[迷信]15 ひな人形をいつまでもしまわないと婚期が遅れる

♪明かりをつけましょ ぼんぼりに

おひな様です。

わが家のおひな様はこれ

ひなあられの箱を組み立て、その上にひなあられのパッケージをポン
おひな様終わるまでは食べちゃダメなのがたまに傷

「片づける」と「片づく」をかける
3月3日の桃の節句にはひな人形を飾るが、
その節句が過ぎても片づけないでいつまでも飾っておくと、
娘が嫁に行き遅れるという言い伝えがある。

これは、いつまでもひな人形を出しっぱなしにしておくようなだらしなさを戒めた言葉であり
親から娘へのしつけの意味がこめられているのでしょう

親にとって、娘を嫁がせることは大切な義務であり、
いつまでも娘が結婚できないのは不名誉なことだとされた時代には、
「早く嫁に行ってほしい」という気持ちをひな人形に託したのだろう。
「片づく」という言葉には、「嫁に行く」という意味もあるが、
親としては娘が無事に片づいてほしいのである。

道具みたいで「片付く」ってどうなのよ、と思うが
うちにも、まだひとり残っておりますので気になります。

早く片付けるべき理由
しかし、ここにはもうひとつ現実的な問題がひそんでいる。
気候との関係だ。
ひな人形は、細かい細工がほどこされた精巧な作り物である。
その多くは絹や織物、そして石膏や胡粉などの顔料で作られている。
また、人形の持ち物の多くは木製である。

そんなひな人形にとって大敵なのが、湿気だ

水分を付着させたままで人形をしまうと、
カビの原因になるなどして傷める事にもなる
1年後に取り出したときにカビが生えていたということにならないように、
空気が乾燥した昼間の明るいうちにしまわなければならないのだ。

カビが生える条件は、20~35度の温度と80%以上の湿度である。
ひな祭りのあとに油断していれば、すぐにそんな気候になってしまう。
そのことに注意を促すために、「婚期が遅れる」という言い伝えが生まれた。

日本の3月といえば、1年のうちでもっとも気候のいいときである。
気温が30度以上になることはあまりない。
最低気温も1度くらいで安定している。また湿度も低く、あまり変化がない。

乾燥しがちなので火災に気をつけるべき時期だが、これはひな人形にとっては理想的な気候だ。

一度太陽光に当てて、湿気を飛ばしてから片づけるのが理想だが、
そのためにも3月の穏やかな天候は申し分ない。

これらの理由があって、 ひな人形は早めに片づけたほうがいいとなる

なおしまう場所にも気をつけたい。
湿気は低いところにたまりがちである。だから高い場所
しかも風通しのいい場所に保管するのがいい。

さらに、寒暖差が大きい場所だと木製部分にゆがみが出たり、
ヒビが入る原因になるので気をつけたい。

なかなか大変ですね

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[ことば日本史]さむらい

「ことば日本史」平安時代から

さむらい
身分の高い人に仕えることを「さぶらふ」という。その名詞化が「さぶらひ」。

貴族が警護のためにやとったものたちのことをそう呼んだことから生まれた名称だった。
だから、もとは主君に仕える近侍・近習の総称として広く使われていた。
ということは、今日の「アッシー」とか「バシリ」とかに似た、
侮りをこめた呼称だったわけだ。
したがって中世までは、侍は必ずしも武士のことをさしてはいなかった。

平安時代から鎌倉時代にかけては公家・武家を問わず、
六位以上の位をもつ近待者をさす言葉となり、
やがて官位の有無にかかわらず、
その有資格者やその家族をさすように広い使われ方をするようになる。
むろん庶民よりも優遇されていた。
侍がすなわち武士のことになるのは、江戸時代になってからのことである。

では、武士はどのようにして生まれてきたのだろう。
寛平7(895)年から延喜元(901)年にかけて、東国では群盗の蜂起があいついだ。
馬に荷を積んで運ぶことで利をあげていた諸国の富豪層からなる
「僦馬の党(しゅうばのとう)」が、
当時の国制改革によってそれまでのように利益を得られなくなったため、
組織して賊となったのだという。
この群盗を鎮圧するために軍制の改革が行われ、
押領使(おうりょうし)という群盗追捕の指揮官が任命されるようになった。

