[神社] 稲荷神。狐に乗った神様

古事記日本書紀以外の神様。
八幡神に続きまして

稲荷神

私たちにとって身近な神様として、「お稲荷さん」がいます。
「○○稲荷」と名のつく神社は日本全国にあり、
ほかの神社の境内に置かれた摂社・末社を含めると、その数は八幡神社を凌駕します。
稲荷については前にも書いているので、よろしかったらこちらも読んでね
稲荷神社は、なぜ一番多いのか

「お稲荷さん」といえば狐のイメージですが、狐は神様ではなく、神様の従者です。
狐が仕える五穀豊穣や商売繁盛の神が、稲荷神なのです。
習合
稲荷神はもともと、渡来人の秦氏が祀った伊奈利という稲の神だったと考えられていますが、
のちにさまざまな神様と習合していきました。

中心になっているのは、『古事記』などに出てくる
穀物の女神ウカノミタマノカミです。
その名の「ウカ」は食物を意味し、
トヨウケビメノカミと同一視されることもあります。

仏教
稲荷神への信仰が広まったことには、仏教も関係しています。
真言宗の開祖空海(弘法大師)が稲荷神と出会ったという伝説が発生し、
稲荷信仰の中心である伏見稲荷大社(京都府)と、
真言宗の総本山である東寺(京都府)との間に、密接な関係ができたのです。

稲荷神は、仏教の荼枳尼天(だきにてん)とも習合しました。
インドの恐ろしい女神をルーツとする荼枳尼天は、
中世の日本では、狐に乗った姿で描かれるようになります。

稲荷神と荼枳尼天、どちらの狐のイメージが他方に影響を与えたのかは不明ですが、
稲荷神も多くの場合、狐にまたがった絵で表現されます
(その姿は女神だったり老人だったりします)。

また、荼枳尼天がアマテラスオオミカミと習合すると、
稲荷神も朝廷と結びつきました。
稲荷信仰は、神道系と仏教系の両方で広がり、現在のような人気を獲得したのです。

[首相]48 海部俊樹。湾岸戦争と高い支持率

海部さんは爽やかなイメージでしたが、いつの間にか退陣していましたね。

海部俊樹

海部俊樹も前任の宇野宗佑と同様に、
派閥のトップでないにもかかわらず総理の座に就くが、
竹下登の指名だったという点でも共通している。
竹下の影響下にある、いわゆる、竹下支配である。

宇野宗佑辞任のとき、主要メンバーはリクルート事件に関係していた
安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄らニューリーダーは
自民党が定めた「1年間、もしくは次の総選挙まで党の役職を辞退する」という内規の対象となり謹慎中の身。
四大派閥(竹下派・安倍派・宮澤派・旧中曽根派)は
いずれも後釜の総裁候補を出せる状態になかった。

海部が初当選したときは29歳で、第29回衆議院議員総選挙
「29年後に総理になる」と公言したが、少数派閥なので本人としても冗談
なんと本当に29年後に総理になろうとは。

初の昭和生まれの総理である。

海部総理本人が金権とはほど遠い河本敏夫派 (三木派の後身)に属していたため、
若々しいイメージと相まって内閣支持率は最高時63%と高い数字を記録する。
自民党は海部人気を当てこみ、衆議院解散に打って出た。
1990年(平成2)2月の衆議院総選挙の結果、
自民党は286議席を獲得し、衆議院での安定多数を確保する。

同年8月、イラク軍が突如として隣国のクウェートを攻め、
翌年1月、湾岸戦争に発展した。
日本に求められたのは、総額130億ドル(約1兆6900億円)の拠出金だった。
資金的な協力だけでは国際社会からの評価が低い
日本は人的貢献もするべきか、との論が国の内外で起こる。

これを受けて9月、海部内閣は自衛隊を参加させるための
国連平和維持活動(PKO)協力法案を国会に提出したが、継続審議で終わった。

もうひとつ熱心に取り組んだのが、政治改革。
1991年(平成3)8月からの臨時国会に小選挙区比例代表並立制の法案を提出するものの、
自民党内では廃案に動く。

海部総理は「重大な決意で臨む」と述べて衆議院の解散を目論むが、
海部を支えている最大派閥の竹下派が解散に反対し、
海部続投も支持しないことを通告してきた。

10月5日、海部総理は自民党総裁選への立候補を断念すると表明し、
1月に退陣する。

最初から最後まで支持率は高いままだった。

まだ若かった事もあってその後、新進党を立ち上げるなど積極的に活動した

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

タブレットを買い替えました

タブレット
私はいつもタブレットを使っています
今まで使っていたのは、huawei製のもので超名機
もう十台くらい使っているかもしれないが
だいたい2年くらいすると電池がダメになってしまう
huaweiは、なんと5年ももった
ずっと使い続けられれば良かったんだけど
さすがに色んなところで、厳しくなってきた

