日本の神様は波瀾万丈

「日本の神々と仏」という本を読みました。

ウォーキング同好会のイベントも20回を越えました。
東京近郊のいろんなところを歩きました。

仲間のみんなに感謝

東京が、こんなに見所満載だなんて思ってなかった

そんな中で、色んなコースでどうしても、神社仏閣が絡んでくる
行って、手を合わせてお参りする

習慣的にそうなるわけですが
折角だったら、神社仏閣に行ったとき、もうちょっと楽しみたいな
漠然とそう思っておりました。

さらに、新春のイベント七福神巡りのために、七福神を調べ出すと面白くて。
そこから、古事記も読み、日本書紀へ、古代史へと興味が広がっていきました。

一方、そんな中でちょこちょこ出てくる、神様や仏様。
気になるものが増えてきました。

そんな中でこの本を手に取ったわけです。

色んな神様
日本の神様は、自然への恐れや畏敬の念から自然発生的に起きてくる
例えば、雷は神鳴り
雷が落ちるのは災いだけど、その後大量の雨のあとに豊作になる

恐ろしさと有り難さが同居するものを、まつる、という形で大切にし
よろしくお願いします
ってこと

2つのタイプの神社
神社は大きく2つのタイプに分かれるらしい
産土型(うぶすながた)と勧請型(かんじょうがた)
産土型は多数をしめる
その土地を守るために発生してきたもの
勧請型は、本来その土地には関係無いんだけど、有名どころの神社仏閣からお裾分けしてもらうもの
全体的な数は少ないんだけど、名の知れた神社仏閣はほぼこっちのタイプ

氏子というシステム
氏子って何かなんだけど、氏一族の祖先を中心にしたまとまり
当然、同じ地域ということになり、
祖先が「氏神様」となって、中心になる神社にまつられる
子供が産まれると、お宮参りをして、
氏子入りさせてね、ってことになる

これって産土型的な考え方ですよね
一時期、勧請型が力をもって廃れていくんだけど、
江戸時代に将軍家が奨励したことで盛り返し、
最終的には勧請型と産土型がいっしょくたになって融合していくという
日本人得意の考え方をもって、生き残っていく。

仏教伝来
仏教が伝わってきて、さあどうするってときに
聖徳太子と蘇我氏が積極推進派
慎重派の物部氏をやっつけて、仏教が大手を振って入ってくる

となると元々いた「神様」は駆逐されてしまいそうだが、仏教側から救いの手が
神と言っても元をただせばみな仏。仏が神の姿で現れた
神仏習合
神様と仏様を一緒と考えましょうね

神社と寺をいっしょくたにして
全国に広めていく
さすがは日本人です。

ただ、この時はあくまで目的は「国家鎮護」
国の政策をスムーズに浸透させるための手段に過ぎなかった

古事記、日本書紀
このあと、色々あって、古事記、日本書紀が編纂される
何と言っても神様といったら、その神話です。
ここの色々が面白すぎるので、ここだけまた改めて書きますね
ということで、今日はこの一番肝心なところを飛ばします

現世利益
少しずつ、庶民に受けの良い現世利益が神や仏にくっついていきます。
ご利益ってやつですね

死について
さらに、葬式というイベントに結び付いていきます。
今は、仏を意識するのは葬式の時だけって事が多いので、昔からだと思いきや
死はケガレで、避けるべきものだったため
弔うという考え方は結構後になってからになる。

実はこの事は、当時の政治の事情にも大きく関係しています
当時の実力者は、跡目争い、勢力争いで親子兄弟でも殺し合いの世の中
みんな、心の傷を負い、殺した相手のたたりに悩まされていた

非業の死をとげたものが怨霊となる
このたたりを避けるため、人間を神としてまつるということまでおきます。
その代表例が、菅原の道真。天神さまです。

極めつけが、末法思想
世も末って奴です
疫病ははやり、天変地異もおきる
全ては、たたりと、釈迦の教えを忘れ去った事による
もうこの世では、希望も救いもない
念仏を唱えて、浄土へ往生しようとなる

