浮間公園から謎解きの続きの続き、と悲しいお知らせ

浮間公園から謎解きの続き
の続きです。

岩淵リバーステーション
船着き場

赤門
バーベキュー場から旧岩淵水門(赤門)に行く道のりに
川沿いを歩ける桟橋がありました。

過去の台風でどこまで水位が上がったかを示す標識
昭和22年のカスリーン台風が一番

岩淵水門(青門)

ここでクイズです
3つの門それぞれにつけられた、横縞の赤白赤マークと、縦縞の緑白緑マーク
3つとも開いているので、門が開いている閉まっているではありません
さあ、何のマークでしょう

このあと答えを書くので考えてね

岩淵水門までで、時間が遅くなり、かつ、タブレットの電池残量が無くなって中断しました
ここからが、謎解きの前回の続きってことになります

次のリバーステーション(船着き場)でのぼりが出ていました
何だろう。行ってみましょう

足立区のやっている無料のイベントで、
ボートに乗って、荒川をぐるっと回れるんですよ

ええっ
それは、今から私も参加できるんでしょうか

ごめんなさい、事前予約制なんです

残念!
こんなのらしいです

謎12個中7つまでクリアしておりました
■謎8
この並木の名前を6文字で


荒川と言えば五色桜
昔からこの辺りでは有名だった多くの種類の桜の荒川堤桜は色合いがさまざまで楽しめるから
五色桜と呼ばれて親しまれていた
明治45(1912)年2月19日、尾崎行雄東京市長からワシントンへ寄贈され、
ポトマック河畔に植樹されました。
ところが、荒川放水路の大工事
ほとんどの桜がなくなり、枯れちゃった

それを知った、ワシントン
ポトマック河畔で見事に育った五色桜の苗をお裾分けしたくれた
五色桜はワシントンの好意で里帰りを果たしたのです

■謎9
このオブジェは7文字で何?

全部ネタバレはまずいので、ここは答えを伏せておきましょう

■謎10
ここの渡船場は何と呼ばれていた?
仏様の名前です
〇〇〇如来

■謎11
この橋の名前は?

〇〇〇大橋です
荒川で有名な花と言えば?
もうお分かりですね

■謎12
ラストの謎です
ここのバス停の名前は?
これも伏せておきましょう
絶対行かないと分からないと思います

クリアーー
やったぜ、全問正解

ひたすら歩きました。
2日に渡って。
でも楽しかったなあ

【答え】
船が通って良いのが緑で、ダメなのは赤
真ん中は水深が深いけど、両端は浅いのかも

悲しいお知らせ
長女の出産を機に、カミさんが来年1月から職場を変えるというお話をしたかと思います。

その事に関連し
悲しいお知らせがございます
私にとっては、死刑宣告に等しい

今度の職場は土日が休みなのよ
土曜の掃除は一緒に出来るからね
今まで、手抜きしてたでしょ。知ってるんだから
来年からは許されないからね

ええっ。えええええっ
嘘。それはあかん。絶対あかん
そんなところは断ってしまいなさい

何言ってんの
もう決定なの

————–
カミさんは私が手抜き掃除をできなくなるから残念がっていると思っております
今まで、カミさんはシフト制で、土日にはほとんど仕事で平日が休みの事が多かった
たまに土曜に休みだと、大変なのなんのって
ちゃんと掃除をしないといけないから、疲れる疲れる

それはそうなんですが
実はそういう問題ではない

お出かけできなくなる

ウォーキング同好会のイベントはカミさんに阻止されると困るので
その本番だけは予め日程を伝えてあってOK

でも、それ以外のお出かけは、一切カミさんには内緒にしてあります
カミさんを職場まで車で送って行ったあと、大急ぎで掃除
そしてそそくさとお出かけ
ばれると性格が最悪な(もとい。ちょっとだけ良くない)カミさんなので、
いっぱい用事を言いつけて阻止しにかかります
お出かけから帰るとばれないよう大急ぎで料理を作り、
怪しまれそうな証拠は全て隠滅
何とか今までバレずに来ています

