向島百花園。その2。もうひとつの楽しみ方

向島百花園は、全然違っていた
の続き

御成御殿
こちらは御成御殿(おなりごてん)

実際に将軍が来られました。

えっ、家斉ですか

はい、11代将軍が来られた時は
御成ではなく、通り抜け、と言っていました。
なぜそう言ったかは諸説ありますが
武家屋敷ではなく、商人の庭園になど行けるか、という事なんでしょうね
でも行ってみたいからこっそりとお忍びで。

12代家慶の時はちゃんと予約されて来られました。

さらっと言われましたが
これはすごいことです。
将軍が商人の庭園に来るってあり得ない
よほど評判がよく、認められていたと思います。

花菖蒲
花菖蒲が綺麗に咲き始めていました

花菖蒲と菖蒲とは違っていて
菖蒲湯で使うのは花菖蒲ではなく菖蒲
菖蒲の花はこれ

ホタルブクロは、子供がこの花の中に蛍を入れて遊んだから

ヤマホタルブクロはこっち

見分け方分かります?
色じゃないんです。
両方とも紫も白もある
この、こことここのガクがそっくり返っているでしょう
そっくり返っている方がヤマホタルブクロ

こちらが睡蓮(スイレン)?

こちらが未草(ヒツジグサ)

ヒツジグサは未の刻(14:00)に咲くからヒツジグサって言うんだけど
朝から咲いてますよ、との事でした。

昨日、コメントでこの写真は蓮(ハス)ですねと言われて、はいって言っちゃったんですが
さっきネットで調べたんですが蓮と睡蓮(スイレン)は違うそうですね
葉っぱに切れ込みが入っていると睡蓮
てことは睡蓮?
ヒツジグサの方はそのあと話題になったんで記憶しているんですが
ハスって言ったかスイレンって言ったか記憶が曖昧です。

あと、ミツバアケビとアケビの話も面白くて
ミツバアケビの実もひとつだけなっていたんだけど
今見ると写真がちゃんと写っていなかったので断念

というように、色んな面白い話がいっぱいあったんだけど
名前をほとんど覚えられなくて、残念
話せないので、全部割愛

花カレンダー始めて2ヵ月近くになり
そこそこ花の名前も分かってきていると思っていましたが
愕然としました。

見事にひとつも分からなかった
分かったのはあちこちに雑草で生えていたドクダミだけ

要は、町中で見かけるような植物は百花園にはないという事です。

春夏秋冬一回ずつ行って季節ごとのガイドさんの話を聞かないと
どうにもならんということが分かりました。

お昼
ガイドさんの解説が終了

買ってきたお洒落な惣菜パンを食べましょう。

これはあまりにレベルの高い庭園だと分かったので
さらに気合いを入れてもう一回りすることにしましょう

まずは入口へ
都立9庭園だと必ず買っている統一的パンフレット310円

ふと横を見ると、こんなのが

1000円のでっかい本です。
見本をチラチラ眺めて
えーい、買っちゃえ

それが故に、ここからがむちゃくちゃ忙しくなりました。

もうひとつの楽しみ方
向島百花園には、二つの楽しみ方があります

最初にガイドさんに
花で行きますか、歴史文芸で行きますか、って言われたそれです。

途中から、メンバーが増えて花の方に大きくシフトしちゃったので
ポンポン飛ばして行ったのですが
向島百花園には石碑がいっぱいあります。

これは、都立9庭園でここだけの特徴です。

六義園が和歌のテーマパークで無茶苦茶面白かった。

ちゅうことは
ここはひょっとして、俳句のテーマパークか?

