詐欺的商売を内側から見てみて

前回、ちょっとだけ詐欺的商売の話をしました

どんなのか
看板屋です。

コンビニとかの看板は夜でも明るいですよね
中に蛍光灯が入っている
あのタイプの、商店の前につける大きな看板で
コンビニとかのより前に突き出していて雨よけにもなる

なぜ詐欺的と言っているかというと
嘘をついているから。

即決なんです。
最低でも100万以上する高いものですけど
我々営業がローラーで一軒一軒訪問
その日の内に、判子をもらう

じゃあ、その商品は粗悪品かというと
それはそういうわけではないんです。
ちゃんとしている。

問題は値段だけです。
同じものを地元の工事屋さんにやってもらえれば
おそらく半分の値段で出来る

基本トーク
基本トークなるものがある。
我々新人は徹底的にそれを丸暗記させられる
来る日も来る日も丸暗記
スラスラスラと口から出てくるまで

なんでそういうものが必要かというと
ストーリーがいるからなんです。

即決のためには、ストーリーが必要です。
今日この場で判子をもらわなければならないという理由付け。
合い見積りを取られると完全にアウトですからね。

ストーリーは
基本トークはもう忘れちゃってるので、
大体の流れを説明しますね

(パンフレットを見せながら)
私たちは、こういった看板の枠組み、アルミでできているんですが、そのアルミのメーカーです。

○○月(3ヶ月くらい先を言う)から、この地域の工務店さんにうちの素材をおろし
大々的に看板作成を展開してもらうことになりました

ただ、工務店さんはパンフレットが無いと売りにくいと言われるんですね
ですから、この地域で、各業種1店舗ずつだけ、前もって付けていただいて
写真を取らせていただこうと言う話になりました。

まだ○○屋さん(その時伺った店の業種)は写真がないもので伺ったわけです。

もちろんお願いをするわけですから、大々的に始まったときの費用とは全く違う費用でやらせていただきます。

ただ、ひとつ条件があります。
我々は営業じゃないもんですから
何度も通うということが出来ないんです。

今日、承諾いただかないといけないんです

からみ
課責(課の責任者ということ)という人がいます。
この人たちはものすごい
我々の役目は、からみ、と言われるところまで

まず、朝早くに会社に集合して朝礼。
7時くらいだったか覚えてないけどやたら早かった
その時は5時起きだった
募集要項では9時始まりだった気がする
朝礼は軍隊的。

車に4人くらいで乗り込む
運転は課責が行い、地方の町に向かう。

ここってところで下ろされ、一般社員は一軒一軒回って、ひたすら基本トーク
からみができるまで

からみができると課責に携帯で連絡。
待機していた、課責の出番になる

からみは、なにかというと
それはいくらなんだ
と値段を聞かれること

値段を聞かれると

分かりました
その辺は私は分からないんですが
ちょうど近くに施工の者が来ているので
サイズとか測って値段を出させます
呼んできますので、ちょっと待ってくださいね

芸術
さあ、ここから、営業の芸術が始まります。
100万以上するものをその場で判子押してもらう。
あり得ない光景がそこから展開されていきます。

ここからは、次回お話することにいたしましょう。

増上寺、将軍のミイラ当てクイズ!

クイズ形式にしたいので、色んな話を後回しにして、まずはクイズ

以下の6人の将軍は、芝の増上寺に埋葬されていました。
事情があって、掘り起こす、世紀の大調査が行われます。

以下の6人の将軍です。

1. 2代将軍 秀忠(ひでただ) 54歳没
2. 6代将軍 家宣(いえのぶ) 51歳没
3. 7代将軍 家継(いえつぐ) 8歳没
4. 9代将軍 家重(いえしげ) 51歳没 言語障害があった
5. 12代将軍 家慶(いえよし) 61歳没
6. 14代将軍 家茂(いえもち) 21歳没 公武合体で有名