あかん
何ともならん
どうやったってばれる
来年から、お出かけが最低限しかできなくなる
まさかの受験期間中に逆戻り

色々考えてみたのですが、全く解決策が見出だせません

そもそも、今まで隠していた事がおかしい?
はい。おっしゃるとおり
身から出たさびでございます

年内の命かあ

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氷川渓谷を歩いて

今日は月に一度のウォーキングイベント

例によって早めに行って散策しよう

氷川渓谷
イベントは日原鍾乳洞(にっぱらしょうにゅうどう)
東京都に鍾乳洞があるんだもんね。信じられない

駅で言うと奥多摩駅
奥多摩駅と言えば、渓谷ファンにはたまらない氷川渓谷
2時間前には奥多摩駅に着き、
さあ行きましょう

以前にも日原鍾乳洞でイベントやって
やっぱりその時もイベント前に氷川渓谷を散歩しました

まずは河原に降りてから


吊り橋

吊り橋からの渓谷

遊歩道はどっちから回るかな
左だ


次なる吊り橋

そしてその上からの渓谷
ああ、たまらん





日原街道に戻ってまいりました
ここ、愛宕山への登山道の入口か
昔登ったなあ。
懐かしい

大きな橋の上からの渓谷
おおっ、すごい

駅に戻ってまいりました
この間、20分ほど
全然余裕

昼食用の、食堂を見つけておかなきゃ
駅の上のおしゃれなカフェ
ゲゲっ11:00オープンなの?
あらまいった

向こうの方も探してみよう
食堂はないものの
ん?
こっちにも橋か
橋の上からの渓谷


うーん、幸せ

遊歩道
さっき最初の吊り橋から左に行ったけど、右に行くとこっちに出れる訳ね
行ってみましょう

こっちはさっきの遊歩道と違い、水面への距離が近い
これはこれで趣が違ってナイス







ああ、癒された

さあ、メンバーが着く頃
戻りましょう

メンバーと共に食堂を探すも、どこも11:00開始
キッチンカーでのわさび食堂でわさび丼を食べましょう

うーん、こりゃうまい

メンバーに、ちょこっと吊り橋の辺りに氷川渓谷を案内

おじさんが軽トラに獣の檻を乗せていた
タヌキなんですか

いや、アライグマ

へえ、すごい
野生のなんですか

そうだよ、駆除しているの

最後のメンバーとも合流
駅上でのおしゃれなカフェも11:00になってオープンしたので
一緒にお茶

11:25発のバスで、さあ日原鍾乳洞へ

このあとの様子は次回ね

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[迷信] ツタンカーメンの墓を暴く者は呪い殺される

「科学で読み解く迷信・言い伝え」からのシリーズ
ここからは海外の迷信

海外には疎い私でも聞いたことのあるこの話題から

ツタンカーメンの呪い

1922年、エジプトのルクソールから
少年王ツタンカーメンの王墓が見つかり、
その保存状態の素晴らしさや豪華な副葬品の数々に
世界中が色めき立った。

だが、その後間もなく起きた不幸とあるによって、
このニュースはさらに人々の関心を高めることになった。

ツタンカーメンの墓には
人が近づかないように呪いがかけられており、
開封に立ち会ったカーナヴォン卿が呪いのために急死したというのだ。

カーナヴォン卿は15年にわたって
考古学者のハワード・カーターに王幕発掘のための資金提供を行っており、
開封にも立ち会っている。

だが、発見から7ヵ月後、
カイロのホテルで死亡しているのが発見されると、
死因はツタンカーメンの呪いだと世界中の新聞が報じ始める。
「シャーロック・ホームズ」の生みの親であるコナンドイルまで
「呪いは真実だ」と言ったと伝えられた。

