激闘の鎌倉 その2

激闘の鎌倉
の続きです。

景清の土牢
[鎌倉時代]

建久6(1195)年、平忠光の弟、悪七兵衛景清が謀反人として捕らえられる事件が起きた
景清は、和田義盛に預けられた
「預かり囚人」
和田邸を抜け出さない限り何をしても良いのだが
扱いに困った和田義盛は、誰かこの役を変わってくれない、と申し出た
結局、八田知家に預けられるのだが
八田知家は厚遇に処した
景清は、父も兄も処刑されているのに、自分だけこんな厚遇を受けているのはおかしいと思う
自ら洞窟に入り、読経を続けるのみで、運ばれる食事を口にする量も少しずつ減らしていく
建久7年(1196)年3月7日、かぼそくなっていた読経の声は、ついに途絶えた

海蔵寺をちょっと覗くと結婚前のカップルが披露宴の前撮りをやっていた
お幸せにー

亀が谷坂切り通し
[鎌倉時代]

鎌倉は自然の要塞、南の海以外は山で囲まれ
切り通しと呼ばれる崖を削った細い道を通ってしか入ってこれない
それを肌で感じましょう

電動アシスト自転車でも立ち漕ぎしないと全く進めない
吹き出す汗

亀が谷という地名は、亀が登ろうとするとひっくり返るから
まあ、オーバーに言ってるんだろうと思っておりましたが
全くその通りでした

崖が90度を越えてせり出してきているから、確実にひっくり返ります

浄光明寺
[南北朝時代]


建武2(1335)年、中先代の乱を制した足利尊氏は、そのまま鎌倉にとどまった
勝手な事を、と後醍醐天皇は怒り、新田義貞を大将とする討伐軍を差し向ける
まずい、と思った尊氏は、この浄光明寺で蟄居(ちっきょ)し謹慎の意を表す

でも、後醍醐天皇の怒りが解けず、弟直義にも危険が迫るのを感じ
そうなの?そっちがそのつもりなら、と挙兵に傾いていく転換点になったお寺です

巨福呂坂切通(こぶくろざかきりとおし)
[鎌倉時代]
鶴岡八幡宮の横の道を北に上がっていきます
出たっ、またまた切り通し
今度の坂は急な上に長い
電動アシスト、がんばれー
これ、歩きや、普通の自転車じゃ到底無理です
心臓バクバク、太ももガクガク

ああー、ようやく頂上
そのあとどーっと下がっていきます

長寿寺
[南北朝時代]

足利尊氏がこの辺りに一時期住んでいた。
その子、基氏が、弔うために元からあった長寿寺を整備
尊氏の遺髪を納めた墓を作った

なんですけど

えっ、入れないの?
春と秋しか一般公開していないらしい

足利尊氏の墓を見んがために長くて急な坂を越えてきたのに

ネットから写真を拝借するとこんな感じ
その後荒らされて、ほんの一部しか残っていないらしい

次は、っと
ありゃりゃ、元の道を引き返すのか
また急坂を登って下るのね
頑張りましょう

五山第一の建長寺を横目で見ます
ここは前回行ったのでね

鶴岡八幡宮の前を素通り
鶴岡八幡宮は前回行ったし、大物過ぎるので寄ってしまうと時間が足りなくなります

宝戒寺
[鎌倉時代]


萩で有名らしい

拝観料300円払って入ったものの目当てのものがいくら探しても見つからない
拝観料払うところのおじさんに写真を見せて、こういうのがこの中にあると思うんですが

さあ、ごめんなさい、見たことがありません

何かというと、北条義時の屋敷跡の碑
ネットから拝借するとこう

ひとつ前の大河の主役ですよね。小栗旬ですよね
わんさか人が押し寄せそうなもんですが

「もっと行きたい鎌倉歴史散歩」を読んでいても、何度も出てくる重要な場所
うーん、意味分からん

若宮大路幕府舊蹟
[鎌倉時代]
ちょっとだけ引き返して、横道に入る

鎌倉幕府の置かれた場所って、鎌倉内で3回お引っ越し
ここは3回目に幕府が置かれた場所
1238~1333までの幕府の場所ってことになります
将軍でいうと4代頼経の時にここに移転した

政所跡(まんどころあと)
[鎌倉時代]

ビルの一角にちょこんと
こういう小さいのは、探すのが大変なだけに見つけたときに、テンション上がります

東勝寺跡
[南北朝時代]
待ってました東勝寺!
新田義貞ファンとしては東勝寺は欠かせません
ただ、東勝寺はもう今はなく跡だけなんですね
後に発掘するとかなり大きなお寺だったようです。