ミイラは、以下の6体。さあ誰がどのミイラでしょう。

A.埋葬された遺体は奥歯が著しく磨耗。過度の歯ぎしりの証拠
B.遺体は二重の銅棺の中にあり、自然に半ミイラ化していた。
 黒い束帯姿だった。
 この頃になると天下は安泰で顔立ちも細長く、骨組みも華奢になっていた
C.遺体の回りに腐敗防止の朱肉が詰められており、
 昨日に死んだばかりの人みたいだったとか。
 が、30分後、かんな屑のように崩れだした。
 瓜実型で鼻が高い。虫歯のない綺麗な歯並びが感嘆を誘った。
D.遺体に残る30本の虫歯は異常なほど甘いものが好きだったことを物語る。
 傍らに埋葬された和宮はわりと簡素な棺に納められていた。
 その遺体の細い右手には夫のガラス写真が握られていた。
E.その棺には雨水が入り小さな遺骨も溶け、髪と爪だけが浮いていた。
 淡い生涯を象徴する。ただし、霊廟は立派だった。
F.棺を納めた輿ごと石室から現れる。
 その遺体はあぐらをかいた姿でミイラ化していた。
 半白の頭髪から爪まで残り、戦国の武将を思わせる筋肉質の体格が読み取れた。
※引用は「江戸名所の謎」からです。

下見です
ウォーキング同好会で、増上寺と東京タワーを中心としたイベントをします。
今日はそのイベントのリーダーをやってもらう人と下見です。

折角ですから、増上寺についても色々調べましたよ

増上寺
徳川家康と増上寺の関係は、家康が天下を取る前にさかのぼる。
1590年、49歳のとき、家康が新天地江戸に入ってきた。
芝に通り掛かった時、喉が渇いた。

浄土宗か、徳川家も浄土宗だ、立ち寄ってみるか

存応(ぞんのう)和尚が先頭に立って出迎え水で冷やしたお茶を振る舞ってくれた。

時が経つのを忘れたように話し込む。

翌日、家康は訪問し直します。
徳川家の菩提寺とさせていただけませんか。

埋葬は増上寺でって事ですね

増上寺は隆盛を極めることとなります。

ところが
家康の晩年に、もう一人家康の心をむんずととらえて離さなかった人が。
上野寛永寺の天海です。
この人はおそらく化け物。
余りにすごすぎるので、また今度お話しします。

上野寛永寺も菩提寺になっちゃいます。

家康は死ぬとき、増上寺に埋めてくれと、言い残すのですが
天海があれやこれやと言って、結局、家康は日光東照宮に埋葬されます。

2代将軍、秀忠は増上寺に祀れましたが、
3代将軍、家光は日光東照宮へ
4代将軍、家綱と、5代将軍、綱吉は寛永寺にとられます。

増上寺も黙っちゃいません。

話し合いが持たれました。
分かった、じゃあ今後は半分半分ということで。

バランスよく、今度はこっち、次はそっち。

明治以降
明治になりました。

明治政府は当初廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)政策。
増上寺は大打撃を受けます。
なんせ、明治政府からすると敵である徳川家の菩提寺なんて、
もっての他でございます。

そこを何とか乗り越えたのですが、
東京大空襲では大打撃を受けます。

各門が点々と残っただけ。
敷地内は、建物の残骸に雑草が絡み、広大な廃墟と化します。

1958年、決断の時。
広大な土地を、ゴルフ場や東京プリンスホテルに売却します。

そこで掘り起こして遺体を移すという事になったわけです。

答え
1. 2代将軍 秀忠 → F
戦国の武将を思わせる、が決め手かな
2. 6代将軍 家宣 → B
この頃になると天下は安泰、をどの頃と読むかですね
3. 7代将軍 家継 → E
小さな遺骨、淡い生涯
4. 9代将軍 家重 → A
言語障害と、歯ぎしりを結び付けていただければ
5. 12代将軍 家慶 → C
消去法です
6. 14代将軍 家茂 → D
和宮と言っちゃいましたね。

和宮の補足
和宮の右手に握られていた家茂の写真
外気に触れたからでしょう
たった一日で画像が消えてしまったそうです
これも女ごころかも知れません。

索引はこちら
[徳川十五代将軍]シリーズはこちら(少し下げてね)

あれっ、私の年齢は? めったやたらに、おめでとう

「お」の付く6つの言葉の話です

おもてなし
おてんとさま
おかげさま
おめでとう
おつかれさま
おたがいさま

今日は4つめの、おめでとう

おめでとう
これ、ちょっと違和感があった
そんなに、これって日本人特有の感覚なの?