こうして、まことしやかに語り継がれた呪いのだが、
冷静に振り返ってみれば、
開封に立ち会った人の中で急死したのは
カーナヴォン卿ひとりにすぎない

ツタンカーメンの墓は、1922年11月26日、
カーナヴォンと娘のエブリン・ハーバード、
そしてカーターの協力者のキャレンダー立ち会いのもと、
墓を封印していた壁に穴を開けることで開封された。

だが、開封に立ち会ったほかの3人は、
けっして短命ではなかった。

カーターとキャレンダーが亡くなったのは1939年、
つまり墓から17年後のことである。
また、エブリンに至っては1980年まで存命だった。

さらに1923年には30人ほどの公式訪問団が見守るなか、
カーターがツタンカーメン王の棺が納められた
玄室の封印を開けたが、
そのメンバーのなかにも不審な死を遂げた者はいなかったのだ。

ちなみに、ミイラを解剖したダグラス・デリー博士などは
もっとも呪われそうなものだが、
亡くなったのは80歳を過ぎてからだった。

開封とは無関係なカーナヴォンがロンドンで飼っていた犬や、
さらには弟のオーブリハーバートが亡くなったとも言われているので
たしかに呪いと考えたくなるような要素もないでもない

ただ、開封に深くかかわった人がバタバタと亡くなったというわけではないし、
不慮の死を遂げたわけでもない。

どうやら伝説の王墓の発見と
その資金提供者の急死というセンセーショナルな事実に、
尾ひれがついて伝わっていったというのが真実のようだ。

ちなみに、カーナヴォン卿の死は、
蚊に刺された部分をカミソリで傷つけてしまったことにより
溶連菌に感染を起こしたことが原因だったとみられている。

溶連菌は今でこそ抗生物質を使うことで完治できるが、
世界初の抗生物質であるペニシリンは
当時まだ発見されていなかった

そして、呪い説を言い出したのは、
墓泥棒からを守りたかったカーター自身だったのではないかという説もある。
だが、これも本人亡き今となっては確かめようもない。

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[ことば日本史]金槌はなぜ「げんのう」

ことば日本史から

玉藻前(たまものまえ)
平安時代のこと、天竺と中国とで悪の限りをつくした果てに日本へと飛来した狐がいた

金毛九尾の狐
その狐が美しい姫、玉藻前に化けた
それはそれは美しいと大評判
狐が化けていると知らない鳥羽法皇が呼び寄せて、寵愛を受けていた。

鳥羽法皇の体の具合が日に日に悪くなっていった
誰に見てもらっても原因が分からない

法皇にもしもの事があったら私も自害いたしますわ

おお、そうかそうか、そうはならないようにせんとなあ

陰陽師安倍泰成がやってくる
安倍晴明の子孫です

その病、玉藻前の仕業でしょう
とんでもない化け物ですぞ

そんな馬鹿な
こんなにもわしのことを思いやってくれているのに

安倍泰成が真言を唱えると
玉藻前は狐に戻り、飛び去ってしまいました

妖狐は那須野へと逃れますが、とらえられ
射殺されてしまった。

それでも妖狐の霊は石と化し、力を持ち続けました

近寄る人は具合が悪くなり
鳥獣であれば、近付くと死んでしまいます
「殺生石」と呼ばれ、恐れられます

玄翁(げんのう)
それから、ずいぶん時へた南北朝時代、
那須野へやってきた曹洞宗の僧、玄翁が、噂を聞き付け、殺生石の元へ

えいやあ

大きな槌でその石を打ち砕き、祟りを鎮めたのです。

それで石を砕く大きな金槌を玄翁と呼ぶようになったのです

不思議だと思っていたんですよね
なぜ金槌でもトンカチでもなく、げんのうと呼ぶのか

学校で教わってから
金槌でいいじゃん、と思いつつも
なんだかプロっぽいからかっこいいな
と、私もそれからげんのう、と呼んでいます

ところで、さらにさらに時は流れ、去年
その殺生石が割れちゃった

周りにイノシシの死骸

あれれ?
玄翁が割って、たたりも鎮めたんじゃなかったんだっけ

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