現世利益だったり、たたりだったり
目の前のことが対象になってきたこと
葬式をはじめとした、いわゆる冠婚葬祭と結び付いていくこと
極めつけの末法思想で
庶民にも随分身近かつ切実なものになっていきます。

仏教の宗派
桓武天皇のとき、
遣唐使に参加した最澄の天台宗(比叡山)、空海(弘法大師)の真言宗(高野山)が仏教を確固たるものに

さらに鎌倉時代になって
法然、親鸞等がさらに宗派を作っていく
主要七宗が出揃うことになる

檀家制度
江戸時代に出来た制度で、家の単位でどの宗派か決めなさいってことになる
目的は、キリスト教対策
家の単位で決めるっていうのが、ちょっと不思議ですね

まつっているもの別神社あれこれ
良く目にするのが八幡神社
稲荷神社も良く見ますよね

そんなあれこれを解説していきたいんですが
結構いっぱいあるので
次回以降、少しずつにさせていただきます

また、鳥居の話、狛犬の話、色んな作法の話など、
次回以降でお話させていただきます

快眠対策(極め付きは瞑想)

瞑想
いよいよダメ押しの瞑想です。
私の実感でいうと、まだまだ瞑想での本来の目的は達成できたことがありません。
「無心になる」ことです。
そんなこと本当に可能なんでしょうか。
別に取り留めもないことで、少なくともマイナスイメージではないのですが、何かは絶対に考えてしまいます。
そういう意味では、私の場合「瞑想もどき」かもしれません。
ただそんな「瞑想もどき」ですら絶大なる効果があるのが睡眠です。
寝る前に部屋を暗くして、15分間瞑想をします。
そのまま、暗い部屋のまま布団に入ると、見事にコロッと眠れます。
それでも寝つきが悪かったことって、どうしても思い出せません。皆無です。

瞑想もどきの方法
具体的な瞑想の方法は、また改めますが
とりあえず睡眠だけの目的であれば「瞑想もどき」で全然大丈夫

部屋を暗くします
あぐらをかきます
静かに目を閉じます
呼吸を静かに静かにします
マントラを心のなかで唱えます
できるだけ意味の無い言葉の方が良いです
私は本に書いてあったお勧めのマントラ「オーンナーム」(吸うとき)「スバーハー」(吐くとき)です。

邪念はいっぱい沸いてきますが、
良いじゃないですか。
本格的には後回し。
寝つきのためには、絶大なる効果があります。
瞑想の後は絶対に何もせずにそのまま布団に入ってそのまま寝ちゃってくださいね

速歩ウォーキングと瞑想の組み合わせは無敵です。
目的は寝つきだけではなく、よりよい睡眠で睡眠中に病気を治してしまおうということにあるわけです。
以前に書いた「睡眠再生工場」です
そうなるともっともっとレベルを上げて「深い眠り」にしたいのですが、寝つきだけで言うと本当に自信あります。

