キャベちゃん、良く頑張りました。

キャベちゃんが卵を温め、18日近く生まれるでしょうか
というところまでお話ししましたね
まさか!卵がっ

決断
生まれるであろう18日期限は、4/29
過ぎてしまいました。

動いたように思ったちょっと変な色の卵も、そのあと動く事なく
やっぱり勘違いだったのね

それでも、朝から晩までキャベちゃんは温め続けています。
くうちゃんの時は、けっこう息抜きしながらだったけど
キャベちゃんの熱心さはものすごい

おこめちゃんも、もうちょっと協力したら?

だめだとは思うけど、問題は諦めさせる時期
食事もろくに取らないで、うんちも我慢して、人生全てをこれにかけている
痩せちゃった姿を見ると、諦めさせないと死んじゃう、と思いつつ
子供を引き離される事になるわけですからね。

心を鬼にして
キャベちゃんが休憩で出てきた僅かの間に
卵をささっと取り出しました。

転がしてみて、起き上がりこぼしみたいになれば、中が乾いてカリカリになっています。
左二つは、あっもうだめだな
開いてみました。


残念でした。

問題はもうひとつ。
起き上がりこぼし状態になりません
明らかに色がおかしい

光に照してみると
中に液体が入っているのが見える

個体じゃないからひなではない
残念
とはいえ、普通の卵ならそんなふうには見えない筈

どうしようか

ずいぶん悩んだあげく、開いてみることにしました。

えっ
塊がっ
そこだけ取り出すと

ある程度は生命の誕生に近づいていたんですね
18日かかってこの状態なので、このまま温めてもひなにはならないでしょうが
本当に可能性はあったんですね
キャベちゃんの本気度が良く分かりました。
ここまでになったのは、全てキャベちゃんが頑張ったから

改めて
えらいっ、良く頑張った、キャベちゃん

そのキャベちゃん
すぐに巣箱に戻りました
卵が無いことにびっくりはしたでしょうが
パニックになることはありませんでした。

どうしたか

何かの見間違いでしょう
やるべき事を淡々と

いつもの姿勢でうずくまり卵を抱く姿勢

もう良いんだよ
良いんだよ、キャベちゃん
実に良く頑張った
涙がこみあげます。

可哀想過ぎるので
休憩に出てきた時に巣箱を外しました

洗おうと中を見てびっくり

くうちゃんの時、同じように諦めたときに巣箱の中を見ると、うんこまみれだったんですが
ほとんど糞がありません。

中を清潔にしておかないと、と思ったのでしょう。
我慢して我慢して、巣箱から出て遠いところに行ってドバドバッ
それは知ってたんですが、ここまできれいにしているとは思いませんでした。
感動

きれいに巣箱も洗ってあげました

巣箱を置いておくとまた卵を産んじゃうらしいので
一年ほど間をあけ、来年また再チャレンジとしましょう

おこめちゃんは大喜び
愛する女房のご帰還でございます。
追い回して大変
ようやく相手をしてもらえます。

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[天皇]46 孝謙天皇。ゴタゴタ続きの中でも

天皇シリーズ
古代最後の女帝になります。

孝謙天皇
749~758年

孝謙天皇については以前にも書いているので読んでね
孝謙天皇、古代最後の女性天皇は、本流ど真ん中

この人、異例づくめ
今までの女帝は、中継ぎだったけど、この人はそうじゃない
皇太子として次期天皇と指名された
本格的な女帝

実は、重祚(ちょうそ)といって、2回天皇をやっています。
皇極天皇もそうですが、あとにも先にもその二人だけ。
もう一回やったときは、称徳天皇と呼びます。

孝謙天皇の時と称徳天皇の時が、びっくりするほどイメージが違います。
称徳天皇の時は、史上最高なんじゃないかと思うほど専制君主

では、孝謙天皇の時について参りましょう。

即位
聖武天皇が健康問題で、譲位
譲位とともに、元号を、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)と改めました。

