藤原兼輔、みかの原~、顔を見たことない人に恋?

みかの原 わきて流るる いづみ川
いつ見きとてか 恋しかるらむ

みかの原からわき出て流れるいづみ川の「いつ」ではないが
いつ見た訳でもないのに、なぜあの人がこんなに恋しいのだろうか

藤原兼輔
百人一首では、中納言兼輔
藤原兼輔は紫式部のひいおじいちゃんになります。
三十六歌仙の一人で短歌ではかなり有名です。

見てないのに
顔も見てないのに恋心が芽生える。
とても不思議な気がします。

当時の姫君は、そもそも人と話するときに、顔を見せずにみす越しに話をする。
顔も見ていないうちに恋心が芽生えるというのも、無いわけではなかったようです。

例えば、源氏物語の末摘花って、そんな感じ。
顔を見たこともなく、琴の音を聞いただけ。
それも、下手ではないけど、心を打つというほどの事ではない。
それでも気になって気になって

一夜を共にした後も良く分からない。
(ここはいくらなんでも、と思いますが)
次にあった時に顔を見てみると
な、なんとーーー
というお話でした。

結婚なら
顔を見ないで恋愛って、文通とかLineのやり取りとかがあれば
現在でも全くないわけではないのかな。

結婚なら結構最近まで有ったかも。
カミさんの東栄町のおじいちゃんおばあちゃんは両親が決めた結婚。
おばあちゃんが結婚を決めた理由は、おじいちゃんの家が駅から近いから。
そんなに珍しい話でもないかもね。

有名なのは
実は、藤原兼輔の歌では、百人一首のこの歌より、もっと有名な歌があります。

人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな

子を持つ親の心は闇というわけではないが
子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものですな

醍醐天皇の更衣となった、我が子を心配している歌です。
ながらく、子供を思う親心については、この歌が引用されることになります。

バレタインデーの度に流される、国生さゆりのバレンタインデーキッスみたいなもんですね。

特に、ひ孫、紫式部は、源氏物語の中で、26回も「心の闇」という言葉で引用。
親心=心の闇です。

うちも、二人の娘に早く彼氏が出来ないかとひたすら願っておるのですが
この前、若干の兆しがあったものの、違っていたようです。

ああ、早く孫の顔が見たい。
男の子が良いなあ

江戸のアルバイト事情、月半分で暮らす方法

前回、江戸時代はみんなそこそこ裕福だった、という話をしました。

もちろん、例外もあります。
今日は、その例外になっちゃった人の話。

一日江戸人に書いてあった話です。

だめになったら
農業でうまくいかなかった。
食ってけない。

首くくる?
痛そうやし

そうや!
江戸、行ってみよ

ということで、江戸へ。

なんとかなるさ
江戸良いわ。
大好きっ。

何とかなりそうな気がしてきた。
訳分からんけど、みんな明るいのなんの。

あっちでもこっちでも、
色んな人が色んな事やってる。

二人一組で
一人が顔を真っ黒に塗る

江戸は浅草、京は四条河原、浪速は天満天神内におきまして
ご評判に預かりましたる
紀州熊の浦で生け捕りました河童でござーい。

黒い男は舌を握って
からららら

そうすると、足を止めて、笑ってくれる。
江戸の人はそれだけでは終わらない。
チャリンチャリーン。

江戸って何とかなる場所。
その日食ってく分をその日に稼いで
宵越しの銭ゃ持たねえ
パーッと使っちゃう。

江戸にものをもっていきゃあ、何だって売れる。

上方の人たちだって、自分達はコツコツ貯めてますけど
羽振りの良い江戸の人達は、大のお得意様
決して悪く言わない。

ウケた変な人
■閻魔さま
顔を真っ赤に塗って、納豆箱で細工した冠つけて、すりこぎ持って、眉毛をゲジゲジに書く。
■半分マン(ありゃりんと)
体を右半分女性の扮装、左半分男性の扮装。
ありゃりんとといいながら、女性の方で腰をくねらせ
男性の方ではいかめしく六方を踏んで、ありゃりんと
■ごみ太夫
全身ごみで装う
てれつくてんてん天道まかせ、昔は花もやるせなき、花のお江戸のお取立て・・・
このごみ太夫、あまりにウケたので、中村座で歌舞伎になったほど。

あと、親孝行、天王様、仙人、ちょろけん、等々いっぱいあります。

あの葛飾北斎も、食っていけるようになるまでは、
やあれそうれとんがらし、ひりりと辛いは山椒の粉・・
と、巨大な唐辛子の張り子を背負って歩いた。

個人でなんとか
商工業は発達しているのに、商店レベルはあるにしても、会社が有るわけではない。
坂本龍馬が作った、亀山社中が日本最初の会社って言われるくらいですから。

基本は、個人でなんとかする。

でも、気質としては怠け者で、働きたがらない。
不思議に物価と収入のバランスがよく
月のうち、半分も働けば、妻と子供を養っていける。

女房が、「お前さん、お米が一粒もないよ」と言えば
外へ出て
米つこうか、薪割ろか、風呂焚こうか
と言えば、どこかからかお呼びがかかる。

坂の下に立っていれば、日に何回か重い荷物が通るから後を押す。

町を歩いている物売りの中でやってみたいものがあれば、
その人に聞くと親方のところに連れていってくれる。
商売道具一式貸してくれるので、その日のうちから商売が出来る。

経済って
改めて、経済って何だろうと思っちゃいます。
選挙の度に成長率をどうたらこうたら言うけど
経済発展なんているんだろうか。
物価と収入のバランスが江戸並みであれば、
みんなそこそこに働くだけで、十分に食っていける。
成長率よりバランスを崩さないように保っていく事なんじゃない?