例えばこれ

芭蕉の句になります。

芭蕉の句で梅を歌ったもの

なるほど、それぞれの花の場所でゆかりの句を石碑にしてあるという事だろうか

元々の成り立ちを考えると、佐原鞠塢(きくう)と愉快な仲間たち、みたいな感じで
当時の有名文化人が協力しあって作ったものな訳で

植物園の中にそれぞれの植物にちなんだ句でも書いておくか、程度の事であれば
一流の文化人とは言えません。
そうそうたる著名人の名に恥じない仕上がりにする必要があります。

さあ、そうなると忙しい
さっきの本を片手に、それぞれの石碑の前に行って
半分くらいが俳句の碑なんですが
意味を理解し、味わう必要があります。

大変大変

結論から言うと
さっきの本は句の意味の解説をしている本ではありませんでした。
作者の背景、字は誰が書いたか、みたいなことが主
句碑の解説も順番に並んでいなくて、探すだけでもえらい大変

芭蕉の二つ目の句碑

山上憶良の歌碑

でも、ちょっと不思議
芭蕉も山上憶良もその時代の人じゃない

せっかく当時の超一流文化人が協力しあっているんなら
その人たちの作品をのせた方が良いんじゃないか

もちろんそういうのもあるんです。
でも、おそらくそうなると宣伝っぽくて野暮なのかも知れませんね

帰ってきて、本をさらに読むと、ひとつの答えが見えてきました。

書ですね

佐原鞠塢は書に造詣が深かったし、自分でもかなりのレベルにあった。

句のテーマパークというより
書のテーマパークだった気がする。
だから、木の看板に明朝体でちょろちょろっと句を書いてという訳には行かなかった。
石碑であったからこそ
この今の時代でも、書としての文字の芸術を味わえる

それ、気づいておけばさらに見方が変わったのに。
まあ、どうせまた行くことになります。

さらに
さらに、向島百花園には、もうひとつの要素があります。
陶芸です。
焼き物。

有田焼みたいな感じで、隅田川焼というのが当時あった。

佐原鞠塢は陶芸家としても一流で、隅田川焼の本拠地はどこあろう、向島百花園
昔は窯があった

入場料は取っていなくて
筒が置いてあって協力金みたいなのを入れる。
金額は自由。

どう採算を合わすかというと
土産物でヒット商品があって、これ

隅田川と言えば、都鳥
説は分かれますが、おそらく今のユリカモメの事。

でも、土産物のためのちょっとした焼き物っていうレベルではない
貝塚を発見したモースって日本の陶芸にもやたら詳しいんだけど
そのモースが評価しているくらい。

あと、私の大好きな七福神の話もあるんだけど
長くなりましたのでやめときましょう。

いずれにしても
こりゃ大変です。
ちゃんと楽しもうとするとえらい時間がかかります。
こんな大物だとは思ってもいませんでした。

また、行かなきゃ。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

ムラサキシキブ

花カレンダー始めました

向島百花園は、全然違っていた。

週末だ、お出かけだ

都立9庭園でまだ行っていないのは、向島百花園と旧岩崎邸庭園だけ
向島百花園かな

都立9庭園の場合は、11時と2時にガイドさんが案内してくれるんですが
絶対聞くべし、というのが分かってきたのでなんとか11時に間に合わせないといけません

カミさんを会社まで車で送って帰ってきて
掃除を大急ぎで済ませて、いざ

乗換の大手町で時計を見て
あれっ?
このままじゃ、間に合わん

曳舟の駅から急げ急げ
20分遅れ
仕方ない。一人でじっくり時間をかけて回らないといけないから
パン買って入って時間かけて回ろう

目の前にお洒落なパン屋さん
生姜焼きサンドとトロリ半熟卵が丸々一個サンドを購入

向島百花園
すみません。
ガイドさんもう行っちゃいましたよね。
急いで追いかければ、途中から半分くらい聞けるでしょうか

そうですねえ

分かりました、急ぎます。

行こうとしたら、後ろから呼び止められた

20分くらいなら、案内できますよ

ええっ
ぜひ。ぜひお願いします。

という事はですよ
マンツーマン。ガイドさん独り占め
嬉しくて泣いちゃいそうです。

花中心が良いですか?
歴史とかそういった方が良いですか?

