[首相]48 海部俊樹。湾岸戦争と高い支持率

海部さんは爽やかなイメージでしたが、いつの間にか退陣していましたね。

海部俊樹

海部俊樹も前任の宇野宗佑と同様に、
派閥のトップでないにもかかわらず総理の座に就くが、
竹下登の指名だったという点でも共通している。
竹下の影響下にある、いわゆる、竹下支配である。

宇野宗佑辞任のとき、主要メンバーはリクルート事件に関係していた
安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄らニューリーダーは
自民党が定めた「1年間、もしくは次の総選挙まで党の役職を辞退する」という内規の対象となり謹慎中の身。
四大派閥(竹下派・安倍派・宮澤派・旧中曽根派)は
いずれも後釜の総裁候補を出せる状態になかった。

海部が初当選したときは29歳で、第29回衆議院議員総選挙
「29年後に総理になる」と公言したが、少数派閥なので本人としても冗談
なんと本当に29年後に総理になろうとは。

初の昭和生まれの総理である。

海部総理本人が金権とはほど遠い河本敏夫派 (三木派の後身)に属していたため、
若々しいイメージと相まって内閣支持率は最高時63%と高い数字を記録する。
自民党は海部人気を当てこみ、衆議院解散に打って出た。
1990年(平成2)2月の衆議院総選挙の結果、
自民党は286議席を獲得し、衆議院での安定多数を確保する。

同年8月、イラク軍が突如として隣国のクウェートを攻め、
翌年1月、湾岸戦争に発展した。
日本に求められたのは、総額130億ドル(約1兆6900億円)の拠出金だった。
資金的な協力だけでは国際社会からの評価が低い
日本は人的貢献もするべきか、との論が国の内外で起こる。

これを受けて9月、海部内閣は自衛隊を参加させるための
国連平和維持活動(PKO)協力法案を国会に提出したが、継続審議で終わった。

もうひとつ熱心に取り組んだのが、政治改革。
1991年(平成3)8月からの臨時国会に小選挙区比例代表並立制の法案を提出するものの、
自民党内では廃案に動く。

海部総理は「重大な決意で臨む」と述べて衆議院の解散を目論むが、
海部を支えている最大派閥の竹下派が解散に反対し、
海部続投も支持しないことを通告してきた。

10月5日、海部総理は自民党総裁選への立候補を断念すると表明し、
1月に退陣する。

最初から最後まで支持率は高いままだった。

まだ若かった事もあってその後、新進党を立ち上げるなど積極的に活動した

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です