[迷信]3 地震のときは竹やぶに逃げろ

前回お話しした、地震となまずの話もそうですが
日本には地震に関わる教訓が多いです。
神戸の地震博物館でも見せてもらいましたが
世界地図で、過去の大型地震発生地をマークしたものを見ると
圧倒的に日本にギッシリですから

竹やぶに逃げろ
おもに山間部を中心に伝えられてきたのが「地震のときは竹やぶに逃げろ」というのがある

日本の山や山里に自生している竹は、繁殖力が非常に強い。
春から夏にかけての時期は、1日で1メートル成長することもあるほどで、
現在では建築工事の際に障害になったり、隣の竹やぶが民家の敷地に侵入して
床を持ち上げてしまったりということもある。

竹の根っこは地面の比較的浅いところを横に伸びていく。
多くの竹が密集して生えている竹やぶでは、隣り合った竹の根っこが絡まり合って、
張り巡らされた網目のようになる。

この地下茎とから伸びる竹はこの根っこでひとつにつながっている
ギッシリの根っこで、地面が補強されているので
地震による地割れ等に強い
実際に竹やぶに逃げ込んで助かった人も多い

この迷信は 〇 って事です

ただ、災害全てに強いかというとそうではない。
水を含んだ斜面だと、逆に危ない
根が這うのが地面の浅いところなので
竹やぶごと滑り落ちる、地滑りが起きやすい。

雨のあとの斜面の竹やぶには近づくな
です

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[歳時記]11/25 三島由紀夫割腹自殺。リハーサルまでなされていた

11/25

『仮面の告白』『金閣寺』『豊饒の海』などで有名な、
小説家、劇作家の三島由紀夫は海外でもその名を知られ、
ノーベル賞候補の一人にも挙げられるほどだった。

そんな彼が割腹自殺という衝撃的な最期を遂げたのは、1970(昭和4)年11月25日。
この日を「憂国忌」と呼び、
いわゆる民族派といわれる人びとを中心に彼を偲ぶ催しが行なわれている。
この名は、彼の著書『憂国』からとられた。

三島は高校時代から創作活動を始め、東大卒業後に『仮面の告白』で作家としての地位を確立した。はじめのうちは、耽美的な世界を描く作家として知られていたが、
次第にナショナリズムに傾倒。

とくに60年安保をはじめとする騒乱に対して危機感を抱き、
自衛隊への体験入隊を経て、自ら「楯の会」という過激な組織を結成する。
自衛隊をしのぐ派手な軍服に身をまとってパレードを行ない、
世間の注目を集めたりした。

そして、とうとうその過激さが頂点に達したのが、
東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部への乱入。
益田総監を椅子に縛りつけて人質に取ると、
三島は前庭に集めさせた数百人の自衛隊員に檄文をまいて、
バルコニーに立って決起を促す演説を行なった。
だが、自衛隊員たちの反応は冷たく、ヤジさえ浴びせられた。

演説を終えた三島は総監室に戻り、制服と靴を脱ぐと正座し、
用意してきた鎧通しを 腹に突き刺した。
いっしょに乱入したメンバーのうち森田必勝が介錯をしたがうまくいかず、
別のメンバーがとどめを刺し、続いて森田も割腹自殺をした。
こうして世界的な作家は、わずか45歳で衝撃的な死を遂げたのである。

リハーサル
三島の割腹自殺は、前もって予定された行動だった。
驚くべきことに、彼はメンバーとともに念入りなリハーサルまで行なっていた。

1970年と言えば、関西人の私としては圧倒的に万博
同じ年に割腹自殺か
余りにもイメージが違いすぎている
その前の年はアポロ11号

自ら死を選ぶということ自体信じられないのに
自分で腹を斬るんですよね
一番痛い方法
全く1mmも心境が理解できない。

大学時代の三島由紀夫は本来特攻隊員として徴兵され、
その本人も戦争で死ぬことを覚悟していた。

しかし三島由紀夫は特攻隊員として死ぬことなく終戦を迎え、
彼の中で本来死ぬべき自分と今生きている自分という矛盾を意識するようになったという

でも、やっぱり分からない
彼が死んで何が変わる訳でもないし
もし変わったところで
自分が死んじゃっていたら
何の意味もないんじゃないだろうか

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必死のキャベちゃん、はたして

可愛い動画が撮れたので、久々にセキセイインコの話題です。

うちではセキセイインコを飼っています

緑色のメスがキャベちゃん
正式名はキャベツです。

白色のオスがおこめちゃん
正式名もやっぱりおこめです

二人はとっても仲良しです。

キャベちゃんは半年くらい前は体が弱く、病院に何度か通いましたが
最近はすっかり元気

おこめちゃんは、実に人なつこい
料理をしていたりするとやって来て肩に止まったり頭に止まったり

以前、キャベちゃんが、カーテンの横のちょっとしたスペースから
ぬいぐるみを落とすという技を紹介した事がありました。
キャベちゃんの学習能力

それ以降、3つのぬいぐるみを輪ゴムで止めちゃってやりにくくしたので
キャベちゃん自身もすっかり忘れていた様子

先日、ふと見ると、輪ゴムが自然に切れちゃったのかも知れません。
ぬいぐるみがバラバラになっていて、
キャベちゃんが落としていた。

カミさんが巣っこの上に置いたらどうなるかな、って

ふと気づくと必死で攻撃しています。
急いで動画を回しました。

さあ、どうなりましたか
ぜひ動画をご覧下さい。

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[歳時記]11/23 富士山大噴火

11/23
日本一高い山、富士山
なんとも美しい。

見るたび、日本人に生まれて良かったなあと感じます。

だが、 その静寂はけっして永遠ではない。
歴史的に見れば、富士山は何度も噴火を繰り返している生きている火山。

いちばん新しく富士山が噴火したのは、1707 (宝永4)年11月23日。
時期的には江戸時代の5代将軍綱吉の最後の方。
覚え方は、「おなら」(下2桁)
こんなイメージでしょうか

でもちょっとウソらしい。
その時は、中腹からの噴火だったんだって

2ヵ月ほど前にマグニチュード8・4の大地震が起きたのに続いて、
当日の未明の午前2時頃から 翌朝の午前9時頃にかけて、地震が30回以上も発生した。

午前10時頃になると富士山が地鳴りを始め、驚いた人びとが次々に気絶までしたという。

とくにひどかったのは、噴火による降灰や噴煙で、
昼でもあたりは夜のように暗くなり人びとはたいまつを持って歩くしかなかった。

空からは砂に小石が混じって降り注ぎ、
遠く離れた江戸の町でも火山灰が雪のように降った

新井白石の『折りたく柴の記』に書かれている。

噴火はしばらくのあいだ続き、11月末になってようやく静まった。
降灰も12月上旬にはおさまった。

最古の記録はというと、『続日本紀』に記されており、
781年のことである。

その後の古文書などの記録から、およそ100年に一度の割合で起きている。

だから、宝永の大噴火から200年以上経つ現在では、いつ噴火してもおかしくはない
あの姿からは、想像もできないですが。

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