歴史でお願いします。
いや、ちょっと
やっぱり花もお願いします。

質問し放題ですから
色々聞けました
遅れて良かったぁ

概要
では、教えていただいた
向島百花園とは何かという概要から

大本のこの土地は加賀氏という旗本の抱え屋敷
4代で跡継ぎが出来ずに改易
屋敷は荒れ放題になっていた。

佐原鞠塢(きくう)という、仙台の元農民で江戸に出てきて
歌舞伎の茶店で働いていた人がいます。
頑張り屋さんで人当たりも良く気配りも出来たので
評判になります。

コツコツ貯めたお金で、骨董屋を始めます。
アイデアマンで、骨董品のオークションという
今までなかったやり方も始めたりして
蓄財もそこそこ増えていきます。

仕事の中で色んな人と知り合いますが
元々文芸の色んな分野に深く興味を持っていて
当時の一流の文化人と仲良くなっていきます。
おそらくかなり性格が良かったんでしょうね

酒井抱一や大田南畝等々

みんなが集まってワイワイ出来るサロンが欲しいなってことで
加賀氏の抱え屋敷だった荒れ地を購入

そこで、文化人たちと定期的に楽しくおしゃべり
そこでお酒を飲んで盛り上がっちゃったんでしょうね

当時、亀戸に梅屋敷という梅が綺麗な人気レジャースポットがあったんだけど
新梅屋敷とでも言うべき、植物園レジャーランドにここをしたいねえ

ホントにやるんだったら、俺も協力するよ
俺も
俺も

と、誰々寄附の梅の木みたいなのが増えていき
口コミで人気が広がっていきます。

梅だけじゃ、梅の季節以外は寂しいからと
佐原鞠塢のアイデアで、春の七草を揃えたり、秋の七草を揃えたり
色んな花が増えていき、年中楽しめる「百花園」になっていきます。

色々行った名庭園って大名庭園が多かったので
似たようなイメージを持って行ったんですが

一人のみんなに好かれている商人を中心に
一流の文化人達がそれぞれのセンスを注入しつつ作った庭園って
全然違っていました。

この後は、いつものように実況風にお話ししていきましょう。

門から
大田南畝が文字書いてるんじゃなかったでしたっけ

そうです。ご案内しましょう
これです

(入口の門です)

新梅屋敷、花屋敷、色んな呼び方をされていたんですけどね
大田南畝は、花屋敷って書いた
一番左の敷って字は、偏と、つくりを分けて上下に持っていって崩し字にしたもんで
普通には、敷って読めません。
当時正式には、屋敷って言葉は武家の屋敷にしか使っちゃいけなかったので

えっ、花屋敷?
いえいえ、そんな風には書いてませんよ
一体なんて書いたっけなあ、って狂歌の大田南畝特有のジョークです

こちらの句碑は、酒井抱一の字
真ん中の「の」(変体かなです)の字が崩れてますでしょ
これは戦災で焼けたんだと思います。

こちらが秋の七草です。

山上憶良の旋頭歌(五七七五七七)で
秋の野に咲きたる花を指および 折りかき数ふれば 七種ななくさの花
萩の花尾花葛花くずはな撫子の花 女郎花をみなへしまた藤袴ふぢはかま朝顔の花

最後に、朝顔の花とありますが、そのあとに、朝顔は夕方咲くもまた良し、とあるので
今の朝顔ではありません。桔梗(ききょう)の事でしょう

さすがにずっとマンツーマンではなく
途中から、個人や夫婦で回っている人とかに
声をかけて行きました。
よろしかったら御一緒に

加わった人たちは、百花園に来るだけあって
花に詳しい人だったので
急激に、花のコンセプトの方に話がシフトしていきます。

結論的に言いますが
百花園に行ったら、ガイドさんに話を聞くのは必須中の必須です。

例えばこれ

分かるでしょうか
真ん中にポツンと一本だけ咲いているちっちゃな白い花
この花が「むらさき」の花。白いのに紫。
この根っこが染料となり、紫色が取れる。
最も正式な紫色。
聖徳太子の冠位十二階で決まっている紫の色はこの紫の色