押領使に任命されたのは武芸に秀でた人で、
国内武士を動員して反乱を鎮圧したが、その名は定かでない。
明確に押領使に任命されたのが明らかなのが、平高望 藤原利仁 藤原秀郷の三人

この三人こそ群盗力との激しい戦闘を通して新たな個人戦術を開発し、
武名をあげた武士第一号といってよいだろう
三人のうち藤原利仁は、越前へ帰り、子孫が北陸武士団を形成する。

平高望は、桓武天皇の曾孫で、桓武平氏の祖となる。
平氏の大本ですね。
藤原秀郷は藤太の別名で大ムカデ退治の伝説でも有名だが、
後の天慶の乱では平将門を討つことになる。

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[歳時記]2/29 うるう日

2月29日「うるう日」
あれ?
今日は3月1日じゃなかったでしたっけ

ばれました?
この話題を書く機会がなかなか来ないものですから

4年に一度の「うるう年」。
うるう年とは、暦と地球の公転周期との間に生じたズレをなくすために考えられたもの。
地球の公転周期は、365日と0.2422日かかる。

相手は偉大な地球さんでございますので
公転の1周を自転の1周で割ったとき、ピッタリ割り切れるように回ってもらえませんか
と行ったところで

知るかい
の一言でしょう

1年を365日とすると、4年で約1日の差が生じることになる。
そこで、4年に一度、「うるう日」の2月29日を設けた。

現在使われている太陽暦のルーツは、
紀元前4年にユリウス・カエサルが制定したユリウス暦にあるが、
ユリウス暦でも4年ごとに1日のうるう日があった。

ただ、調整はうるう日だけだったので、400年もすると3日間ずれてしまう。

それを調整するため、1582年にグレゴリオ一世がユリウス暦を改良してつくったのが、
現在世界の多くの国で使われているグレゴリオ暦(太陽暦)だ。

西暦年数が4で割り切れる年をうるう年とするのは今まで通り。
さらに、100で割り切れる年のうち4で割り切れない年は平年とした。

これによって、ユリウス暦にあった3日のズレが調整できるわけだ。

ところが、ここで重大な問題が生じた。
325年にキリスト教の宗教会議において復活祭の日取りの決定法が相談されたのだが、
そのときの春分の日は3月24日だが、1582年の春分の日は3月11日。
この時点ですでに10日も春分の日が早くなってしまったのだ。

これは、ユリウス暦でのうるう年の置き過ぎが原因。
そこで、これを解消するために、この年の10月5日から14日までの10日間を消して、
つぎの日から新グレゴリオ暦と定めたのだ。

つまり、本当は存在したはずの10日間がまるまる消えてしまったのである。
当時の人びとに とってはなんだか損をしたような気分だったかもしれない。

うるう日は女性にとってうれしい日でもある。
イギリスの民間伝承では2月29日は「余分」の日とされ、
女性が独身男性にプロポーズできる権利を持つ。

男性がそれを断る場合には、復活祭に新しい手袋をプレゼントしなければいけないのだ。
バレンタインデーよりも、縛りがきつい上に「結婚」がターゲットなので狙いどころです。

2月29日生まれの人
この日に生まれた人は、4年に一度しか誕生日を迎えることはできないのだろうか。

民法では、2月29日生まれの人が成人を迎えるのは、
うるう年以外の年に関しては「28日の満了時」
つまり、3月1日になった時点が、うるう年に生まれた人が成人になる日と定められている。

しかし、運転免許証はこれとはちがう。
運転免許証は誕生日の1ヵ月前から誕生日までに更新しなければならないが、
その期限は2月28日までになっている。

これは、公安委員会の手続き上の理由からだそうで、
3月1日に更新に行っても間に合わず、せっかく苦労してとった免許も無効になってしまう。

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