領した薬師仏を背負い旅立ちっ、宝蔵院でめぐり会い、寺にかくまわれ再起をうかがった。
住職は寺の名鐘「和光の鐘」まで売り果たし、
倒幕に荷担した。
その後幕府の探索の手が二人にのびて、
捕り手が宝蔵院を取り囲んだ。住職は「和光の鐘」を売ったことを悔いつつ、銅鑼(どら)を鳴らして郷民に助けを求めたが、
捕手の兇刃に弊れた。
娘妙姫は「思垂松」の蔭で自ら若い命を絶った。
非業の最期をとげた住職の怨霊は、ながらく銅鑼に止まり、
夜な夜なその時刻に銅鑼が鳴り、
「思垂松」は悲しげに枝をたわみ、
薬師堂の灯明は妖しく明滅し、庭の「縁呼石」の蔭では
男女のささやきが聞こえたという。
随分時が経ち、現代
新中川の開墾で、和光の鐘が見つかった

井上靖がこの物語を伝え、碑も建てている



























