そんなの分かります?
ガイドさんに聞かなきゃ100%分かりません。

これなんか実に面白い
このコーナーは時計になっています。

それぞれ決まった時間に咲く花だけを集めて順番に咲いていくという
これぞ本当の花時計

ガイドさんは、この赤い花、午??花(名前忘れちゃった)を家でも栽培しているらしいんだけど
きれいに11:30に咲くらしい

こんな面白い話、看板に書いておいてくれないと分からないですよね

百花園って、その名前から
西洋の花壇みたいに、百花繚乱の花が咲き乱れているイメージ持っちゃうかもしれませんね
そう思っていくと、なんだそれほどでもないな、ってことになるかも知れません。
そういう百花ではない
珍しい花ばかりが集まっている百花

どう珍しいのか、どう使うのか、その背景みたいなのが面白いんですね

百花園って萩のトンネルっていうのが超有名で
9月ころのその時期じゃなきゃって思われると思います

ぜひガイドさんの話を聞きにいって下さい
できれば、9月を外して
11時をちょっと遅れてね

いくつかこのあと花の写真をのせます
残りは動画の方で見てね

実はまだまだ終りじゃありません。

百花園は花だけじゃない

長くなりすぎたので
続きは明日ね





どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

花菖蒲

花カレンダー始めました

奇才天才、平賀源内はスーパーマルチな人気者

江戸の理系力シリーズ

出ましたっ、超有名人、平賀源内

この人どう捉えれば良いんでしょうね
芸術家で学者で発明家でプロデューサー
人生何倍ぐらいで生きてるんでしょう

江戸の全ての粋を凝縮したような人ですね。

平賀源内
ひらがげんない 機械工学等々 1728~1779

高松藩の下級武士の家に三男として産まれます。
子供の頃から神童と呼ばれます。
13歳にして本草学を習得。薬草の学問です。

藩主、松平頼恭(よりたか)から

薬草園は任したぞ
長崎にも勉強に行って良いよ

長崎で色んな事に触れた源内は
溢れ出る好奇心を押さえられなくなります。

すみません、松平頼恭さん
辞めさせてもらいますわ

家督を継いでいたんですが
それも妹に無理矢理養子を取らせて、そのお婿さんに譲っちゃいます。

大阪へ、そして京都へ

28歳で江戸に出て
田村藍水(らんすい)の弟子になります。
朝鮮人参の栽培に成功した偉い人

田村藍水と一緒に「東都薬品会」(とうとやくひんえ)を開く
諸国物産展のような大博覧会
これが大成功で、その後6年間で5回開催しています。

よっしゃ、いけるぞ

今まで見聞きし、学んだことが繋がってきて
開花期を迎えます。

今までこのシリーズで紹介した学者さんは
学問の事が好きで好きで
どちらかと言えば、生き方が下手って感じがありました。
一徹っみたいな

平賀源内は、ちょっとイメージが違っていて
超天才なんだけど、人付き合いもうまい
当時の有名人と人脈が広く

良いね良いね
じゃあ、今度こういう面白い人紹介するから
一緒にこんなことしない?

本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家
理系文系何でも来い

2回目に長崎に行ったとき
洋画にも触れ
こんなのも書いちゃっています

焼き物での良いのがあるんだけど
これなんか、世界地図風で楽しいね

科学的な分野では何をしたんだっけ

はい、エレキテル

でも、実は平賀源内の発明品って訳じゃないんです。
長崎で既にあったエレキテルで壊れていたのを修理しただけ
そのあと、それを元にオリジナルでエレキテルはいくつか作っているんですけどね