一つには電池、5年ですものね
もう一つはメモリー
ブログに写真をアップしようとすると、メモリーオーバーのメッセージが出て
毎回、メモリー解放ってアプリでクリアしなきゃいけない

それでも頑張り続けたのは、入力キーボードの問題があるから。
私は、かな入力でローマ字入力は苦手

でも世間一般で言うと、ローマ字入力ばかり
学校で、ローマ字入力で教えるからね

ローマ字入力のキーボードは、売れないからアップデートされなくなり
とうとう、アンドロイドのバージョンがアップデートされると
「対応していません」とのメッセージが出ちゃった
それでも、非公式に使い続けていたんだけど
どんどん動きがおかしくなってきた

新しいタブレットに買い換えると、ローマ字入力にしなきゃいけないのは分かっていたので
ギリギリまで待っていた次第

新しいのに買い換えました
すると、おやおや?
こんなキーボードが使える
配列が慣れたのじゃないけれど、ローマ字入力よりは楽かな

最初は、設定やらデータ移行やら、アプリのインストールやらで、大忙し
何とか必要最低限のものはインストール出来た

当面2台持ちしながら、あとはゆっくり移行していく事にしましょう

[ハイテク]シリーズはこちら(少し下げてね)

新小岩からウォーキング、の続き

新小岩からウォーキング
の続きです

鬼塚


こんもりと盛り上がった土盛
かつては古墳ではないかと言われていたこともあるが、どうもそうではない
発掘調査をすると、陶器や貝塚が発見された
室町時代と江戸時代に追加の土盛りがなされた事も分かった
近年まで、頂上に稲荷の鳥居があったらしいので
稲荷信仰と関係あるのかも知れない
葛飾区と言えば、葛飾郷土かるた。
その「お」に選ばれている

無茶苦茶広大な土地が大規模な工事中だった
巨大な物流拠点ができるらしい

奥戸古代遺跡跡

近くにでっかいスパがあった名前が「古代の湯」というのは、ここから来ているのだろう

奥戸天租神社

毎年10月に行われる大しめ縄神事
6mにも及ぶ大しめ縄が町内を「アクマバライ」として回る


今は、回りに田んぼがなくなっちゃったので、藁は千葉県から調達しているらしい

連句の碑
明治時代、この地域は俳句が盛んだった

ひとつの鳥居の奥にいっぱい末社が並んでいる
こういうのも面白い

妙厳寺

道標がいくつかあった

3つ小さな建物があって、その中にそれぞれに像やらが保管されていた

八剣神社

宝蔵院

彼岸花の頃は彼岸花の名所となる
江戸中期、王政復古を唱え、その後の尊王思想に影響を与えた武内式部の門下で、
徳大寺公城(きんむら)の家臣本堂良喜は、
宝暦事件 (宝暦8、1758年)の際京都を追われ、
当寺に身を寄せていた。
その良喜の後を追い公城の娘妙姫は師の式部から拝領した薬師仏を背負い旅立ちっ、宝蔵院でめぐり会い、寺にかくまわれ再起をうかがった。
住職は寺の名鐘「和光の鐘」まで売り果たし、
倒幕に荷担した。
その後幕府の探索の手が二人にのびて、
捕り手が宝蔵院を取り囲んだ。住職は「和光の鐘」を売ったことを悔いつつ、銅鑼(どら)を鳴らして郷民に助けを求めたが、
捕手の兇刃に弊れた。
娘妙姫は「思垂松」の蔭で自ら若い命を絶った。
非業の最期をとげた住職の怨霊は、ながらく銅鑼に止まり、
夜な夜なその時刻に銅鑼が鳴り、
「思垂松」は悲しげに枝をたわみ、
薬師堂の灯明は妖しく明滅し、庭の「縁呼石」の蔭では
男女のささやきが聞こえたという。

随分時が経ち、現代
新中川の開墾で、和光の鐘が見つかった

井上靖がこの物語を伝え、碑も建てている

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)