そもそも、そんなにおめでとうって言うかなあ

そう言われれば
そう言われれば、一年はおめでとうで始まる
相手がめでたいかどうかなんておかまいなしに
誰かれ構わず、全員が全員におめでとうございます。
外国人にはむちゃくちゃ違和感あるでしょうね

よく考えればこれって凄いことかも

節目
本に書いてあったのは、節目がいっぱいってこと

喜寿だ米寿だ

一年のうちでも、3/3 5/5 7/7 9/9
月と日の数が揃っただけで、あらめでたや
何かにつけておめでとう

誰彼構わず祝福しちゃう

年中行事ってそういうことだったんですね

わが家は
年中行事にはとても疎かった。

めんどくさいが先に立って

もっと楽しめば良かったんだ

理由や口実なんてどうでもいい

いやあ、おめでとうございます
ありがとうございますぅ
で、なんでしたっけ

まあまあ、よろしいやないですか

思い出した
そう言われると、えらいこと思い出しました。
明日は私の誕生日だった

私は一体、いくつになるんだろう。

一定の年齢を越えた辺りから、とても自分の年齢に自信が持てなくなってきた。
自分が年齢にふさわしいかみたいな、そんな哲学的な意味ではない。

単純に、
私は何歳だったっけか

皆さん凄いですよね。
ちゃんと自分の年齢分かっている。

おそらく、56歳になるんじゃないかと思うんだけど
絶対そうかと言われると自信がない。

私の場合、毎年毎年、年齢が変わる
せっかく覚えた自分の年齢なのに変わっちゃうんです。

どうにかならんのかね。
もういいよ、めんどくさい
と投げやりになっちゃう

しかし、子供の名前は間違うは
自分の年齢は分からんは
どんだけあほやねんという話でしたね
大変失礼致しました。

推古天皇は聖徳太子よりえらいから2万円札?

女性天皇シリーズは、何と言っても初代女性天皇推古(すいこ)天皇でしょう。

背景
まずは、ベースのベースである社会制度的なことですが
1.一夫多妻制である
2.基本、皇位継承は、慣習的に兄弟継承が原則である
3.生前に皇位を譲る(譲位)ことは前例がない
ということです。
長男が継ぐと決まっているわけでもないし、
一夫多妻制の元では、長男と言えども、どの長男?てのがある訳です。

一言で言うと、ルールがはっきりしていない。
ただ、範にしている中国は男性しか王位につかないので、男性なのかなあという感じ

さあ、こういう状態で何が起こるか
自分が天皇になりたいとする。
お兄ちゃんがいる
殺そう、となる訳です。

兄弟殺しのどろどろの歴史が繰り広げられていた時代と思ってください。

欽明(きんめい)天皇没後から
そして、欽明天皇がなくなります。
欽明天皇は3人の妻がいます。
それぞれにいる子供合わせて6人
日本書紀には22人いることになってるんですが
それ以降6人以外全く名前が出てこないので幼少の内に死んじゃったかも知れません
話をややこしくしないため6人ということにさせてください。
面白いのは、異母兄弟だったら結婚してもいい感じになっていて
6人の内、2組みの夫婦がいます。

まずは、敏達(びだつ)天皇が即位。
この敏達天皇の妹かつ奥さんが推古天皇です。

敏達天皇が死んで、次に用明(ようめい)天皇
欽明天皇は3人の妻の内、1人は蘇我(そが)氏一族です。
その蘇我氏の子供である用明天皇に順番が回ってきました。
さあ、蘇我氏が力を増していきます。
実は同じ蘇我氏のお母さんの子供が推古天皇です。
あとで出てくる、聖徳太子(しょうとくたいし)は、この用明天皇の子供です。

この辺ずっと、蘇我馬子(うまこ)は大臣(おおおみ)です
このころ、もう一人の兄弟、穴穂部皇子(あなほべおうじ)が蘇我馬子に殺されちゃっています。
ここも日本書紀に変な事書いてあります
額田部王女(推古天皇のこと)の命令で蘇我馬子が殺させた。
まだ天皇でもない、前の天皇の奥さんだっただけの人がそんな命令するんだろうか
ひょっとして、この頃から推古天皇はかなりの実力者だったのか。
穴穂部皇子って推古天皇を強姦しようとしたことがあるから、推古天皇としても
殺したかったかもしれません。