あと有名なのが、
土用の丑の日に鰻を食べるというのは
平賀源内が言い出して、大々的に広めたという話

元々、土用の丑の日と限定したものでなく
夏の季節の変わり目に鰻を食べるというのは
ある程度の共通認識があったと思う。

奈良時代の大伴家持の歌にこんなのがある
石麻呂に 吾れもの申す夏痩せに よしといふものぞ むなぎとり召せ
(石麻呂さんよ 夏痩せには 鰻が良いらしいよ)

それを年中行事として広めるためには
土用の丑の日と限定する必要があると思ったんでしょうね
ずっと上方の品物の方が上等だったのに
醤油に関しては江戸周辺で良い醤油が出来るようになり
江戸前寿司、そば、鰻の蒲焼きと
江戸庶民の食べ物の幅がグッと広まった時期を
敏感に感じ取ったんでしょう。

あと、面白いのが
竹トンボは平賀源内が発明したという説
そんな訳はなく、昔から竹トンボはあったけど
そう思わせるということは
当時から名の知れた人気者だったんだと思う。

ちょっとした竹トンボの改良みたいのがあって
それをきっかけに、広く流行したかも知れませんね
そんな事があったら何でもかんでも
平賀源内がやったことにすれば
みんなが、そうかも知れんなあ、と思えるような存在。

杉田玄白も平賀源内の事が大好きだったようです。

高松藩主、松平頼恭からは
もう一回、来てくれない?

良いっすよ

でも、2年で、やっぱり嫌と辞めちゃった

これには怒ったね
もう二度と源内を雇うべからず、という御触れを
全国諸藩に通達

全然めげない源内さん
やったー、これで自由だ!

老中。田沼意次にまで気に入られちゃって
陰日向に応援してもらえます。

終り
とても幸せな人生に思えるけど
何があったんでしょう
急に、晩年おかしなことになります。

大名屋敷の修理を請け負うんだけど
酔っぱらったとき、
修理の計画書を大工の棟梁二人に盗まれたと勘違い
二人を殺しちゃうという暴挙に出ます。

当時、殺人犯はうんもすんもなく死刑
どんなに人気者であってもどうしようもありません。
情状酌量みたいなことは、死刑の執行方法とか、
そのあとの墓をどうするかみたいなことには考慮されますが
死刑自体は免れられません。

死刑執行を待っている期間
おそらく揉み合ったときの傷に菌が入ったんでしょうね
破傷風で獄中で死んでしまいます。

墓の隣に、友達の杉田玄白が、彼を称える碑を建てています。
玄白自身の字で

「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」
(ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや)
〔貴方は常識とは違う人で、常識とは違うものを好み、常識とは違うことをする、しかし、死ぬときぐらいは畳の上で普通に死んで欲しかった。

索引はこちら
[江戸の理系力]シリーズはこちら(少し下げてね)


サルビア

パトカーにぶつけちゃった

車止めのない、広めの駐車場があって
真ん中辺に車を、前向き駐車で止めていたんです

さあ帰ろうと思って
でも、なかなか発車出来ない
あれ?
ちょっとだけ強めにアクセル

いかん

前の車にどんっ
自分でも衝撃を感じるくらい

バックで出るべきところ
ギアを入れ間違えたんでしょう

前の車は、こんな形

人生終わりました
ご臨終です

中から制服を来た人が出てきました。

ところが、こちらではなく
横の車のドライバーに話しかけています。

ひょっとして、この人頭悪いんじゃないの?
と、思ったのも束の間
こちらに向かってきました。

そりゃ分かるよなあ

冷静に
落ち着け

こういうときは、まず冷静になることです。

現状分析

今、何が起きているのか
何をしたが故に、この情況が作られたのか

そして、対処方法
今、取るべき最善の方法は何なのか

みなさんなら、こんな時どうされますか

冷静に冷静に


随分考えました。

そして、ひとつの答えが導き出されました。


起きよう。

いつもは、朝6時に目覚ましで起きるんですけど
頑張って目を覚まし
時計を見ると、5時半でした。

助かったぁ

索引はこちら

バラ

花カレンダー始めました