[仏像の見分け方]文殊菩薩 文殊の知恵

仏像の見分け方シリーズ
観音様シリーズが終わったので
菩薩のうちの残りってことになります。

文殊菩薩
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は、智慧を象徴する菩薩です

知恵が無駄にこぼれ出さないように
キャベツで土手を作って

ちゃうちゃう
それは、もんじゃ

釈迦人減後、インドに生まれた実在の人物です。
初期の仏教においては仏陀に代わるほどさかんに活躍します。

三人寄れば文殊の知恵
カミさんと長女と次女
あれ
私は?

般若心経好きの私としては、その元となった「般若経」で
問いかけ役をやっている重要な役回り。

智慧と知恵、って敢えて漢字を分けたんだけど
本当は、仏教でいう智慧は、
般若心経でいうところの空(くう)とほぼ同じ意味で
みんなが使っている知恵とはちょっと違う。

でも、まあいっか、ってことで
三人寄れば文殊の知恵なんかでは
一般的な知恵の意味で使われています。

ことわざになるくらいだから有名人で
『般若経』『維摩経』『法華経』『華厳経』など多くの経
典に説かれ、仏教的エピソードもたくさん残しています。
大体、色んなところで先生役をやってます。

見分け方
分かりやすいよ

そもそも、単独での仏像より
釈迦三尊(しゃかさんぞん)と言ってお釈迦様の助さん格さん役の方が多い。
向かって右側になります。
向かって左は普賢菩薩(ふげんぼさつ)

レッツゴー三匹でいうと、長作の方。

獅子に乗ってます。
色がついている場合は青い獅子。
獅子に乗っているのは仏像の中でも文殊菩薩だけなので
これさえ分かれば完璧。
獅子に乗れば文殊の知恵、と覚えましょう。
ん?
何か覚えやすい?

獅子の上に蓮華が乗っていて
その上に結跏趺坐(けっかふざ)という難しめのあぐらをかいています。

右手に剣、左手にお経を持っています。

吉田松陰、獄中で学校作ろうか

「感動する!日本史」から

吉田松陰
なんじゃこりゃあ

黒船で日本国中大騒ぎ

実はペリー来航以前も、各国からいっぱい船がやってきていて
開国要求が、日に日に増してきていた。

とは言え、ペリーの黒船は今まで来ていた船とまるっきり規模が違っていた。
しかも、蒸気で動く

そもそも、それまで日本では大きな船って作っちゃいけなかった。
大量に、日本から逃げ出されちゃ困っちゃいますからね。

当時許されていた最大の大きさの船と比べると
黒船は19倍。

見たことないとんでもないものを見たら
人々の反応は色々です。
ほとんどが、ただ兎に角見てみたいというだけの人で黒山の人だかり。

中には、あそこには珍しいものがいっぱいあるはずと
小舟をこぎだして
物々にトライするものも。

そして、あれに乗って外国に行ってみたいと思うものがいた
吉田松陰(しょういん)、その弟子の金子重之輔(しげのすけ)
小舟に乗って

はうどぅゆどぅ
ぷりーず つれてって

ペリーたちも、日本の法律を勉強してきていた。

それ、無理。
えらいことになりますよ。

でも、後にペリーはこの時のことを「ペリー提督日本遠征記」の中で書いています。

日本人の研究熱心さには驚いた。
ふたりの若者が船で連れていって欲しいと頼みに来たけど
実に熱心で日本人の勤勉さを象徴する出来事だった。
必ずや、日本は良い国になるだろう。

自首
失敗となると潔く自首
逃げ隠れはいたしません。

「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」

護送中、泉岳寺の前を通ったとき、赤穂義士になぞらえて詠んだ歌
いてもたってもおられなかったんだから、しゃあないね

獄中で意気消沈と思いきや

ラッキー!
これで、朝から晩までずっと本が読めるぞ

1年2ヶ月の間に600冊の本を読破していきます。

終身刑なので、出られる見込みは皆無です。

周りも終身刑。
バカじゃなかろうか。

でも、周りの目が少しずつ変わってきます。
良かったのは、松陰が、相手の良いところを見出だす天才だったと言うこと

書だったり、俳句だったり
冗談でも皮肉でもなく、その話題については、先生と呼んだ。

俺も本を読んでみるかな。

今度、みんなの前で話してみてよ

本当か
まあ、俺は先生だしな。

今度は〇兵衛、次は〇之助

よし、今度は俺が「女の口説き方」てのはどうだ

自然発生的に学校が始まった。

松陰が、教えてあげます、聞きなさい、じゃなかった。

でも、やっぱり松陰の時が一番心を打った。
「孟子」や「論語」の講義
みんな、正座で聞き入ったという。
涙を浮かべるものも。

次第に評判になり
野山獄の責任者や牢の番人たちまでも
聞きに来るようになる

恩赦
1年2か月後に恩赦で出ることが出来た。

実家の杉家で謹慎の身となったが、近親者相手に途中になっていた講義の続き。

評判を聞きつけて、人が集まってくる
それがあの、松下村塾に繋がる訳です。

松陰は安政の大獄で刑死しますから、松陰が松下村塾で子弟の教育にあたった期間は、長く見積もっても二年十ヵ月。
なんと、その間の生徒の中に
のちの内閣総理大臣二名、国務大臣七名、大学の創立者二名
明治日本を背負って立つ人材が多数輩出される訳です。