気質
そのバランスを保つのは、みんなの気質なんでしょうね。
みんなが一様に頑張りすぎない社会。

宵越しの金を持つつもりないから、
薪割ろか、と言われれば、
割ってもらって「余分な」お金をポンとあげる方がいい。
その代わり、自分が足りないときはそうしてもらえる。

お金はみんなのもの。

昔、近いことがありましたよね。
醤油。
醤油が足りなくなったら、ご近所にもらいに行ってた。
当たり前に持ちつ持たれつやってた。

無茶苦茶、真面目な頑張り屋さんは
月半分じゃなく、フルフル働いて、貯金もしたんでしょうけど
江戸は何度も大火事に見舞われて、家ごと無くなっちゃう。
そんなときに、
もう、いっか
って思ったんでしょうね。

幸せって何だろう。

13代家定、ガチョウ追っかけてる場合じゃないよ

徳川将軍シリーズもいよいよラスト3

家定といえば何と言っても大河ドラマの篤姫です。
実は大河ドラマってほとんど見たことがなかったんです。

カミさんはまずまず歴史好きなので
新しい大河ドラマが始まる度に、ガイド本みたいなのを買ってきてた。
どれどれって見ようとすると
どうせ、歴史なんて分からないくせに、
私のお金で買ってきたんだから、読まないでくれる?

テレビ見ながら、
この人はどういう人?

もうっ 質問しないで
あっち行って。

はーい。

篤姫
篤姫は、違った。
宮崎あおいちゃん、良かったなあ。
たまたま一回目見て、次も見て
あれっ、面白いんじゃない?

毎週全部みたのは、篤姫が最初。
幕末って面白いなあ。

いくつか本も読んで。

そうこうしているうちに、次の次に龍馬伝が始まった。
これはもう、かじりついて最初から最後まで見ました。

最初から最後まで見たのは、後にも先にもこの2つだけです。

この頃、私の歴史への興味は、完全に幕末オンリーでした。

家定
堺正人さんでしたね。
ガチョウ追いかけてました。
堺正人さんは、あれよあれよという間に国民的大俳優になっちゃいましたね。
半沢直樹が大きかったですね。

では、篤姫の前から参りましょう。

3人目
最初の正室は、有君(任子)(ありぎみただこ)
家定18歳、有君19歳。

有君は綺麗な人で鼓の名手でもあった。
でも、残念ながら、有君26歳の時に病死。

今度は翌年、秀子を正室に。
24歳でありながら、子供ほどの身長しかなかったらしい。

家定は、秀子を気に入っていたが、
翌年、秀子も亡くなってしまう。

家定のショックは大きく、
もう嫌だということになったが
それが許される状況ではなかった。

実は、11代家斉の正室は色々あって薩摩の島津家からもらっている。
その前例から、島津家にまたお願い、ということになって
篤姫に白羽の矢が立った。

1852年、篤姫との婚約が成立。
そして、運命の1853年を迎えることとなる。

ペリー来航
すぐ後に、家慶病死。
家定、将軍に就任。
これらが1853年。

翌1854年に、ペリー再来航。
1855年 安正の大地震。
1856年 篤姫が正式に正室となる
1858年 井伊直弼(いいなおすけ)大老になる
同年   家定、病死。

家定の将軍の期間は5年の短期ということになる。
篤姫との結婚生活は1年と7ヵ月

うつけ
家定というと、うつけということになっています。
脳性麻痺であったろうと。

ガチョウを追いかけたり、豆をひたすら炒ったり。

ただ、いやそうじゃないという人も根強く存在する。
ハリスの証言でも、両面書かれている。

ドラマでは、わざとうつけのふりをしているという設定でした。
そうしないと毒殺されると。

でも、うつけのふりをすると殺されないかというと、どうなんでしょう。
死んだ日がどうにもひっかかります。

料理が好きで、自分で作って食べていました。
カステラも作っていたというからかなりのもんです。

将軍継嗣問題
家定と言えば、将軍継嗣問題
次の将軍に紀州の家茂を推す南紀派と、一橋の慶喜を推す一橋派に真っ二つ。
今までも次期将軍でもめたことは何度も有るけど、一番激しい対立。

でも、おかしいと思いません?
家定は病気持ちのうつけとはいえ、まだ30代。
篤姫も嫁にきて、さあこれから。

将軍に就任そうそう、次の将軍でおおもめにもめるって
失礼過ぎませんか。

そもそもが、篤姫は一橋派の急先鋒薩摩藩から、極秘の指命をうけ
次期将軍は慶喜にと家定に言ってもらうよう説得せよと。

篤姫も何でハイって言うんでしょう。
私がお世継ぎを産んでみせます、と言えば良いのに。

ペリーが来てるわけで、
ここは一致団結してほしかった。

時期が悪すぎた
こんなに難局でなければ、今までも、将軍は政治にほとんど口出ししていない訳だし
多少のうつけであっても、ここまで失礼な扱いは受けなかったんじゃないだろうか。

1,2,3,5,8代以外はほぼ任せっきりでうまくやってきた。
でも、人事権だけは、みんな自分の意思でキッチリ行使してきたと思う。

じゃあ、家定は?
家定もちゃんとやったよ。

井伊直弼を大老にすえ
諸大名を招集して家茂を将軍継嗣にするという意向を伝えた。

南紀派に軍配をあげた。

慶喜は無茶苦茶頭良かったんだけど、
みんなに嫌われすぎましたね。

その後、井伊直弼が、家定の意向として、一橋派の処分を大々的に発表。
それを皮切りに、例の安政の大獄が始まっていく訳です。

なんとその発表の翌日に、
家定は、息を引き取ることになります。

うつけ作戦、結局どうだったんでしょうね。