東勝寺って何かというと、新田義貞が鎌倉攻めをして幕府を倒した、最後の決着の地
鎌倉幕府のトップ北条高時は一族共にここで自害
鎌倉時代の終焉です

高時の腹切りやぐら


本当は東勝寺の建物の中での自害らしいのですが
なぜかその横の山の手前に、腹切りやぐらというのがあります

無茶苦茶蒸し暑い日でしたが、
ここだけはヒンヤリした空気が流れていました

さすがは鎌倉ですね
日本史の教科書に載っているような超大事件が行われた場所が
これでもかこれでもかと
ここまでで、ようやく予定していたことの半分

続きは次回
[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

激闘の鎌倉

シルバーウィーク
あれ?3連休がひとつあるだけですけど

シルバーウィーク1日目はウォーキングイベント
去年台風で途中中断した世田谷八幡の奉納相撲と世田谷城と豪徳寺
それぞれの内容はこっちを見てね
雨の奉納相撲
世田谷城跡に行ってきました
豪徳寺に行ってきました

二日目
中日なので多少疲れてもなんとかなるので
取って置きの超大物に参りましょう
鎌倉です

片道2時間かかる上に、なんと言っても歴史の宝庫なので行くべきところが多すぎます
よほど気合いを入れられる日しか行けません

鎌倉って3つの時代に渡るのでえらい大変

1.鎌倉時代
2.南北朝時代(足利尊氏と足利義詮(よしあきら))
3.室町時代(鎌倉公方(くぼう)のどろどろの戦い)

歴史の本を読めるようになったのが本のちょっと前からなので
大慌てで「もっと行きたい鎌倉歴史散歩」と「関東の戦国・室町を歩く」を読むのだけれど
全く間に合わず
分かる範囲でGoogleMapにプロットしていきます
30個程度でそこそこ広域

ってことになると、歩くのは無理
レンタル自転車を借りることにいたしましょう

着いたのが11時ちょっと前
立ち食いそばを大急ぎで食べ
レンタルサイクル屋さんへ

4時間の電動アシストでお願いしまーす

1900円
まずまずです

さあ、いくぞ

最初にお話ししておきましょう
無茶苦茶大変でした
異常なほどの蒸し暑さ
電動アシストではありますが、さすがは鎌倉
坂ばっかりーっ
汗が吹き出してきて、足もガクガク
激闘鎌倉編、はじまりはじまり

問注所跡
[鎌倉時代]

歴史検定の勉強で一生懸命覚えたなあ
鎌倉幕府の政治組織
侍所・公文所(のち、政所)・問注所
問注所は今で言う裁判所です
初代は三善康信
実際にあった場所まで分かると、ぐーんと親近感が沸きます

寿福時
[鎌倉時代]



鎌倉五山(鎌倉で鎌倉時代に特別の庇護を受けた5つの臨済宗の寺院)
1.建長寺 2.円覚寺 3.寿福寺 4.浄智寺 5.浄妙寺
なので五山三位になります
北条政子が、臨済宗の祖、栄西を呼んで作ったというすごいお寺

第三代将軍、源実朝(さねとも)、そのお母さん、北条政子の母がここにあるのです
えっ、これ、どういうこと?
北条政子の墓
なんで、こんな暗い洞窟の中なんだ

実朝の墓も

帰ってから色々ネットで調べてみました
真実かどうかはわかりません

この洞窟は「やぐら」と呼ばれるもの
鎌倉時代中期以降から室町時代前半にかけて造られ使用された、横穴式の納骨窟または供養堂
鎌倉特有のものです
実朝や北条政子が亡くなった時には、「やぐら」の形式はまだなかったので
純粋な意味での墓ではないようです

おそらく後の時代の人が供養のために作った供養塔

実際に遺体の入った墓は、勝長寿院にあったのでは、と思われます
勝長寿院もこのあと行きますので
また、その時にも、書きましょう

実朝の場合は、鶴岡八幡宮で公暁に暗殺されたという死に方なので
さらに複雑で、そもそも首がどうなったか、はっきりしていない
公暁が持ち去ったというのだけど
すぐに捕まって殺されているので、
その時持っていたなら、すぐ取り返しているはず
なぜ不明ということになるのか

神奈川県秦野市には、実朝の首塚というのもあるようです
いったいなぜそんなところまで

扇谷上杉管領屋敷迹(おうぎがやつうえすぎかんれいやしきあと)
[室町時代]

最初の問注所跡と同じ形の碑ですね
このあと出てくるほとんどの場所の石碑が全てこの形で統一されています
「鎌倉青年会」とあるので、鎌倉の青年会はよほど頑張ったんですね
天晴れ天晴れ