聖武天皇はまだ死んだ訳ではないので、今までの例だと次期天皇を補佐する訳ですが
残りは仏にのみ仕えたいという強い意図を持っていたので
奥さんの光明皇后に補佐役を頼みます。
そういうことは今まで例がないので、さらにその光明皇后を支えるための、紫微中台(しびちゅうだい)という組織まで作られた。
その長官に、藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)
仲麻呂は不比等の長男、武智麻呂の次男でこの頃めきめき頭角を表してきた
不比等の息子たちは全員天然痘で死んじゃいましたが
いよいよ孫たちの時代になったんですね。

孝謙天皇、光明皇后、藤原仲麻呂のトロイカ体制が出来上がります。

相変わらず、ゴタゴタがあり
橘諸兄(たちばなのもろえ)が謀反を密告され左大臣の職を辞した。

色々まずそうと感じた聖武天皇は、遺言で
新田部親王の子・道祖王(ふなどおう)を皇太子に立てるよう命じた

女性天皇なので、結婚も出来ないし、もし子供を産んでも、その子供は次期天皇にはなれない
次を誰にするかが火種になることが予想される。
ただ、もし様子をみて不適格なら廃太子してもいいという条件付き

ところが、2年後にこの道祖王を廃太子しちゃった
皇太子らしからぬ言動をしたという理由
遺言書をみんなに示し
ほらほら、不適格なら廃太子してもいいと書いてあるでしょ

まあ、そうだけど。

次に皇太子に指名されたのが、大炊王(おういおう)
藤原仲麻呂に一番近く、大炊王が次に即位すれば、傀儡(かいらい)政権となりえるだろう。

ただ、それでも、不穏な動きはおさまらず
橘奈良麻呂が謀反を起こす

拷問にかけられて自白し、芋づる式に一味があげられていく
とうとう、443人にもなった
最初の皇太子、道祖王も含まれています。

仲麻呂のライバルは全く一掃され
さらに藤原仲麻呂の基盤が固まった。

橘奈良麻呂の変から一月ほど経った時
「五月八日開下帝釈標知天皇命百年息」という謎の文字列をなす、蚕の卵が献上された
なかなかやることがこみいってます。

これはめでたいということで改元
天平宝字(てんぴょうほうじ)

経緯としてはいかがなものかとは思いますが
仲麻呂の行った政治はなかなか良い政治

税金を半分にし、苦役もなくす。
食料を与えるなどの民衆救済施策
諸国の財源のシステムも整えた。

中国大好きなので、中国の仕組みをどんどん取り入れ
文化的にも東風の文化が花開きます。

孝謙天皇としても、大仏開眼法要を行ったのは自分が天皇になってからであり
仏教には思い入れがあります。
仏教を元にした聖武天皇の国分寺制度を実践に移していきます。

ただ、光明皇后が病気がちになると
娘ですから母親の看病がしたくなります。
政治よりも親の介護をとろうと決意します。

譲位するわ。

大炊王が淳仁天皇として即位します。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

次女がブログを始めました。

卵にまだ変化がないので、別の話題

本日より、なんと次女がブログを始めました。

昔は華奢でかわいかった私がダイエットしてキレイになるまで
今まで、黙っておりましたが、次女はふっくらさん

2014年ですから、もう今から6年前になるんですね
81kgから18kgダイエットしたのは

なんと、次女はあれよあれよという間に
そのスタート時期の体重とほぼ一緒になっておりました。
もちろん身長は次女の方が低い訳で
これはもう非常事態宣言

タイトルの「昔は華奢でかわいかった」というのは実はそれほど昔ではない
ほんの2年ほど前です。

リモートワークになってから、朝、次女と近くのウォーキングコースを歩いていると書きましたが
そういった事情があった訳です。

今日から、自宅で出来る筋トレも開始
私もお付き合い
アプリに合わせてやるんですが
息も絶え絶え

詳しくは次女のブログを見てね

今まで何度かチャレンジしても、三日坊主ばかりでしたが
今度ばかりは本気

ブログを開始して、進行形報告型のダイエットにするぞ!
決して明かさなかった体重の公表に踏み切りました。
これで引っ込みがつかなくなりました。

経験上、ダイエットの継続は
みんなからの励ましがとても力になります。

できればブログに立ち寄っていただいて
もしよろしければですが、コメントのひとつも入れていただけると幸いでございます。

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[明治]三条実美。のらりくらりの最高権力者

「歴代総理の通信簿」という本を読みました。
明治以降の全ての総理大臣に10段階評価をつけるという本です。
評価自体は、著者八幡和郎さんの主観なので、賛否両論あるでしょうがその分析がとても面白い