「やる気」と「やる」を切り離す

前回、やる、ためる、の話で
やる気が有る時に「やる」
やる気が無い時に「ためる」
という図式で話をしてきました。

話をややこしくしないため、そう話してきたんですが
申し訳ございません。
嘘です。

おいおい、金返せ、ですね。

ためるが終わったあと
実は、やってみると分かりますが
やる気のある時より、やる気のない時の方が、圧倒的に長い

やる気のないとき
はい、「ためる」をやりました。

あれっ、まだやる気が起きないぞ
でーこんは、やる気を起こすなどという無駄な努力は、やらんでも良いとゆうとった
じゃあ、何すりゃええねん

ですね

さあ、もう一度、一から考えてみましょう

「やる気」と「やる」を切り離す
やる気のあるときは、やりたくて仕方ないわけですから、ほっといたってやります
それは否定しなくても良いでしょう。

問題はやる気の起きないとき

この時は、「やらない」んですか
という基本的な疑問です。

やる気がある→やる
やる気がない→やらない
って、何を根拠にそんなこといっているんでしょう

実は私自身かなり「極意」みないなものをしゃべってると思ってますが
みんな、おかしな方程式にとらわれてしまっていると思います。

目標が決まっている。
やるべきことも決まっている。

やりゃあ良いじゃん
それだけです。

モチベーションだのバイタリティだの、そんな高尚なもの何もなくったって
やる気のない死人のような目のままで、漫然と事務的に「やる」
ダメですか

効率だの、スピードだのを考えれば
やる気があってガーッとやった方がいい

うさぎさんもいれば亀さんもいる
スピードを気にせず、目標に近づくことが大事なんだとなれば
どうあれ、やればいい

もちろん、やる気が無いときは、ためることを優先したいので
ためることをやって、まだ時間が有ったらということにはなりますが
間違いなく時間は有るでしょう

「やる気」と「やる」を切り離せばいい。

私自身、やらないときの自分への言い訳として
やる気が起きないんだよ
ってのを使ってきました

「やる気」と「やる」を切り離すと決めてからは
とても楽になりました。
やる気が起きない自分を責めなくて良い
やる気を自分に起こさせるための無駄な努力をしなくていい

やる気が起きないのに「やる」って、それが出来りゃあ苦労はあるかい
それができないから困ってんだ
って言いたいと思いますが
本当ですか?

やる気が起きないってときに「やる」ってしたことありますか
やる気が起きないからやらないって決めちゃってる

「やる気」と「やる」を切り離す、と決めるだけでいいんです
自分でもビックリすると思います
少なくとも私はビックリしました。

やれるやん
「やる気」と「やる」って関係無かったんかい
早よゆうてえなあ

江戸城が荒廃していた。見て興奮

昨日、皇居に行ったエピソードをお話ししましたが
一般参賀の後は、本来の目的です
地図

写真集を借りていました
「写真でみる江戸東京」という本です。
東京の、色んな場所の古い写真が出ているのですが
半分ほどを占める一番メインになっているのが「旧江戸城写真帖」という写真集からの写真
明治4年に江戸城の中で撮影されたものです。

坂本龍馬の写真も残っているくらいですから、写真の技術も有るにはあった訳です。
でも、現実にちょんまげを結って、刀を差している人が写っている写真を現実に見ると
おおーっ、時代劇でやっていることって現実だったんだって、感動。

そして、ほんの一部には、洋服を着ている人もいる。
面白いのが、着物で刀を差している人が、洋傘をさしているということ。
雨でもないのに、日傘代わり

旧江戸城写真帖
旧江戸城写真帖には、目的が有りました。

1868年(慶応4年)4月11日を最後に、280年ほど住んでいた徳川一族が、城外に去る
江戸城がもぬけの殻になる
西の丸下や三の丸外に延々と屋根が続いていた譜代大名の家屋敷が次第に撤去されていく

それから、3年後の1871年
厳重に警備されて、だれひとり入れなくなっていた江戸城。
3年たつと荒廃してしまっていた。
日々草むし、白壁は、剥がれてしまいつつあった。

蜷川のりたねという明治政府の役人が、情況を憂い、記録として写真に残さねばと、申し出たのである。

荒れ果てた状態が、写真で良く分かる
とても貴重な写真集

確認
皇居をウォーキングするなら、それぞれの写真の場所に行って景色を思い浮かべ、感じてみたいと思いました。
そして、今日

その時の、地図を見、写真を見比べて
この辺りから見たわけね

そして、現在の様子となっている写真と同じ景色を探す
あった、ここだ。
昔は、ここからこういう景色で見えたのか

今という時期、荒廃していた明治4年、そして栄華を極めた江戸時代
3つの時代を頭のなかで、重ね合わせる

面白い。とても面白い
これをやっぱりウォーキングイベントにしよう

この辺は一緒やん、とか
この辺は今は取り壊されて、全然景色違うんやね、とか

写真に撮影者が、「巽三重櫓」みたいに解説を書き入れているんだけど
ええっと思ったのが、遠くの景色に「ツキジホテル」とカタカナで書いてあったこと
明治4年に「ツキジホテル」という建物が有ったという事です

いやあ、興奮した一日でした。

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