室町時代、即ち足利3代将軍義満以降は、都が鎌倉から京都に移ります
従って、歴史は京都に移り、鎌倉側はチョボチョボかと思いきや、そうではありません

鎌倉(関東)はやはり重要ということで、足利2代将軍義詮(よしあきら)の弟、基氏(もとうじ)に治めさせます
鎌倉公方(かまくらくぼう)と呼びます
さらに、足利の親戚、上杉家をその補佐役に当てます
副総理みたいなもんです
関東管領(かんとうかんれい)と呼びます

この上杉家が内部分裂で〇〇上杉家、って分かれ
それぞれが主導権争いでどろどろになっていきます

おうぎがやつって読みにくいですね
この辺りの地名が鎌倉市扇谷(おうぎがやつ)
そうか、地名から来ていたのか

この関東側のどろどろの歴史はかなり大変
そろそろ、足利将軍シリーズで書いている時代がダブってくるので
並行しつつ関東側もシリーズ化して書いていこうと思います

岩船地蔵堂
[鎌倉時代]

源頼朝の長女の大姫。天皇に嫁入りさせようと画策
ところが残念。大姫病気で急死してしまいます
その慰霊のために立てられたのが岩船地蔵堂
幼少期に出会った婚約者「源義高」(みなもとのよしたか)を最期のときまで想い続けつつも
短い生涯を閉じるのです

やっぱり、鎌倉はひとつひとつが長くなっちゃいますね
まだ始まったばかり

何回かに分けてレポートしていきます
続きは次回

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

まさか田柄用水の横に住んでいたなんて

石神井公園駅から田柄用水跡を辿る
の続きです

三軒寺
明暦の大火の時、築地に引っ越した宝林寺、真龍寺、敬覚寺
関東大震災でも3軒の寺は揃って、焼失
復興の区画整理で、はい、引っ越しても良いです
同じ宗派、浄土真宗本願寺派の仲良し三軒組は、揃って畑の真ん中に引っ越ししてきた
敬覚寺(きょうがくじ)

庭がきれい

宝林寺(ほうりんじ)

真龍寺(しんりゅうじ)

住んでいたところのすぐ近くなのに
三軒寺という地名は知っていたものの、三軒の寺があるなんて知らなかった
三軒寺だから当たり前なのにね
やっていた宅配寿司の配達テリトリーからちょっとだけ外れる
テリトリー内なら全ての家のポストの位置が分かるくらいなのに

清掃工場
すごいんですよ。この工場は超高性能
だから練馬区はそれほど厳密にゴミの分別しなくても、何でも燃えちゃう

出ました、暗渠


このあたりから、田柄用水は大きく蛇行しながら進む
出来るだけ多くの人たちに潤ってもらうために

いつも服を出していたクリーニング屋さん
ここのおばさんが毎回気さくに声をかけてくれるのよね

さあ、水路をちょっと離れ、住んでいたアパートを確認しましょう
おおっ、変わらない!
住んでいた203号室も入居してくれている

懐かしいなあ
私とカミさんと娘二人
私は全く家庭を省みれず
5年半、宅配寿司の店をやり
その間、正月も含め、休めたのは3日だけ
商売がうまくいかず、食っていけなかったから
休む訳にはいかなかった
朝から晩まで働きづめ

申し訳なかった
色んな事を思い出す
幼稚園から小学校
何にも構ってやれなかったのに、二人とも良い子に育った

横の道側に出ると
あれれ、ここ水色
ひょっとして
冷静に冷静に

田柄用水は大きく蛇行しながら、だったよね
よし、元のさっきの用水のところに戻ろう

ぐうっと蛇行して

ああっ、やっぱりそうだ
左がうちのアパート

田柄用水じゃないの
すぐ横じゃない
気づかなかった
青い〇がうち

毎日、テリトリー内を原付きカブで配達していたから
このあたりは水路道が多いなあというのは知っていた
自分の家の裏がそうだったなんて、全く知らなかった

まあ、田柄用水って誰かに聞いていたとしても
江戸に興味もなく、江戸の地面の下に木製の水道管が張り巡らされていた事も知らず
そのために多摩川から42km玉川上水が掘られた事も知らなかった
その支流の田柄用水が、はいコレなんて言われても何の感動もなかったろう