三条実美(さんじょうさねとみ)
そのスタートが三条実美です。

総理大臣という名称が始まったのは伊藤博文から
従って、初代総理大臣が伊藤博文であることは間違いないのですが
名称が総理大臣ではないにしても、同じ役目をした位があった。

ということで「序章」です

分かりやすくまとめてある図があるので、見ていきましょう。

①幕藩体制(慶應3/10/14)
大政奉還から王政復古の大号令までは、従来通り。
結局は徳川慶喜に委託せざるを得ない状況でした。

②総裁、議定、参与制(慶應3/12/9)
総裁に有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)
副総裁に三条実美と岩倉具視(いわくらともみ)
ということは、一番最初の宰相は有栖川宮熾仁親王だと言えなくもない

③輔相制(慶應4/閏4/9)
総裁制は長くは続きませんでした。
副総裁だった三条実美と岩倉具視が公職の最高位である輔相になります

④太政官制(明治2/7/8)
翌明治二年七月には太政官制が成立し、右大臣に三条、大納言に岩倉と徳大寺実則が就任
明治四年になって三条実美は太政大臣となり、内閣制度の発足までの14年間続けて任務に当たります。

通じて言うと、三条実美は18年間トップにいたことになります。
かなりの長期政権だと言えるでしょう。

三条実美は藤原氏の中の清華家(せいがけ)
近衛家、鷹司家、九条家、二条家、一条家、という摂関家の次の名門です。
一方の岩倉具視は中流の公家ですから
常に岩倉具視の上に三条実美がいて、お公家さんコンビは、二人三脚で物事を進めていきます。

俺が俺がの岩倉具視に比べると、印象が薄いことは否めません
岩倉具視は500円札にもなってますしね

征韓論の時、岩倉具視と西郷隆盛が大喧嘩
間に入って三条実美はノイローゼになって入院

そんなだから、ぼんくらなんだという意見もあります
ただ、ぼんくらで18年間もトップには立てない

特に、首都をどこにするかについてはかなりリーダーシップを発揮しています。
大阪を主張する大久保利通に対し、東京を主張

「東国はこれまで皇室の恵みを受けることが少なく、いつ人心が離れるか分からない。
京都や大阪の人々に少々恨まれても、古来からの関係もあるので皇室に刃向かうことはあるまい。
朝廷を江戸に置いて初めてこの国は安定する」

結局は大久保利通も、前島密に手紙もらったりして、東京論者に変わるんですけどね。

太政官制以降、内閣制までを整理すると
明治6年の征韓論で敗れて西郷隆盛が下野するまでは、三条実美を中心とした合議制
明治11年の大久保利通暗殺までは、三条実美、岩倉具視、大久保利通という縦のラインの独裁制
大久保利通暗殺後、岩倉具視のもとに、大隈重信、伊藤博文、井上馨が並列的に並び
明治14年の政変以降は、岩倉具視のもとに、伊藤博文が力を持ち
明治16年に岩倉具視が亡くなって、
明治18年に、内閣制に移行したという流れです。

伊藤博文が下級武士の出身だったので
三条実美の代わりとなって太政官になれなかった事が大きい。

であれば内閣の上に太政官を置くという制度より
内閣の同列的な地位の中の代表者的な意味で首相を置こうという発想
たまたま名家で、実力を伴った三条実美の代わりを見つけられなかったということです。

のらりくらりの性格ではありますが
激動のこの時代に、一癖も二癖もある猛者たちの上にたち
うまくコントロールするためには
そういった性格の方が良かったのかも知れません

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