〇兵衛
つうことはなんだ。
俺が松陰に教えてやったあの講義が、明治の日本を作ったってことだな

長女が帰ってくる

いよいよ長女が今日戻ってきます。
会社から帰ると長女がいるはずです。
これで、何年ぶりかの家族4人揃っての生活が始まります。

カミさんが
大丈夫かなあ
全然自信ないわ。

それ、ダメだったとしたらどうなんの

次女が
一家離散!
解散ーっ

掃除
ゴールデンウィークに掃除に行きました。
想像してた通りシンクやお風呂の排水口はドロッドロでしたが
全般的には、ゴミ屋敷ほどではなくまあまあ

こんなもんかな
終了ーっ

食事でも行くか
近くのファミレス

ささっと決めて注文。

こういうのっていつまでも決められない人いるよね
訳分かんない。

だよね。
僕もいつも一番早い。

ぐちぐち悩んでいる人の気が知れない

いつも幸せだよね
就職が全然決まらなくて一番大変だったときに
耳を疑った事があるよ
ああーっ、人生幸せだなあ
って言っていた。

あの時は大変だったよ。
悩んでたよ。
でも、気持ちの解消方法を知っているの

そりゃすごいやん。
どないすんのん。

イケメンの事を考えるの

考えるて、どない?

イケメンの俳優をイメージするとして
もし、その人がこのファミレスの店員だったら
って想像する。
もし、タクシーの運転手だったら
もし、駅員さんだったら

とても幸せ。

そりゃお手軽で安上がりだね。
関西人には、持ってこいだ

お父さんね
私を関西人っていつも言うけど違うからね。
いつも、自分のバカさ加減を、関西人だからって強調するけど
それ言う度に、全関西人の評判を落としてるんだからね。

そうかなあ。

そもそも、
お父さんは、関西弁だって喜んでるけど
標準語だよ。

えっ
ほんまか
そら、えらいショックなんやけど。

たまに、そうやって出るくらい。

ええっ
ほんまか
かなんな、しかし。

この東京砂漠に染まってもうた訳やな
木綿のハンカチーフの気持ちがよう分かるで。

最近ブログで江戸ネタを結構書いてるやん

いっつも
心の中で考えるときは
関西弁で考えるんやけど
最近
心の中で
てやんでえ
って思う時あんねん。

お父さんなあ
それ
ぜんっぜん面白くないから
絶対、人に言ったらあかんよ。

[昭和歌謡]14 女ひとり

昭和ヒット曲全147曲の真実、シリーズです。

女ひとり
デュークエイセス
作詞 永六輔 作曲 いずみたく

出たっ。永さん
まだまだ、永さん大好きモードです。
この歌、一番永さんらしい感じがする。
永さんは、江戸っ子だけどね。

♪京都大原三千院 恋に疲れた女がひとり

何回、口ずさんだろう。
決まってここまで。

次はこんなんですって。

結城に塩瀬の素描(すがき)の帯が、池の水面に揺れていた。

なんだかさっぱり分からないけど、永さんらしいなあ

京都で女ひとり、着物着てるんですよ。
こりゃもう、100%男が悪いでしょう。

京都の思い出
高校まで、兵庫県だったので
友達と、今度の日曜、どっか行こうか、となったら
何度か京都に行った。

高校生でもお小遣いの範囲で何とかなる交通費。

金閣寺とかのキンキラの観光地はなんだか気が引けて
でっかいけど、落ち着いた感じの南禅寺が好きだった。

京都のお寺のくせして、全然観光客を相手にしていない
幼稚園を併設しているようなお寺が
何だか良いよね
とか言って、いくつか回った。

そんなとき、友達が財布を無くしちゃった。

ええっ ほんまか
僕の方の所持金じゃ
二人分の帰りの電車賃にはちょっと足りない。

こういう、トラブルがあったときの旅行って
何十年経っても忘れないよね。
すんなり、綺麗なもん見て、美味しいもん食べただけじゃ
すぐ記憶の彼方。

何のあてもなく、解決策を考える糸口さえないままに
ぼうっと、そのお寺の境内に座っていた。

さすがに一時間以上も、観光地でもなんでもない、お寺の境内に
高校生が女ひとりならぬ「男ふたり」で座ってたら変ですよね。

そこの和尚さんが声をかけてくれた。

いやあ、これこれこうで。

そうでしたか。
これも何かの縁
これで足りるかな
返さなくても良いからね

と、お金を渡してくれた。

大感激。

帰って、即、親に話したら菓子折り買ってきてくれて
これと一緒にすぐお返ししよう。

すると、和尚さんから
筆で書いた、達筆な手紙。
漢文とかも引用しながら
感激しましたと。

いやあ。それはこっちです。

もうひとつ
もうひとつの京都の思い出は、大学受験の時
立命館だったのかな
帰り、友達だったか家族だったか記憶が曖昧なんだけど
誰かと京都の駅近くの喫茶店のようなレストランのような店に入った。

ピザ、とかいうのが、メニューにあった。

なんやろこれ
お好みみたいやけど、おそらくちゃうんやろな。
豚玉とかないし。
食べてみよか。
せっかく京都に来たんやし。

テーブルの上に、西洋お好みと共に赤い細長い瓶が置かれた。
わざわざ、ちっちゃい紙がついてきて

「かけすぎないようにしてください」

なんやろな
謎やな、これ。
ケチャップとは違うんやろな。

かけすぎないように、っちゅうたって
これ、全然出てけえへんぞ

さっきからずっと振ってんのに
ちょぺ ちょぺ
ああ、みみっちい。
赤う ならへん。

一口食べて

ひいいいい

なにこれ
西洋人は、どんなお好み食べてんねん。
黒船到来かっ

産まれて初めてのピザは
タバスコの味しかしなかった。

帰りの電車の中、ずっと
口の中が大火事だった。

いまだに、京都と言えば、すぐ思い出すのが大火事ピザ。