今なら聞こえる
ここを流れる水の音
水辺に花が咲き、蝶が舞う
子供たちが遊び、歌を歌う
その声が聞こえる

あの頃、それに気づけば良かった
歌声に気づき
娘たちと一緒に歌えば良かった

生活
それぞれの町に、住む人々
違う視点で見れば
違う町になり
住む人々の感じ方の数だけ、町があるんだなあと思う

商売はうまくいかなかったけど
田柄用水には気づかなかったけど
幸せだった

この右は老人ホーム
カミさんもちょっとだけ行っていた事がある
当時はダチョウを飼っていたのよね

またぐうっと蛇行

農業公園


憧れのナス

そうそう、別の話題で、話していませんでしたが
うちの庭のナスも一個だけとても小さな実がなったの



美味しかったなあ


けやき公園

用水巡りはここぐらいまでにしましょう
当時は工事が始まったくらいだったでっかい真っ直ぐな道路
都営地下鉄大江戸線の終点、光が丘駅からズドーンと真っ直ぐ

大江戸線が延伸して地下鉄がこの下を通る
はずなんだけど、そう言ってから何年たつだろう

ここから真っ直ぐ光が丘駅に向かおう
途中のジョナサンで昼食
家族で何度か来た

光が丘四季の香りローズガーデン
存在は知っていても、結局一度も来なかった
ローズガーデンからお寿司の注文はないからね
えっ、温室じゃないんだ。温室だとばかり思い込んでいた

色だとか香りごとに色んなテーマでバラが咲くらしい
残念ながら今季節じゃない




バラの季節だとこんな感じ(ネットから拝借)

特別な気持ちに浸れる一日になりました

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

石神井公園駅から田柄用水跡を辿る

9/10(日)の事です

前日土曜日に散々ウォーキングしましたが
ええいっ、連続のウォーキングだっ

石神井公園駅から
以前、練馬区の郷土資料館で買った本からコースをチョイス
「石神井公園駅から田柄用水の跡を巡る」
っていうのにしよう

田柄用水というのは、江戸庶民の飲み水を確保した玉川上水の支流
今回のコースは全て暗渠になっていて、水の流れを見ることはできません
とはいえ今もちゃんと存在していて道の下を流れている

途中から後半半分は、今の東久留米市に引っ越して来る前、かなり長く住んでいた地域
懐かしさも感じつつ参りましょう

石神井火車站之碑(しゃくじいかしゃたんのひ)

大正9年、武蔵野鉄道に石神井駅が出来たのを記念して、有志が作った碑
「火車站」というのは中国語で駅のこと
こんな立派な碑を作るなんてよほど嬉しかったんでしょうね

駅前の観光センターに立ち寄る
ウォーキングマップのパンフレットを9つももらったので
当分色んなコースに行けますぞ

東京商科大学予科の碑

碑の中の文章がなかなかイケてる
ここで学んた若人達はやがて襲い来る嵐の時代を前に
残された最後の自由と青春の日日を謳歌し・・

田柄用水
出たっ。暗渠(あんきょ)だ

こういう風に車が入れないほどの幅で上が水色に塗られていれば暗渠
昔は見える形で水が流れていたけど、今は上を塞いじゃって下に水が流れている

暗渠は数々あれど、この暗渠はちょっと違う
川の暗渠ではなく、用水の暗渠なのだ

川と用水は180度違うので何が違うかをまとめましょう

◆川⇒自然にできたもの。低いところを流れる。水が流れ込む。水を使うためには高いところまで汲み上げる必要がある
◆用水⇒人が作ったもの(飲み水、灌漑)。高いところを流れる。汲み上げなくてもそこから水を引ける。

光和公園を経て

うーん
この辺りが速見水車跡だと思うんだけどなあ

この辺りの用水はほぼ真っ直ぐで、車も通れる道路の下を流れている

この下から、水の流れる音がした

旧清戸道を横切るところに祠(ほこら)があった

清戸道とは、江戸川橋からわが清瀬の清戸町まで、大根等の農作物を運ぶ主要道路
あのトキワ荘の前も通っています

鴨下水車跡があるはずなんだけど、また案内板なし
さっきの速見水車跡の場所同様、その場所に巨木はあるのだけど

目白通りに出ました
目白通り沿いにリサイクルショップがあったんだけど
店の斜め前に、無造作にこんなものが置かれていた

まさかのーっ
ひょっとして速見水車か鴨下水車なんだろうか
案内板がないなんて不満げに言ってごめんなさい
まさか実物が見れるなんて
リサイクルショップには人がいなかったんで、聞けなかったんだけど
売り物なんだろうか
速見水車か鴨下水車なら、普通は郷土資料館に置いてあるほどの貴重なものだけど
こんなところに雨ざらしで置いていて大丈夫?
小振りだから、速見水車や鴨下水車とは違うのかなあ
だとすると、この辺の人は用水沿いの農家の人は、こういった水車を自分で作って
畑に水を引き入れるために回していたのか
ああ、気になる
売り物なら買っちゃいたいけど、カミさんは激怒するだろうなあ

目白通りを超えると、引っ越し前に住んでいたところのすぐ近く
通り慣れた道になります

このあと、感動の展開になりますが
続きは次回

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)