用明天皇も死んで、今度は崇峻(すしゅん)天皇が即位
お母さんは蘇我氏ではない。

最初は良かったんですが、崇峻天皇が、蘇我馬子を疎んじるような発言をした。
怒った蘇我馬子はクーデターを計画します。

天皇継承候補者間での兄弟殺しは横行していた時代。
ただ、初めての臣下が天皇を殺すというのは前代未聞。
白昼堂々、政治的儀礼の場で行われた。

残っているのは
残っているのは、推古天皇を含む2人の女性だけ

孫の世代まで行くと男性はいるが、20歳の聖徳太子をはじめとし、いずれも若い
そこで、蘇我系の聖徳太子を将来天皇にすべく、
同じく蘇我系で、敏達天皇の妻として天皇の政治を理解している推古天皇が
聖徳太子のサポート役を兼ねた形で即位。
ちなみに聖徳太子とは後世に付けられたあだ名みたいなもので、歴史の本では厩戸皇子(うまやどのおうじ)と書いてありますが、このコラムでは、分かりやすい聖徳太子で通しますね。

ここに、初の女性天皇が誕生することになります。

何をしたか
ここからは学校で習った通り、華々しい実績を残します。
冠位十二階や十七条憲法や遣隋使。

どれだけすごいかと言うと、お札になるくらい。
あれれ、それは聖徳太子でしょう?

問題はそこです。

蘇我馬子、推古天皇、聖徳太子
この3人のトロイカ体制であったとは思われます。
誰が、どの程度のウェイトで色んな政治や、仕組み作りにかかわっていったのか

蘇我馬子はかなりかかわっていたでしょうが、自分がやりましたとはやっぱり言えません。
影の立場を貫くしかない。
ここは、おいておくとして
推古天皇、聖徳太子の実際に関わった割合。

なぜ、聖徳太子がやった、と今まで言われてきたかと言うと
日本書紀にそう書いてあるからという理由。

日本書紀って中国向けの漢字で書かれた書物。
中国は、当時、男性しか絶対に認めていなかったので
日本書紀を編纂させた持統天皇が、遠慮して脚色したのではないか。

最近の研究では、どんどん、推古天皇のウェイトが高いのでは、となってきているようです。
極端な説では、そもそも、聖徳太子はいなくて、存在自体が脚色なのでは、というのまである

最大の謎はそんなに聖徳太子が実力者なら、なぜ聖徳太子は天皇にならなかったのか
結局、聖徳太子より、推古天皇の方が長く生きたので、聖徳太子は天皇にならずじまい
もちろん、最初話したように、譲位の前例はないけど、推古天皇さえその気になれば
できないことではない

ここで、ひとつ疑問が沸きます。
推古天皇は本当に、聖徳太子に次譲るためのピンチヒッターだったのか

蘇我馬子としてはおそらくそうです。
蘇我馬子の子供を聖徳太子に嫁がせている
次は何としても聖徳太子に。

でも、実は推古天皇には竹田皇子という実の息子がいる。
次を聖徳太子でなく、竹田皇子にと思うでしょう。
そのためには1つしか方法がなかった。

自分が天皇になること。
そうすれば、天皇の長男、竹田皇子が次期天皇になる。

すなわち、蘇我馬子の思惑より、推古天皇の思惑で、推古天皇は誕生した。
蘇我馬子の力が強ければ、20歳であろうが聖徳太子は即位させられたはず。
蘇我馬子を押し退けて、私がやるって言えば実現できるほどの実力者だったのではないか。

残念ながらその計画は、推古天皇即位後3年ほどで
竹田皇子がなくなってしまい
ついえてしまうのですが。
そんな推古天皇が、聖徳太子をそんなに立てますかね、と。

そう、実は色んな業績は全部推古天皇がやった、ってあり得るなと思うんです。
次2万円札が出来た暁には、是非推古天皇でお願いします。

いずれにしても、推古天皇が先鞭をつけてくれたので
続々と、女性天皇が現れることになります。